2024年11月

《菅沼元之助》長崎市十善寺町【日本メソヂスト教会総会議事録 第4囘】大正9年

【日本メソヂスト教会総会議事録 第4囘】大正9年
著者    吉岡誠明 編
出版者   吉岡誠明
出版年月日 大正9

大正八年(千九百十九年)
日本メソヂスト敎會 第四回總會議事錄
自十月廿三日 至十一月四日
於 東京銀座敎會
p3【日本メソヂスト教会総会議事録 第4囘】大正9年
〔画像〕p3【日本メソヂスト教会総会議事録 第4囘】大正9年
   ◎常任委員
 五、日曜學校及共勵會委員(十二名)
   菅沼元之助
十二、指名委員(八名)
   菅沼元之助
   ◎特別委員
 二、年會記錄調査委員(四名)
   菅沼元之助
 年會記錄調査委員
   菅沼元之助君
 〇共勵會局(八名)
   菅沼元之助君
  信 徒
長崎市十善寺町  菅沼元之助
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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長崎婦人病院(私立)長崎市十善寺中野【長崎県統計書 明治35,36年】

【長崎県統計書 明治27年】
出版者   長崎県第一部
出版年月日 明13-45
 第五十一 病院ノ患者
※婦人病院 長崎市十善寺郷:記載なし

【長崎県統計書 明治33年】
出版者   長崎県第一部
出版年月日 明13-45
  〇衞生
 第一六三 病院 明治三十三年十二月三十一日
病院名 婦人病院(私立)
所在地 長崎市十善寺郷
醫 師      一
調劑員      一
看病人      二
患 者
 入院     五一
 外來    九八七
  計  一、〇三八
※上記と同一内容
【長崎県統計書 明治34年】
出版者   長崎県第一部
出版年月日 明13-45
  〇衞生
 第一六三 病院 明治三十三年十二月三十一日
病院名 婦人病院(私立)
所在地 長崎市十善寺郷
醫 師      一
調劑員      一
看病人      二
患 者
 入院     五一
 外來    九八七
  計  一、〇三八

【長崎県統計書 明治35,36年】
出版者   長崎県第一部
出版年月日 明13-45
  〇衞生
 第一七三 病院 明治三十五年十二月三十一日
         明治三十六年十二月三十六日
病院名 長崎婦人病院(私立)
所在地 長崎市十善寺中野
      三十五年    三十六年
醫 師      一      一
調劑員
看病人      一      一
患 者
 入院     三五     三九
 外來  二、六三七  二、六八七
  計  二、六七二  二、七二六
p181【長崎県統計書 明治35,36年】
〔画像〕p181【長崎県統計書 明治35,36年】
明治三十八年 十月三十一日印刷
明治三十八年十二月 十一日發行(非賣品)
    長崎縣
印刷者 喜多璋太郎
    長崎市豊後町壹番地
印刷所 喜多活版所
    長崎市豊後町壹番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《菅沼メリー君》第十五回九州沖縄醫學會 明治42年5月【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年(1909)

【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年(1909)
出版者   長崎医学専門学校研瑶会
出版年月日 1909-03
p1【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年
〔画像〕p1【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1775389/1/1

 ◎第十五回九州沖縄醫學會準備
來る五月一日、二日を期し
長崎に於て開會せらるべき
九州沖縄醫學會は既に其準備に着手し
委員長以下左の如く推選あり、
尤も一日は袋町靑年會舘に於て總會を催し
二日は長崎醫學專門學校に於て
分科會を開くべき都合に略決定したる由
委員長  田代  正君
副委員長 村上 安藏君
     大谷 周庵君
https://dl.ndl.go.jp/pid/1775389/1/25

  接待、宴席係
係長  村瀬三英君
委員  ―略―
    菅沼メリー君
p26【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年
〔画像〕p26【長崎医学専門学校研瑶会雑誌 (89)】明治42年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1775389/1/26
明治四十二年三月二十八日印刷
明治四十二年三月 三十日發行
編輯者  田川 兵力
兼發行者 西彼杵郡浦上山里村字里郷一八五六番地
印刷者  富永官十郎
     長崎市今鍛冶屋町三十三番地
印刷所  重誠舎
     長崎市今鍛冶屋町三十三番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1775389/1/48
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年11月24日05:35
《菅沼メリー 演說・菅沼元之助 通譯》癲狂並ニ其療法ニ就テ
【九州醫學會誌 5】1898-03(明治31年)
 第五回九州醫學會員
 明治三十年三月五日撮影
       小川一眞製
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《菅沼メリー》醫師:十善寺中野三十六番地【長崎県紀要】明治40年

【長崎県紀要】明治40年
出版者   第二回関西九州府県聯合水産共進会
      長崎県協賛会
出版年月日 明40.10
 p3【長崎県紀要】明治40年
〔画像〕p3【長崎県紀要】明治40年

 第五節 醫師(イロハ順) p150-152/285
十善寺中野三番地    品川百樹
十善寺中野三十六番地  菅沼メリー
 p152【長崎県紀要】明治40年
〔画像〕p152【長崎県紀要】明治40年
明治四十年十月 十九日印刷
明治四十年十月二十一日發行
第二回關西九州府縣聯合水産共進會
長崎縣協賛會
印刷者 田山 宗堯
    東京市日本橋區數寄屋町一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《精神科医 高木俊介》「やめよう、面会制限」京都新聞コラム暖流に書きました。2024.11.25

しゅん(高木俊介)@ragshun
「やめよう、面会制限」
京都新聞コラム暖流に書きました。
家族、親しい人との面会を
現在の状況下で厳しく制限することは、
回復の妨げにもなれば、
医療者自身の怠慢にもつながります。
#コロナ面会制限を終わらせよう
#面会制限は人権侵害
 「やめよう、面会制限」
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 ともに生きる 公益財団法人 京都新聞社会福祉事業団
 京都新聞社会福祉事業団
  やめよう、面会制限
2024.11.25
コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
【ACT-K主催、精神科医 高木 俊介】
新型コロナウイルス感染症が
5類感染症にされて一年半になる。
世界的には、
その直前のWHOのパンデミック「終了」宣言で
各国がコロナ対策の様々な規制を撤廃した。
世界中で多くの犠牲を出した疫病は、
過去のものになった。
  ―略―
現在の感染状況では、
一律に厳格な面会制限を行う正当な根拠はない。
 病院の安全は大事だが、
それにこだわるあまり、
より大きな個々人の人としての幸福と、
社会のゆとりを失ってはならないだろう。

たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、
2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。
広島県生まれ。
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《菅沼メリー》教授嘱託:高等女學校【職員録 明治39年現在(乙)】【職員録 明治45年現在(乙)】

【職員録 明治39年現在(乙)】
出版者   印刷局
出版年月日 明治39
長崎縣
〇高等女學校
 西彼杵郡上長崎村
學校長   溝口鹿次郎
敎 諭   田代善太郎
      山名 熊吉
      龜井 千尋
      濱 八百彦
      弘田 金樹
      平山 テイ
      平野 ミヨ
      白土 千秋
      三輪 モト
      内田 タネ 兼舎監
      後藤 静香
      後藤安太郎
      阿竹安次郎
助敎諭   古川 テイ
舎 監   木下 ヤス
書 記   竹内恒四郎
      久保才之助
敎諭心得  靑地 キツ
      松崎 セイ
      飯盛 チヨ 兼舎監心得
助敎諭心得 杉野 喜代
      今里 マサ
敎授囑託  菅沼メーリ(手當年一八〇)
      八尾 フチ(手當月一八)
      今里子之吉(手當月一二)
學校醫   今村甲子藏(手當月一〇)
p64【職員録 明治39年現在(乙)】
〔画像〕p64【職員録 明治39年現在(乙)】

【職員録 明治45年現在(乙)】
出版者   印刷局
出版年月日 明治45
長崎縣
〇高等女學校
 西彼杵郡上長崎村
學校長   倉塚源太郎
敎 諭   田代善太郎
      山名 熊吉
      ―略―
敎授囑託  菅沼メリー(手當月一八)
      今里子之吉(手當月一六)
      下釜 稻吉(手當月一二)
      初村 官次(手當月一〇)
學校醫   今村甲子藏(手當月一〇)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《菅沼メリー》菅沼氏(メーリ、米人医)にゆく:明治38年12月【田代善太郎日記 明治篇】1968

【田代善太郎日記 明治篇】1968
著者    田代晃二 編
出版者   創元社
出版年月日 1968
田代善太郎 明治5年(1872)~昭和22年(1947)
昭和10年(1935)1月25日、善太郎63歳のとき。
p4【田代善太郎日記 明治篇】1968
〔画像〕p4【田代善太郎日記 明治篇】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3451050/1/4

明治38年(1905)12月
19. 火. 少雨のち晴。
たかさん、満保をつれて
菅波氏(メーリ、米人医)にゆく。
※菅波氏⇒菅沼氏

※できもの。
これが満保の命取りになろうとは、
若い夫婦は夢にも思わなかった。
人にすすめられ専門でない
米人女医にかかっていた。
治療がはかばかしくないので、
年が明けて早々、
専門医に診てもらったところ、
もはや手おくれで重体とのこと。
全身に及んだエグゼーマのために、
腎臓をおかされてたのであった。
p150【田代善太郎日記 明治篇】1968
〔画像〕p150【田代善太郎日記 明治篇】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3451050/1/150
田代善太郎日記〔明治篇(九州時代)〕
昭和43年(1968)12月10日発行
定価3000円 送料120円
編著者 田代晃二
印刷所 正美社
    京都市上京区小川通一条上ル
    電話 京都(451)7701
発行所 創元社
    大阪市北区樋上町45番地
    電話 大阪(363)2531(代)
    振替口座 大阪57099番
    東京営業所
    東京都新宿区神楽坂6の73
    電話 東京(269)1051
(池田製本)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3451050/1/150
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《菅沼メリー=女医ゴールト》〔Dr. Mary A. Gault〕【ヘール日本伝導記:1877-1902】

【ヘール日本伝導記:1877-1902】1969
著者    J.B.ヘール 著 [他]
出版者   大阪女学院
出版年月日 1969
p1【ヘール日本伝導記:1877-1902】1969
〔画像〕p1【ヘール日本伝導記:1877-1902】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267907/1/1

  女医ゴールト
クリーブランド出身のメリー・A・ゴールド博士
〔Dr. Mary A. Gault〕は、
一八九一年〔明治二四年〕五月三日、
テキサス州ダラスにおける婦人伝道局の集会で
宣教師に任命され聖別された。

ゴールト博士は(明治24年)七月初め日本に着き、
すぐに宣教師の健康管理と日本人の治療の仕事を始めた。

彼女は一八九二年(明治25年)まで
ミッションと関係を保ったが、
その年(明治25年)
        ※菅沼元之助
結婚後長崎に移って、
そこでずっと生活し、
あらゆるキリスト教事業に深い関心を持ったが、
ことにキリスト教共励会の活動に熱心であった。
p107【ヘール日本伝導記:1877-1902】1969
〔画像〕p107【ヘール日本伝導記:1877-1902】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267907/1/107
ヘール日本伝道記
1969年4月29日 発行
著 者 J.B. ヘール
発行者 奥島敬一   非売品
発 行 大阪女学院
    大阪市東区東雲町2の200
製 作 株式会社 新教出版社
    東京都新宿区新小川町3の1
    松濤印刷・河田製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12267907/1/136
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【日本伝道二十五年】1978
著者    J.B.ヘール 著
出版者   大阪女学院
出版年月日 1978.11
 女医ゴールト
〔一八九一年(明治24)~一八九二年(明治25)〕
※上記及び、ゴールト博士の挨拶が記載されている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12261605/1/191
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《菅沼メリー=Mary A. Gault》来日宣教医一覧【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970

【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
出版者   日本医史学会
出版年月日 1970-04
 日本醫史學雜誌
  第16巻 第1号
  昭和45年4月30日発行
p1【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
〔画像〕p1【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/1

特別講演(Ⅰ)
 近代における外人宣教医の研究
       長門谷洋治
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/3

 第1表 来日宣教医一覧
 (安政6年―明治45年、来日年度順)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/7

番号 29
姓名 Mary A. Gault (Miss)
   ⇒Mary A. Suganuma (Mrs.)
国  米
来日年-離日年(死亡年) 1891(明治24)~
所属ミッション CPM
出身学校(医学関係のみ)
夫妻同伴の有無 + ※来日後に結婚した。
主たる仕事、従事場所 
歴任地 
p8【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
〔画像〕p8【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/8
 第2表 宣教医を派遣したミッション一覧(略名表)
欧字略名 CPM
欧文名  Cumberland Presbyterian Mission(のちPNと併合)
日本名  米国カンバーランド長老教会
来日者数 2
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/8

なお女子一名(29 Mary A. Gault)は来日後
p10【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
〔画像〕p10【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/10

  [F] Mary A. Gault
ゴールトは一八九一年(明治24年)五月三日、
米国カンバーランド長老教会が
テキサス州ダラスでおこなった
婦人伝道局の集会で宣教師に任命され聖別され、
同年(明治24年)七月日本に着き、
すぐに宣教師の健康管理と日本人の治療の仕事を始めた。
九二年(明治25年)までミッションと関係を保ったが、
その年(明治25年)
大阪第一教会の会員菅沼氏と結婚した。
        ※菅沼元之助
九三年(明治26年)長崎に移り診療所を開いた。
キリスト教共励会の活動に熱心であった。(7)(59)
p19【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
〔画像〕p19【日本医史学雑誌 16(1)(1379)】1970
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/19
  文  献
(7) ―略―
(59) 大内三郎監修、J・B・ヘール著
   ヘール日本伝道記 ※別稿に記載
   一八七七~一九〇二
   大阪女学院 一九六九
https://dl.ndl.go.jp/pid/3359247/1/25
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【臨床科学 23(5)(362)】1987
著者    エースアート株式会社 [編]
出版者   エースアート
出版年月日 1987-05
1891年(明治24年)7月には
米国カンバーランド長老教会が
テキサス州ダラスでの婦人伝道局の集会で
宣教師に任命・聖別された女医
ゴールト(Mary A. Gault)が来日し、
宣教師の健康管理と日本人の治療に当たった。
翌年(明治25年)、大阪第一教会の菅沼氏と結婚し、
1893年(明治26年)長崎に移り診療所を開き、
キリスト教共励会の活動にも熱心であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1787812/1/67
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《理事 菅沼元之助ハ死亡ス》大村活水女園【官報 1922年05月23日】大正11年

【官報 1906年12月10日】
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治39年
  〇法人登記
明治三十九年十二月四日
法人登記簿第一冊第十二丁ニ左ノ通登記ス
一 名 稱  大村活水女園
一 事務所  長崎市東山手町十三番
一 目 的  本財團法人ハ無告ノ孤女及
       貧困ノ女兒ヲ教養シ
       基督敎主義ニ因リテ敎育シ以テ
       有用ノ婦人トナラシムルニアリ
一 設立ノ年月日 明治三十九年十一月二十四日
一 資産ノ總額 金二千百圓
一 理事ノ氏名住所
   長崎市東山手町十三番    ヱリザベス、ラツセル
   長崎市十善寺中野三十六番戸 菅沼元之助
   長崎市東山手町十三番    マリアナ、ヤング
   長崎市東山手町十三番    ヘテイー、ヱー、タマス
   長崎市十人町二十九番戸   木村シゲキ
長崎區裁判所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【官報 1919年09月18日】
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正8年
  ◎法人登記
〇名稱 大村活水女園
一 事務所 長崎市東山手町十三番
  理事 エリザベス、ラツセル
  同  ヘテイーエタマス及
  同  菅沼元之助辭任ニ付
大正八年七月二十四日 左ノ通リ選任
長崎市東山手町十三番
合衆國人 パウリン、ヱプレース
長崎市東山手町十三番
合衆國人 マリアナ、ヤング
長崎市十人町百三十三番地
菅沼元之助
右大正八年七月二十八日登記
長崎區裁判所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【官報 1922年05月23日】大正11年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正11年
 ◎法人登記
大村活水女園
 理事 菅沼元之助ハ死亡ス
 右大正十一年二月七日登記
 長崎區裁判所
 p26【官報 1922年05月23日】大正11年
〔画像〕p26【官報 1922年05月23日】大正11年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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