2024年05月

《竹内千代》航空母の會(東山貞敎愛國婦人會長)【玄関ばなし】昭和15年

【玄関ばなし】昭和15年
著者    河合白戦, 山根白光 共編
出版者   山城毎日新聞東山支社
出版年月日 昭和15
  航空母の會
   竹内千代
最近婦人團事業としては航空婦人會の結成で、
過般同志社記念舘で
松平俊子女史の荒鷲母の會の講演があり、
飛行機獻納をも説かれました。
成すべき事業は幾多ありますが
無論この仕事等も緊切な事で、
荒鷲母性としての覺悟も亦
必然生じて來る次第であります。
申す迄もなく、
さうした母性の氣持は、
やがて次代次代への傳統となるわけで、
征空の生命となるわけでございます。

航空は倍々世界各國が競ふと共に
實に國家安危の繋がる一大重要線であります。
日露戰爭當時は現時の如く、
婦人團の素晴らしい發展は見なかつたので
私共は御奉公の一端として
篤志看護婦となり娘には二ケ月間
日赤に實地修業をさせた位でありました。

事業と申す程でもございませんが
昨年は島津氏の大なる御斡旋で
少年保護會を北白川に設置されましたし、
會の特別行事は別と致しまして、
常に國防婦人會と手を握り、
例年行事として毎年一月には
伊勢參宮をすることゝなつて居ります。
またこの六月には區内出征軍人遺家族を招じて
多賀神社に參拜致し
一同打揃つて記念撮影も致しました。
(東山貞敎愛國婦人會長)
 p44【玄関ばなし】昭和15年
p44【玄関ばなし】昭和15年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1036291/1/44
昭和十五年十月 八日印刷 玄關話
昭和十五年十月十三日發行 非賣品
編輯兼 河合 喜重
發行者 京都市東山區泉涌寺雀ケ森町三番地
印刷人 東山 力藏
    京都市伏見區榎町一一五一番地
印刷所 日進社印刷所
    京都市伏見區榎町一一五一番地
發行所 山城毎日新聞東山支社
    京都市東山區泉涌寺雀ケ森町
    電話祇園四一五二番
    振替京都八二八三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1036291/1/101
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《竹内千代》合名會社竹内商店【官報 1935年02月01日】昭和10年

【官報 1935年02月01日】昭和10年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和10年
◎商號 合名會社竹内商店
本店 京都市東山區鞘町通正面上ル
   正面町三百十四番地
目的 一 諸鐵類機械類其ノ他 金物類ノ賣買
   二 前項ニ附隨スル一切ノ事業
設立ノ年月日 昭和九年十二月一日
代表社員 竹内泰次郎
社員ノ氏名住所 出資ノ種類價格
 金一万圓   竹内千代
        京都市東山區鞘町通正面上ル
        正面町三百十九番地
 金七千五百圓 竹内泰次郎
        同所
 金五千圓   竹内ヱン
        同所
 金七千五百圓 竹内雅之輔
        右同町三百十四番地
 p20【官報 1935年02月01日】昭和10年
p20【官報 1935年02月01日】昭和10年
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《竹内千代》褒狀下賜:京都市 貞敎尋常小學校建築費 金一千五百圓寄附【官報 1929年12月17日】昭和4年

【官報 1929年12月17日】昭和4年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和4年
◎褒狀下賜
 公益ノタメ私財ヲ寄附セシ廉ヲ以テ
 昭和四年十二月十日
 褒狀ヲ下賜セラレタル者
 左ノ如シ(賞勳局)

 京都市下京區鞘町通五條下ル
 四丁目正面町
昭和三年九月
京都市 貞敎尋常小學校建築費
金一千五百圓寄附ス
(仍テ褒章條例ニ依リ之ヲ表彰セラル)
 p7【官報 1929年12月17日】昭和4年
p7【官報 1929年12月17日】昭和4年
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《竹内千代女史》女性の鑑・貞節五十有餘年【学区大観 修道貞教版】昭和9年

【学区大観 修道貞教版】昭和9年
著者    河合白戦 著
出版者   東山日日新聞社
出版年月日 昭和9
《竹内千代女史》
  女性の鑑
  貞節五十有餘年
鞘町正面上ル正面町、
洋鐵、鋼材卸商竹内商店は
往昔「鐵仲間」と言つた時代からの
古い鐵屋さんである。
當主竹内千代女史は
元治元年十一月四日(1864年12月2日)を以て
佐兵衞氏の長女に生れ、
槇村知事時代現今の女學校程度の課程を終へ
 p89【学区大観 修道貞教版】昭和9年
p89【学区大観 修道貞教版】昭和9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024525/1/89
直ちに婿養子を迎へたが
不幸夫君は假そめの病がもとで
不歸の客となつてしまつた。
時に女史は十九歳。
其後切なる再婚の勸めにも亡夫への貞節を守つて
一切耳を藉さず、
うら若い身を以て獨身生活を續け
信仰と事業に邪念を拂ひ
全生命を之に打ち込んだ、
爾來五十年自ら第一線に立つて
多數の店員を指揮督勵し
文字通りの奮闘を續け
而も愛國婦人會京都支部理事、
赤十字社京都支部評議員、
京都婦人慈善會常任幹事等として
社會公共の爲に活動され
永觀堂幼稚園創立に盡力された功績は
實に偉大なるものがある。
又毎年十二月金光院で貧困者に
餅を施與(匿名で)するなど
隱れたる奇篤行爲も多く
女史こそは眞に女性の龜鑑とも
云ふべきであらう。

女史は今年七十一歳
尚矍鑠たるものであるが
近年は甥(女史は孫と呼ぶ)
泰次郎(同志社高商出)
雅之助(神戸高商出)の兩氏に
經營一切を委ね、
只管念佛三昧と茶道に
つゝましく餘生を送りつゝある。
 p90【学区大観 修道貞教版】昭和9年
p90【学区大観 修道貞教版】昭和9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024525/1/90
昭和九年十二月二十日印刷 學區大觀修道貞敎版
昭和九年十二月廿五日發行 定價 金三圓五十錢
編輯兼   河井 喜重
印刷發行者 京都市東山區今熊野劔宮町五
印刷所   東山日日新聞社印刷部
      京都市下京區中堂寺壬生川町一〇
發行所   東山日日新聞社
      京都市東山區今熊野南日吉町一
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024525/1/134
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《蓮舫女史の報告》蕭美琴氏「私は、日本よりもアメリカを重視しています」【アジアレポート 28(325)】2000-07

【アジアレポート 28(325)】平成12年(2000-07)
出版者   マスコミ総合研究所
出版年月日 2000-07
陳水扁氏の総統就任演説を読んで p16-19/33
  中村勝範
  慶應義塾大学法学部政治学科卒業
  法学博士。慶應義塾大学法学部教授
https://dl.ndl.go.jp/pid/4430701/1/16
民進党国際部長で、
陳水扁総統の政治ブレーンである蕭美琴氏は
「ハッとするほどの美貌の持主」で、
二十八歳の女性である。
コロンビア大学政治学科出身、
二十四歳で民進党の駐米代表処に勤務、
二十五歳で民進党国際副部長として台湾へ招かれ、
二十六歳で国際部長、
民進党中央本部のなかで最年少の幹部となった。
昨年四月、陳水扁氏が訪米した時、
通訳、秘書、政治分析者として同行し、
陳水扁氏から強い信頼を得た。
この陳水扁総裁の政治ブレーンであり
台湾のニューリーダーである彼女は、
日本にほとんど興味を示さず、
あっけからんと、
「私は、日本よりもアメリカを重視しています」
と言ってのけるという。
ニュースキャスターの蓮舫女史が伝えている
(SAPIO 6・28)

蕭美琴氏は日本より米国を重視する理由として、
米国は台湾関係法を持っていて、
米中関係が穏やかなときも、
非常に気まずくなったときも、
台湾を重視し、
密接な関係を保ってくれるのに対し
「日本の大陸寄りの政策には、非常に不満です」
と言い切っている。
ついでに、
「はっきり言って、日本は台湾軽視です。
 だったら、
 今までのような特殊な愛情を持った関係を見直して、
 これからは
 ほかの諸外国と同じ関係にしていくでしょうね」
とつづけている。
台湾は李登輝的日本への「特殊な愛情」をやめて、
韓国かロシアに対すると同様な
冷めた関係にしていくだろうというのである。

蕭美琴氏のこの日本批判に
異議を唱えることができる日本人はいるだろうか。
 ―略―
先の蓮舫女史は、
日本は「情」の部分で
台湾と手をつないできたが、
法的「理」と経済的「利」の部分で
中国に顔を向けていたと分析する。
その上で蓮舫氏は
「そのつないだ手を、台湾の側から切ってきた。
 そして、アメリカと両手でつながろうとしている」
とつづける。
台湾から親日派がいなくなり、
親米派で固められるのは、
蕭美琴氏が言うように
日本は中国に寄りすぎるからである。
陳水扁氏も総統選挙中に日本に対し
「ひとつだけ(日本に対して)違和感があります。
 それは、中国を恐れすぎること。
 日本が中国の反応を気にしすぎていることです」
とインタビューに答えた、
蓮舫女史は報告するが
「ひとつだけ」というのは
控え目な社交辞令ととっておくべきであろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/4430701/1/18
ASIAN REPORT
2000.7.15 No.325
編集者 マスコミ総合研究所 編集委員会
発行者 藤田誠子・倉田信靖
発行所 マスコミ総合研究所
東京都港区赤坂6-15-1(赤坂ミツワビル5F)
電話(3584)1108/振替口座 東京3-170508
印刷所 株式会社みづほ
 p32【アジアレポート 28(325)】2000-07
p32【アジアレポート 28(325)】2000-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/4430701/1/32
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[世界経済評論IMPACT]
蕭美琴物語
:駐米大使の最有力副総統候補者
           朝元照雄
     九州産業大学 名誉教授)
          2024.01.08
 2024年1月13日に台湾総統直接選挙が行われ,
与党民進党の頼清徳と美琴は総統と副総統のペアで立候補。
選挙の結果はまだ判明していないが,
仮に当選後,頼清徳と美琴は
台湾を国際舞台の高みへと牽引することが期待されている。
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JIJI.COM  2024年5月29日(水)
頼清徳氏と蕭美琴氏
(2024年5月)20日、
台北で行われた就任式で手を振る
台湾の頼清徳新総統と蕭美琴副総統。
【EPA時事】
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《蓮舫さん》台湾出身の父のこともあって、…やはり私の基軸は中国人ですもの【こども未来 2月(329)】平成11年

【こども未来 2月(329)】平成11年(1999-02)
出版者   こども未来財団
出版年月日 1999-02
 p16【こども未来 2月(329)】1999-02
p16【こども未来 2月(329)】1999-02
https://dl.ndl.go.jp/pid/2889776/1/16


 ホッ!とインタビュー
キャスター 蓮舫さん
〇インタビュアー 山谷えり子さん
 (財)こども未来財団評議員
  サンケイリビング新聞編集長
れんほう◎昭和42年東京都生まれ。
父は台湾出身の中国人。
青山学院大学法学部卒。
中学3年生からモデルとして活動を始める。
17歳のときに帰化
青山学院大学在学中にクラリオン・ガールに選ばれ、
芸能界デビュー。
以来、ドラマ、バラエティー番組はじめ、
テレビ朝日「プレステージ」、
TBS「スーパーワイド」の司会など、
テレビを中心に幅広く活躍する。
平成5年4月からテレビ朝日「ステーションEYE」の
メインキャスターを務める。
同年8月にジャーナリストの村田信之氏と結婚。
(平成)7年10月から(平成)9年2月まで
夫婦で中国・北京大学へ語学留学。
同年(平成9年)4月に双子を出産。

 男も女も自分に向く仕事を見つけて自立することを、
 小さいときから父に教えられて育ちました

キャリアウーマンの代表とも言える
ニュース・キャスターとして、
活躍していた蓮舫さんが、
仕事を一時お休みして夫と共に北京留学したのは、
記憶に新しい。
帰国後まもなく、双子を出産。
待ったなしの子育て奮闘も二人分です。

―― 双子ちゃんの成長ぶりはいかが?
蓮舫 この四月で二歳になります。
   息子が一三キロ、娘が一〇キロ。
   身長は八センチくらい違います。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2889776/1/16
―― ニュース・キャスターになられて
   油がのってきた頃に、
   中国留学なさったのは
   思いきった決断ですね。
蓮舫 自分の基軸をつくりたかったんです。
   報道の仕事はずっと続けたいと思っています。
   ただ、実際にやってみてキャリアを積んで
   幅を広げるためには、
   私のテーマを確立しなければと思ったのです。
   政治・経済をはじめいろいろな意味で、
   これからは中国の動きが興味深い。
   台湾出身の父のこともあって、
   昔から中国にはこだわっていました。
   やはり私の基軸は中国人ですもの。
   身動きがとりやすい二十代のうちに
   留学を終えたいと考えていましたので、
   二十八歳のときに中国留学を決行したのです。

 一人っ子政策を進めている中国では、
 妊娠・出産時期も国や企業の管理下に

 夫や母や男性ベビーシッターに支えられ
 バランスのとれた子育てができている
https://dl.ndl.go.jp/pid/2889776/1/17
こども未来
平成11年2月号 第329号
定価550円(税込)・送料76円
年間購読料6,600円(税込・送料共)
平成11年1月25日印刷/
平成11年2月1日発行
発行人 土井 豊/
編輯責任者 中山和之
発行所 財団法人こども未来財団
    〒104-0061
    東京都中央区銀座3-11-18 眞帆ビル
    電話 03(5550)9450
    ファックス 03(5550)9470
編集協力 厚生省児童家庭局/
制作協力 株式会社 法研
https://dl.ndl.go.jp/pid/2889776/1/16
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エスポワールのマダム川辺るみ子さん【サングラフ 5(1)】昭和30年(1955-01)

【サングラフ 5(1)】1955-01
出版者   サン出版社
出版年月日 1955-01
サン グラフ 1955年1月号
サン写真新聞社発行
 p1【サングラフ 5(1)】1955-01
p1【サングラフ 5(1)】1955-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/3550955/1/1
 エスポワールのマダム川辺るみ子さん
  バー・政治
政界の料亭との因縁ばなしには、
いろいろある。
造船汚職事件で、
赤坂の芸者“秀駒”が話題をにぎわしたが、
その後‟秀駒“は芸者をやめて、
どっかへ姿を隠してしまった。
“秀駒”には政界の大物を手玉にとるだけの
腕も才もなかったのかも知れない。
こうした料亭とか芸妓とかの古典好みの型を替えて、
近代感覚で政界人に好評を得ている若いマダムがいる。

銀座、交詢社の横丁に
“エスポワール”というバーがある。
ここのマダム川辺るみ子がそれである。
彼女は秋田の生れで、
終戦後、西銀座のアルト・ハイデルベルヒ
というバーの女給をしていた。
そのころ、当時の進歩党の面々、
犬養健をはじめ、
小坂善太郎、堀川信三、川崎秀二といった
青年代議士ぶった政界人が足繁く通っていたが、
いずれもしみったればかりで、
彼女は或る資本家をみつけて
いまの“エスポワール”を出した。
その後アルトが店を閉めてしまったが、
ここに通っていた色男ぶった政界人を
全部引きつけてしまった。
彼女の魅力はたちまち政界の話題となって、
佐藤栄作、倉石忠雄、福永健司
などの面々も馳せ参じ、
白州次郎が来る、
麻生太賀吉ばかりでなく
和子夫人までも現われるといった具合で、
一時はここが吉田側近に取り入るための
社交場でもあった。
いまでは政界人ばかりでなく、
文士連も現われ繁昌しているが、
吉田内閣ちょう落とともに、
エスポワールに集まる政界人の顔が、
どう変るかみものである。
 p12【サングラフ 5(1)】1955-01
p12【サングラフ 5(1)】1955-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/3550955/1/12
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《吉田内閣に終止符》53日の外遊を終えて羽田に着いた吉田首相(後ろは麻生夫妻)【サングラフ 5(1)】昭和30年(1955-01)

【サングラフ 5(1)】1955-01
出版者   サン出版社
出版年月日 1955-01
サン グラフ 1955年1月号
サン写真新聞社発行
 p1【サングラフ 5(1)】1955-01
p1【サングラフ 5(1)】1955-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/3550955/1/1

 吉田内閣に終止符
外遊から帰った吉田首相は
池田自由党幹事長をして
『私の目算違い』とナゲかせたほどの
盛大な新党=日本民主党
(総裁 鳩山一郎 副総裁 重光葵 幹事長 岸信介氏ら)
の旗あげをみ
『一身の進退を度外し』をはじめ
つぎつぎと書簡をもって
『政権に恋々たるが如き疑い』を解くべく
党幹部に進退を一任
ついにその座を緒方副総裁に
ゆずらねばならぬ破目に立ち到った
このようにして『悲劇の政治家』と呼ばれた
鳩山氏が政界の第一線に返り咲き
空前の長さと並びなき権勢を誇った吉田さんが
第一線を去ってゆくなど
“コップの外のアラシ”が吹きすさぶ中で
11月30日から臨時国会が開かれた
このグラフが出るころには
総選挙か 政界再編かの解答が
国民の前に出されることであろうが
国民は今度こそ
スジを通してもらいたいと願っている

(昭和29年)11月17日
53日の外遊を終えて羽田に着いた吉田首相
(後ろは麻生夫妻)
※麻生夫妻:麻生太賀吉 和子(吉田茂の三女)
 長男 麻生太郎
 p10【サングラフ 5(1)】1955-01
p10【サングラフ 5(1)】1955-01
https://dl.ndl.go.jp/pid/3550955/1/10
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《竹内千代》鐵鋼諸器械、調帶製作販賣 竹内千代商店【金属大鑑】大正10年【大日本興業録 大正10年度之巻】

【金属大鑑】大正10年
著者    高橋恒之助 編
出版者   金属大鑑発行所
出版年月日 大正10
鐵鋼諸器械、調帶製作販賣
 サ 竹内千代商店
下京區鞘町通正面町
電話下 長一〇三七番
     一三一三番
鐵鋼諸器械
調帶製作販賣
京都市下京區鞘町通正面町
 サ 竹内千代商店
電話 長下一〇三七番
   下 一三一三番
振替大阪一九三二三番
 p188【金属大鑑】大正10年
p188【金属大鑑】大正10年
大正十年十月十五日印刷
大正十年十月二十日發行
定價金貳拾圓也
編輯兼 高橋恒之助
發行者 東京市淺草區今戸町百十五番地
印刷者 豐 縫次郎
    東京市淺草區神吉町一番地
印刷者 合資會社 電新堂
    東京市京橋區木挽町二丁目十一番地
    電話京橋六一〇番
發行所 金屬大鑑發行所
    東京市下谷區入谷町百〇九番地
    電話下谷六三七五番・七〇二四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【大日本興業録  大正10年度之巻】
著者    大日本興業録発行所 [編]
出版者   大日本興業録発行所
出版年月日 大正9-10
鐵鋼諸器械、調帶製作販賣
 サ 竹内千代商店
下京區鞘町通正面町
電話下 長一〇三七番
     一三一三番
鐵鋼諸器械
調帶製作販賣
京都市下京區鞘町通正面町
 サ 竹内千代商店
電話 長下一〇三七番
   下 一三一三番
振替大阪一九三二三番
洋鐵鋼諸機械商
電話上三四九八番
竹内千代
鞘町正面上ル
大正九年九月二十日第一版印刷
大正十年十月十五日第二版印刷
大正十年十月二十日第二版發行
定價金貳拾圓也
編輯兼 高橋恒之助
發行者 東京市淺草區今戸町百十五番地
印刷者 豐 縫次郎
    東京市淺草區神吉町一番地
印刷者 合資會社 電新堂
    東京市京橋區木挽町二丁目十一番地
    電話京橋六一〇番
發行所 大日本興業錄發行所
    東京市下谷區入谷町百〇九番地
    電話下谷六三七五番・七〇二四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【京都電話番号簿  大正11年10月改正】
出版者   京都中央電話局
出版年月日 大正11-13
長下 一〇三七  竹内千代 鞘町、正面上
 下 一三一三  竹内千代 同  洋鐵鋼諸機械
 下〔一三一三〕 竹内千代 同  洋鐵鋼諸機械
大正拾壹年拾貳月 八日印刷
大正拾壹年拾貳月拾壹日發行 (定價金拾八錢)
京都中央電話局
印刷者 濱田 正夫
    大阪市南區安堂寺橋通一丁目一
印刷所 濱田印刷所
    大阪市南區安堂寺橋通一丁目一
    電話船場三三九〇番・三三九一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《竹内千代》天佐◎地金鐵物◎金錢貸付業【京都商工人名録】明治38・45年大正11年

【京都商工人名録 明治38年】
著者    小菅慶太郎, 吉野久和 編
出版者   合資商報
出版年月日 明38,45
  ◎地金鐵物
住 所  鞘町五條南四丁目
電 話  一、〇三七
商 號  天佐
姓 名  竹内千代
營業税  二二
所得税  七三
 p47【京都商工人名録 明治38年】
p47【京都商工人名録 明治38年】
  ◎京都市役所
市長 西郷菊次郎
押小路烏丸西
明治三十八年十二月二十日印刷
明治三十八年十二月廿八日發行(定價參拾五錢)
編纂人兼 小菅慶太郎
發行人  京都市上京區釜座夷川上ル
     龜屋町三百三十八番地
編纂人兼 吉野 久和
發行人  京都市上京區兩替町通二條下ル
     金吹町十六番戸
印刷人  桑原 安貞
     府下愛宕郡田中村字田中
     小字柳元十二番地ノ二
印刷兼  合資商報會社
發行所  京都市上京區三條通東洞院東入
     @@院前之町十七番戸
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【京都商工人名録 [第2冊]明治45年改正】
著者    小菅慶太郎, 吉野久和 編
出版者   合資商報
出版年月日 明38,45
  ◎地金鐵物
住 所  正面鞘町東
電 話  下一、〇三七
商 號  天佐
氏 名  竹内千代
營業税  七六
  ◎樂器鉉
  ◎錺金具
  ◎鍛 冶
  ◎金 具
  ◎貸 金
住 所  鞘町五條下四丁目東
兼 業  販賣
電 話  下一、〇三七
商 號  
氏 名  竹内千代
營業税  二四六
明治四十五年一月 五日印刷
明治四十五年一月十五日發行(定價金參拾五錢)
編纂人兼 小菅慶太郎
發行人  京都市上京區釜座夷川上ル
     龜屋町三百三十八番地
編纂人兼 吉野 久和
發行人  京都市上京區兩替町通二條下ル
     金吹町十六番戸
印刷人  桑原 安貞
     府下愛宕郡田中村字田中
     小字柳元十二番地ノ二
印刷兼  合資商報會社
發行所  京都市上京區柳馬場通二條下ル
     等持寺町十番戸
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【京都商工人名録 大正11年改版】
著者    京都商工人名録発行所 編
出版者   京都商工人名録発行所
出版年月日 大正11
  ◎鐵地金及鐵金物
住 所  鞘町五條下四丁目
兼 業  
電 話  下一、〇三七
商 號  
氏 名  竹内千代
營業税  二二〇
  ◎金錢貸付業
住 所  鞘町正面下東入
兼 業  鐵
電 話  下一、〇三七
商 號  
氏 名  竹内千代
營業税  九六
大正 十年十二月二十八日印刷(定價壹圓五拾錢)
大正十一年 一月  一日發行(郵税 貳錢)
編纂兼 武内 義尚
發行者 京都市東中筋魚棚上ル
    天使突抜四丁目四七六番地
同   小菅慶太郎
    京都市釜座竹屋町下ル
    龜屋町三三八番地
同   打它 宗次
    京都市田中門前町四十八番地
印刷者 横田 秀三
    京都市吉田泉殿町六三番ノ二
印刷所 合資會社 日出新聞社
    京都市柳馬場二條下ル
    等持寺町一〇
發行所 京都商工人名錄發行所
    京都商業會議所内
發賣元 永澤金港堂
    京都市寺町通夷川上ル
   (電話上二四二六番)
   (振替大阪二一三五番)
大賣捌所
山中嵓松堂  京都市三條寺町西
      (電話中三四六四番)
寶 文 舘  京都市二條河原町東
      (電話上三七八二番)
東枝書店   京都市烏丸佛光寺東
      (電話下 三九一番)
松田尚友堂  京都市寺町二條下ル
      (電話上 六四一番)
若林春和堂  京都市寺町二條下ル
      (電話上二二五〇番)
丸善株式會社 京都市三條麩屋町西
  京都支店(電話中二九六〇番)
杉本二酉樓  京都市寺町姉小路上ル
      (電話上 五三二番)
三宅改進堂  京都市新京極六角下ル
      (電話中三二四七番)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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