2025年05月

《白數甚七・白數太三郎・白數幸一・白數安四郎》與謝郡山田村 村會議員【京都年鑑】昭和25~30年版

【京都年鑑 昭和25年版】1949
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1949
『與謝郡』[山田村]
村會議員 (議 長)牛田竹次郎
     (副議長)白數太三郎
     (議 員)白數 甚七
          ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988157/1/213

【京都年鑑 昭和26年版】1950
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1950
p17【京都年鑑 昭和26年版】1950
〔画像〕p17【京都年鑑 昭和26年版】1950
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988158/1/17
『與謝郡』[山田村]
役 場 大字下山田
電 話 四辻二六
大字名 上山田、下山田
面 積 五・〇〇方粁
戸 數 四七〇
人 口 男 一、〇八六 女 一、一八四
    計 二、二七〇
主要職員 (村 長)時武  慶
     (助 役)鹽見  廣
     (収入役)糸井 勝一
村會議員 (議 長)今田幾太郎
     (副議長)細井 彌一
     (議 員)長島 壽一
          長島富之助
          牛田竹次郎
          川村 市藏
          平  重藏
          糸井 辰一
          碓井 重次
          白數太三郎
          白數 甚七
          服部太市郎
          山崎市右衞門
          小長谷佐右衞門
          井田 利吉
          木村 巻藏
各種委員 (農 地)川村 市藏
          長島 憲時
          時武  寛
          平角 太郎
          小長谷仙左衞門
          茂籠 德一
          時武 慶治
          白數 甚七
          井田忠兵衞
          山崎 德雄
主要團體(農協組合長)時武 寛
    (消防團長)井田 利吉
    (婦人會長)宮垣 義榮
    (公民館長)時武 慶治
    (消費生活協同組合長)
          鹽見喜代治
學校 小學校(校長)河邊庄兵衞
p148【京都年鑑 昭和26年版】1950
〔画像〕p148【京都年鑑 昭和26年版】1950
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988158/1/148
昭和二十六年版 京都年鑑
定價五百圓
昭和二十五年十一月二十日印刷
昭和二十五年十二月 一日發行
編集兼發行者 渡邊  眞
印刷所    日本寫眞印刷株式會社
       京都市中京區壬生花井町三
發行所    都新聞社
       京都市中京區河原町三條上ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988158/1/415

【京都年鑑 昭和27年版】1951
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1951
『與謝郡』[山田村]
村會議員 (議 長)今田幾太郎
     (副議長)井田 利吉
     (議 員)白數 甚七
          白數 幸一
          白數安四郎
          ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/3001606/1/152

【京都年鑑 昭和29年版】1953
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1953
『與謝郡』[山田村]
村會議員 (議 長)井田 利吉
     (副議長)時武  寛
     (議 員)白數 甚七
          白數 幸一
          白數安四郎
          ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988159/1/97

【京都年鑑 昭和30年版】1954
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1954
『與謝郡』[山田村]
村會議員 (議 長)井田 利吉
     (副議長)時武  寛
     (議 員)白數 甚七
          白數 幸一
          白數安四郎
          ―略―
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988160/1/110
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《謝達淋》昭和九年五月十九日死亡【官報 1934年07月19日】昭和9年

【官報 1934年07月19日】昭和9年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和9年
◎保證責任 店仔口信用販賣購買利用組合(變更)
理事 謝達淋ハ昭和九年五月十九日死亡ス
右昭和九年六月四日登記
臺南地方法院新營出張所
p14【官報 1934年07月19日】昭和9年
〔画像〕p14【官報 1934年07月19日】昭和9年

【官報 1934年06月16日】昭和9年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和9年
◎保證責任 店仔口信用販賣購買利用組合(變更)
理事六名 監事三名 任期滿了 監事 一名缺員ノ處
昭和九年二月十八日
理事 蘇逢炳・張耳・王埤
監事 張福丈ハ各重任シ
左者 理事及監事ニ新任ス

臺南州新營郡白河庄白河四五二番地
理事 林天樞

臺南州新營郡白河庄白河一五三番地
理事 謝達淋

臺南州新營郡白河庄詔安厝三〇番地
理事 張跳

臺南州新營郡白河庄竹子門二八四番地
監事 黄明通

臺南州新營郡白河庄白河四六五番地
監事 張顯承

臺南州新營郡白河庄大排竹二五〇番地
監事 李啓仁

右昭和九年五月二日登記
臺南地方法院新營出張所
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年09月20日11:32
《謝達淋》[明治25年5月7日生]
【日本医籍録】昭和5年版~昭和14年版
《謝達淋》白河庄白河  p951/1485
明治廿五年(1892)五月七日生
大正十五年(1926)三月 臺灣醫專卒
登録 臺八五一號
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神戸女学院 The Earliest Photograph,1875(明治8年)【神戸女学院百年史 各論】1981

【神戸女学院百年史 各論】1981
出版者   神戸女学院
出版年月日 1981.3
p4【神戸女学院百年史 各論】1981
〔画像〕p4【神戸女学院百年史 各論】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115514/1/4

写真10 神戸女学院 The Earliest Photograph,1875(明治8年)
(入手し得た資料により写真の人物を推定すれば下記の如くである。)

 1. 小山 ます
 2. 鈴木 うめ(塚田) 鈴木 清夫人。
 3. 清家 文子(甲賀) 一回同期生。
 4. 甲賀 ふじ     一回卒。
 5. 小泉 ぜん(田島) 小泉 敦夫人
 6. 新家 くま(中津海)岡田克子母、一回卒。
 7. 市田 久子     一回卒
 8. 前田正次郎     前田兵藏次男、
             前田泰一の異母弟。
 9. イライザ・タルカット
10. 小磯  英(小寺) 小磯吉人夫人、
             良平母、一回同期生。
11. ジュリア・ギューリック
12. 澤山 たか(田島) 澤山保羅夫人。
13. ジュリア・ダッドレー

14. 松方 好子(九鬼) 九鬼隆義次女、
             松方孝次郎夫人。
15. 白洲 文平     白洲退藏息。
16. 服部 駒子(白洲) 白洲退藏娘、
             服部俊一夫人、一回同期生
17. 宅原 きの(伊藤) 一回同期生。
18. 小山ます娘
19. 中津海炳也     新家くま弟。
20. 井上誠之助
21. 白洲 順平     白洲退藏息。
p40【神戸女学院百年史 各論】1981
〔画像〕p40【神戸女学院百年史 各論】1981
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115514/1/40
神戸女学院百年史 各論
昭和五十六年三月十二日 発行
発行 神戸女学院
   西宮市岡田山四番一号
編集 神戸女学院百年史編集委員会
印刷 東洋紙業株式会社
製本 大阪市浪速区芦原一丁目三
https://dl.ndl.go.jp/pid/12115514/1/369
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伊藤為吉(千田是也の父)の妹(喜美子・服部俊一の後妻)【私の演劇手帖】千田是也 著等

きたおあきお様
コメント、ありがとうございます。

2025年05月27日 11:28
白洲退蔵の娘と死別した服部俊一氏の後妻が
三重県・伊藤為吉の妹との情報ありますが、
この伊藤為吉が千田是也の父なのか
調べていますが確認できません。
もし、ごぞんじであれば、
SNSの「note」上にある投稿の(推定)人脈相関図に
コメントを寄せていただきたいです。
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伊藤辨次郎 伊勢松坂の人
 男  伊藤爲吉
 次女 喜美子 キミ
    服部俊一 後妻
舞踏の伊藤道郎氏、舞台装置の伊藤熹朔氏、
新劇の千田是也(伊藤圀夫)氏、
建築の伊藤貞良氏、音楽の伊藤翁輔氏等は
伊藤為吉の芸術家兄弟であり、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【時計の回想 : 随筆】1966
著者    平野光雄 著
出版者   明啓社
出版年月日 1966
  昔の東京遊覧と服部の時計台
https://dl.ndl.go.jp/pid/2509813/1/37
この伊藤為吉の略伝が明治三十三年版の
「現今人名辞典」に見えているから、
次に摘録紹介しておきたいと思う。
『君は伊勢松坂の人、伊藤弁次郎氏の男なり、
 元治元年一月十七日生る、家世々医を業とす、
 君幼にして、数理を研究し、就中機械学を好む(中略)
 明治十八年米国に航し桑港に滞留(中略)
 伊太利建築師ヂー・カペレーチーの助手となり(中略)
 明治二十年故あり遂に帰朝せり(中略)
 君は建築技師として幾多の洋館設計に与る(下略)』
 ―略―
ちなみに舞踏の伊藤道郎氏、舞台装置の伊藤熹朔氏、
新劇の千田是也(伊藤圀夫)氏、
建築の伊藤貞良氏、音楽の伊藤翁輔氏等は
伊藤為吉の芸術家兄弟であり、
また、いまの服部ビルの設計は渡辺仁氏、
施行は清水組によっておこなわれたことも、
ついでに書きそえておこう。
(昭和三十三年六月)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2509813/1/39
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【日本現今人名辞典】明治33年
出版者   日本現今人名辞典発行所
出版年月日 明33.9
◎伊藤爲吉 いとう、ためきち
君は伊勢松坂の人
伊藤辨次郎氏の男なり
元治元年一月十七日生る
 ―略―
(東京市神田區三崎町三ノ一)
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【明治・大正・昭和日本徳行録】昭和4年
著者    読売新聞社 編
出版者   読売新聞社
出版年月日 昭和4
紺綬褒章受賞者
故 服部俊一氏
工學博士 東洋紡績株式會社取締役
現住所 東京市下谷區上野櫻木町二三
嘉永六年三月八日生
 ―略―
年少にして氣鋭、覇氣の鬱勃たる氏は、
大學を卒業すると同時に農商務省兵庫造船所に奉職し
機械課長として其の蘊蓄を傾け、
滿五ヶ年間職務に精勵して多大なる功績を擧げたが、
此間神戶の人白洲退藏氏の長女駒子と結婚し、
※長女駒子:元治元年十一月二十六日生
新職業と新家庭とを同時に握つて、
極めて幸福なる生活を營んで居た。
 ―略―
然るに夫人駒子は、
夫君の外遊中能く家庭を収め、
五人の子女を敎育して、
賢婦人の聞え高かつたが、
不幸病魔の冒す處となり、
明治二十八年二月廿一日、
夫君の大成を見ずして長逝したのは、
氏の哀悼惜く能はざる處であつた。
其歳八月一日伊藤辨次郎氏の次女喜美子を迎へ
※次女キミ(慶應三年七月五日生)
再び幸福なる家庭を作ると共に、
喜美子夫人も沈着にして貞淑、
毫も氏に後顧の憂ひ無からしめたので、
氏は常に靄々たる和氣の裡に活躍しつゝ、
本邦紡績界の爲めに其巨腕を揮ふ事が出來た。
https://dl.ndl.go.jp/pid/8312033/1/157
※【大日本徳行録 第1巻】昭和18年
出版者   大日本徳行録刊行会
出版年月日 昭和18
※長女駒子:元治元年十一月二十六日生
※次女キミ(慶應三年七月五日生)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1039755/1/156
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【神戸と基督教 : 神戸キリスト教100年史】1975
著者    吉野丈夫 著
出版者   神戸伝道百年史刊行会
出版年月日 1975.12
話は少しく余談にそれるが、
神戸再度筋教会の服部廉輔長老の父は、
東洋紡の創立者、工学博士、
服部俊一(名古屋教会長老)であった。
この俊一博士夫人、白洲駒子は、
白洲退蔵の長女で、
神戸女学院の卒業生、
松山高吉から洗礼をうけた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12289978/1/52
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【人事興信録 7版】大正14年
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 大正14
《服部俊一》 工學博士、元東洋紡績(株)取締役
       東京府平民
 養母 ミツ 弘化元年生、山口、士族、神保素介妹
 妻  キミ 慶應三年七月生、
       三重、伊藤爲吉妹
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【文京区史 巻3】1968
出版者   東京都文京区
出版年月日 1968
自力で会堂を建設したのは美談というべきである。
この伊藤為吉は、
実に伊藤道郎・伊藤喜朔・千田是也三兄弟の父であり、
服部俊一の義兄である
(この教会が現在の西片町教会の前身である)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3034812/1/478
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【植村正久と其の時代 第2巻】
著者    佐波亘 編
出版者   教文館
出版年月日 昭12至13
明治二十五六年頃、神田三崎町に、
伊藤爲吉といふクリスチヤンの「米國建築師」?が、
耐震耐火耐風といふお椀をふせたやうな洋風の家屋を建て、
道行く人の注意を惹いた。
少年時代の編者も、目を丸くして見上げたものである。
この人の近親に後の服部俊一夫人がある。
しかして、
伊藤道郞といふ在米邦人舞踊家で、
相當名の知れてゐるのは、
彼の長男であり、
編者は、日曜學校にて彼を敎へたことがある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1261327/1/360

【植村正久と其の時代 第5巻】
著者    佐波亘 編
出版者   教文館
出版年月日 昭12至13
駒込敎會の米國建築師
伊藤為吉(服部俊一夫人の兄)の設計と監督による
https://dl.ndl.go.jp/pid/1261404/1/109

【私の演劇手帖】1959
著者    千田是也 著
出版者   筑摩書房
出版年月日 1959
p3【私の演劇手帖】1959
〔画像〕p3【私の演劇手帖】1959
https://dl.ndl.go.jp/pid/2489878/1/3
父の伊藤為吉は明治初年にアメリカで苦学して、
洋式大工術を勉強してきた人で、
十四年前に八十歳で死んだが、
だいたい辰野隆先生の御先代金吾博士と
同時代の建築家である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2489878/1/138
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《伊賀とら》大本の熱心者にして祇園に女髪結業を營む婦人あり【壬申日記 7の巻】昭和7年7月

【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和7.6
 月の家 著
 壬申日記 七の巻
 昭和七年 自 七月 一日
      至 七月卅一日
 p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
〔画像〕p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/3
  編輯日誌 p137/201
〇大本の熱心者にして祇園に女髪結業を營む婦人あり
△毎日必ず百以上を結ふ
 その収納の内より幾割かを割いて
 毎月必ず大本へ謝恩參詣する
△或る日天恩郷に行くべく
 網の袋の中に幾百金かを入れて
 右腕に吊し乍ら電車に乘る
△二條驛で下車すれば袋の底は巧みに切り抜かれて
 中の貨幣は全く消えてゐた
△けれども本人平氣なもので、
 「神さんが此處まで請取に來て下さつたのだ」
 と其儘歸宅した
△「大本信者らしい態度は何としても床しく見られた」
 と語つて聽かした人がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/137
昭和七年十一月十五日印刷
昭和七年十一月廿 日發行
壬申日記七の巻奥附
定價 一圓
編輯者     櫻井重雄
  京都府南桑田郡龜岡町字京町四十二番地
印刷者兼發行者 吉原常三郎
  京都府南桑田郡龜岡町字古世大垣内八十六番地
印刷所     第二天聲社
  京都府南桑田郡龜岡町荒塚内丸一番地
  振替大阪七五九一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/200
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《松村眞澄・墨》岡本靈祥・大國以都雄・出口日出麿(高見元男)【更生日記 11の巻】昭和6年11月

【更生日記 11の巻】昭和6年11月
著者    月の家 著
出版者   第一天声社
出版年月日 昭和6.4-7.5
 月の家 著
 更生日記 十一の巻
 昭和六年 自 十一月一日
      至 十一月卅日
 p3【更生日記 11の巻】昭和6年11月
〔画像〕p3【更生日記 11の巻】昭和6年11月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137643/1/3
◇(昭和6年)十一月廿九日 中外日報所載記事
  虚空庵夜話(一)
    藤原正樹
△その「人類愛善新聞」と云ふのが旬刊で、
約十五萬は出て居ると云ふ事だ。
敏腕の聞え高い河津雄クンが專ら采配を振り、
編輯を牛耳つて居るのが岡本靈祥クンと云ふ
手腕、人物 兩つ乍ら申分の無い溫厚篤實な君子、
長い間、金澤の北國夕刊新聞社で辛抱した効あつて、
遂に花のお江戸入りが出來たさうだ、
元來畫を好く描き、
却々非凡な腕前を持つて居る男だ。

今年の二科展に東郷靑兒と云ふ畫家が、
超現實派と銘打つた畫を出品して
新しがりやのモボ、モガ共に大分騒がれて居たやうだが、
こんな傾向の畫は疾(と)うの昔に靈祥クンが描いて居る。
而も、もつと念の入つたものだ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137643/1/170

考へて見ると世の中と云ふものは
案外のろまなものデ。

△彼の王仁さんが蒙古入の大芝居を打つた時、
その片腕として散々活躍し
今では故人となつて了つた
法學士松村眞澄クンの家で、
この靈祥クンと、
龜岡で中堅幹部として鳴らして居る
武勇傳の好きな大國以都雄クン
それに日出麿クン[元の高見元男クン]
この三名が起臥を共にして、
同じ櫃の飯を食べて居た事もある。

その未亡人と云ふのは
早大を創設した小野梓の愛娘、※小野 墨
却々(なかなか)シツカリしたもので
夫君在世當時、
賢夫人として誰知らぬ者も
なかつたと云ふ。
今は名古屋に居るさうだが、
よくも三名、
揃つて出來上つたものだと思ふ。
故人もさぞ地下で喜んで居る事だらう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137643/1/171
昭和七年一月廿八日印刷
昭和七年一月卅一日發行
更生日記十一の巻奥附
定價 壹圓
編輯兼發行者 第一天聲社
  京都府何鹿郡綾部町大字本宮村字東四ツ辻十三番地
  振替大阪六〇五三四番
印刷者    東尾吉三郎
  京都府何鹿郡綾部町大字本宮村字東四ツ辻十三番地
販賣所    第二天聲社
  京都府南桑田郡龜岡町大本天恩郷内
  振替大阪七五九一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137643/1/174
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和7.6
 月の家 著
 壬申日記 七の巻
 昭和七年 自 七月 一日
      至 七月卅一日
 p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
〔画像〕p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/3
〇東京滿洲國博『愛善舘』より(一)p139-142/201
 岡本靈祥 記
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/139
昭和七年十一月十五日印刷
昭和七年十一月廿 日發行
壬申日記七の巻奥附
定價 一圓
編輯者     櫻井重雄
  京都府南桑田郡龜岡町字京町四十二番地
印刷者兼發行者 吉原常三郎
  京都府南桑田郡龜岡町字古世大垣内八十六番地
印刷所     第二天聲社
  京都府南桑田郡龜岡町荒塚内丸一番地
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《陸軍歩兵中佐 助川啓爾》昭和14年6月11日滿洲國ニ於テ戰死【官報 1941年08月01日】昭和16年等

【官報 1933年08月22日】昭和8年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和8年
  敍任及辭令
◎昭和八年八月二十一日
  步兵第二十聯隊附陸軍步兵少佐 助川啓爾
補步兵第二十四聯隊大隊長

【官報 1939年08月22日】昭和14年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和14年
  敍任及辭令
◎昭和十四年六月十一日
  從五位勳四等 助川啓爾
 敍 正五位

【官報 1941年08月01日】昭和16年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和16年
  〇陸海軍
◎戰地其他死亡者
 戰地其他ニ於ケル陸軍軍人軍屬ノ死亡者
 左ノ如シ(陸軍省)
 昭和十四年六月
同十一日 滿洲國ニ於テ戰死
 福島縣田村郡片曾根村大字船引字門脇一〇二番地
 陸軍歩兵中佐 助川啓爾
 p10【官報 1941年08月01日】昭和16年
〔画像〕p10【官報 1941年08月01日】昭和16年

【官報 1939年08月15日】昭和14年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和14年
  敍任及辭令
◎昭和十四年六月十一日
 陸軍歩兵中佐從五位勳四等 助川啓爾
任陸軍歩兵大佐
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《助川啓爾》京都府立須知農林學校服務:昭和4年2月(歩兵大尉)~昭和7年8月(歩兵少佐)【職員録 昭和7年7月1日現在】等

【職員録 昭和7年7月1日現在】
著者    内閣印刷局 [編]
出版者   内閣印刷局
出版年月日 昭和7
[陸軍省] 麴町區永田町
第十六師團司令部 京都市伏見區
師團長  中將   山本鶴一
          京都市伏見區深草田谷町
〇參謀部
 參謀長 歩兵大佐 大島陸太郎
 參謀  歩兵中佐 西村 敬三
     歩兵少佐 川久保鎭馬
     歩兵大尉 星 駒太郎
〇副官部
 副官  歩兵中佐 上山 慶藏
     歩兵少佐 上住 良吉
     歩兵大尉 吉田 武雄
     歩兵大尉 矢澤 淸美
〇歩兵第二十聯隊 京都府天田郡福知山町
京都府立須知農林學校服務
歩兵大尉 助川啓爾
 p193【職員録 昭和7年7月1日現在】
〔画像〕p193【職員録 昭和7年7月1日現在】

【京都府学事関係職員録 昭和6年4月15日現在】
出版者   京都府教育会
出版年月日 昭和6
京都府立須知農學校    船井郡高原村 須知五五
校長兼敎諭  北口 慶藏  学校内
敎諭     加藤 岩治  須知町字蒲生
敎諭兼舎監  田端源太郎  同
同      西田 治郎  高原村字豐田
同      谷中福四郎  学校内
敎諭     岡田 性恭  須知町字蒲生
同      岡崎 太郎  学校内
書記     吉田 幸吉  須知町字蒲生
囑託敎員   吉田九一郎  同
校醫     山崎 良吉  須知町字蒲生
同      野村才次郎  八木町字八木
配屬將校   助川 啓爾  須知町字蒲生

【官報 1924年12月08日】大正13年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正13年
   〇陸海軍
◎學生入校
 陸軍歩兵學校第一回甲種學生トシテ
 左記八十五人本月一日入校セリ(陸軍省)p5-6/17
陸軍歩兵大尉 助川啓爾

【官報 1929年02月01日】昭和4年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和4年
◎昭和四年一月三十一日 p5-6/17
  歩兵第十七聯隊附陸軍歩兵大尉 助川啓爾
補歩兵第二十聯隊附
京都府立須知農學校服務ヲ命ス

【官報 1929年02月20日】昭和4年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和4年  
  敍任及辭令
◎昭和四年一月十五日
 正七位勳六等 助川啓爾

【鳳輦の躅】昭和4年
著者    岩手日報社 編
出版者   岩手日報社
出版年月日 昭和4
  北軍歩兵第十七聯隊將校(其の二)
後列 今野源吉少佐 德永 德少佐 助川啓爾大尉
前列 進藤憲三少佐 吉井靜吉中佐 新井泰治少佐 秋山喬樹少佐
 p81【鳳輦の躅】昭和4年
〔画像〕p81【鳳輦の躅】昭和4年

【官報 1932年08月09日】昭和7年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和7年
 陸軍步兵大尉 從六位 勳六等 助川 啓爾
 陸軍歩兵大尉 從六位 勳四等 三田村 @(文カンムリに旦)
 陸軍歩兵大尉 從六位 勳五等 山澤  饒
任陸軍歩兵少佐
◎昭和七年八月八日 p8/33
https://dl.ndl.go.jp/pid/2958154/1/3
步兵第二十聯隊附陸軍歩兵少佐
助川啓爾
京都府立須知農林學校服務ヲ免ス
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京都十六師團長 山本鶴一中將、大島參謀長、上山中佐等 參綾「二代敎主と記念撮影」【壬申日記 7の巻】昭和7年7月

【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
著者    月の家 著
出版者   天声社
出版年月日 昭和7.6
 月の家 著
 壬申日記 七の巻
 昭和七年 自 七月 一日
      至 七月卅一日
 p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
〔画像〕p3【壬申日記 7の巻】昭和7年7月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/3
  十六師團長等參綾
   二代敎主と記念撮影
京都十六師團長 山本鶴一中將、
大島參謀長、上山中佐等は
去月十八日午後一時、
※昭和7年6月18日
舞鶴重砲隊を檢閲、歸京の途、
綾部下車大本本部を訪ひ、
本宮山穹天閣に入り、
二代敎主に面會、
階上の寶物を巡觀し、
記念撮影の後、歸京した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/33
昭和七年十一月十五日印刷
昭和七年十一月廿 日發行
壬申日記七の巻奥附
定價 一圓
編輯者     櫻井重雄
  京都府南桑田郡龜岡町字京町四十二番地
印刷者兼發行者 吉原常三郎
  京都府南桑田郡龜岡町字古世大垣内八十六番地
印刷所     第二天聲社
  京都府南桑田郡龜岡町荒塚内丸一番地
  振替大阪七五九一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1137838/1/200
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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【職員録 昭和7年7月1日現在】
著者    内閣印刷局 [編]
出版者   内閣印刷局
出版年月日 昭和7
[陸軍省] 麴町區永田町
第十六師團司令部  京都市伏見區
師團長  中將   山本鶴一
          京都市伏見區深草田谷町
〇參謀部
 參謀長 歩兵大佐 大島陸太郎
 參謀  歩兵中佐 西村 敬三
     歩兵少佐 川久保鎭馬
     歩兵大尉 星 駒太郎
〇副官部
 副官  歩兵中佐 上山 慶藏
     歩兵少佐 上住 良吉
     歩兵大尉 吉田 武雄
     歩兵大尉 矢澤 淸美
〇歩兵第二十聯隊 京都府天田郡福知山町
京都府立須知農林學校服務
歩兵大尉 助川啓爾
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《塙 信一》檜山村信用購買販賣利用組合【官報 1928年03月31日】昭和3年

【官報 1928年03月31日】昭和3年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和3年
◎有限責任 檜山村信用購買販賣利用組合 變更
一 昭和三年一月二十五日
  理事監事全員任期滿了
  理事 松村三右衞門 澤田八郞ハ退任
  伊藤耕作 岩岡米藏  太田源治郎
  塙 信一 中西卯之助 竹內房吉 小原龜吉ハ
  各重任シ
  近藤敏雄  船井郡檜山村字橋爪七十二番地
  松村彌太郞 船井郡檜山村字大朴小字世戸垣内十六番地
  各理事ニ新任
  同日 監事 田淵長藏 太田平馬ハ退任シ
  中西寛一郎ハ重任シ
  左記ノ者 監事ニ新任ス
  松村福太郎 船井郡檜山村字橋爪小字檜山四十七番地
  中村榮太郎 船井郡檜山村字井尻小字東中地三十七番地
右 昭和三年二月二日登記
  園部區裁判所檜山出張所
p14【官報 1928年03月31日】昭和3年
〔画像〕p14【官報 1928年03月31日】昭和3年
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