2026年02月

吉國二郎(妻 尚子:後藤英輔の妹)大蔵省事務次官・横浜銀行頭取【破竹五十年】1992

【破竹五十年】1992
出版者   [破竹会]
出版年月日 [1992]平成4年
  破竹五十年
 海軍経理学校第八期補修学生
 任官五十周年記念
p3【破竹五十年】1992
〔画像〕p3【破竹五十年】1992
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/3

  「破竹」出版後二十年
      吉國二郎
破竹が出版されてから二十年経った。
「破竹」は我々の戦争の記録であったから、
五十周年の今回の記録は、
戦後早々からの日本の社会、
経済再建の中の我々、
また大部分の者についてそれぞれが、
個人として家庭を形成して来た経過の報告でなければ、
繋がりがつかない。

私の報告は、
終戦後比較的早い(昭和20年)九月下旬に
(海軍省軍務局第二課)、
復員してから始まる。

(昭和20年)九月に大蔵省に帰って
(昭和20年)十一月に京都の下京税務署長を拝命した。
京都の東も西も解らない身で困惑した。

家が焼け、
友人阪谷芳直氏の家に厄介になっていた時、
幸に知り合った後藤英輔氏が
京都の家に母と兄、妹が疎開しているから
遠慮なく利用して呉れということで一安心。

三箇月ばかり世話になって
財務局の斡旋で小さな家を借りたが、
後藤英輔氏の妹の尚子と婚約整い
翌年(昭和21年)五月二十七日
海軍記念日に平安神宮でささやかな結婚式を挙げた。
媒酌は京大の汐見三郎先生御夫妻にお願いした。

現在、私は、七十三才、尚子六十六才、

長男真一、四十二才、(妻ゆり、男児二名)
日銀国際局国際収支課長、

次男浩二、四十才(妻三千子)
NHK経済部名古屋支局勤務、

三男裕三、三十八才(妻裕子、男児二名)
NTT通信研究所勤務ということで
家庭は一応形成されたと思っている。

その間、
日本経済は困難な戦後を米ソ対立の結果の
占領政策の転換によって切り抜け
昭和三十年代に入って、
第一回の五箇年計画以降急速な成長過程に入った。

(昭和)二十三年に本省に戻り、
泉山蔵相の秘書官を勤めた後、
主税局に配置され、事後、
大部分を税界勤務で過ごした。

役職の振出しは
昭和二十六年国税庁法人税課長、
以後
東京国税局長、證券局長(三箇月間)主税局長、
国税庁長官、事務次官、
昭和四十八年六月退官。

在任中は、
日本経済が毎年の政府の見通しを上回って成長、
それによって生じた自然増収を財源に
減税を中心に税制の整備をはかりつつ
民間に資金を還流することが出来た幸運な時期だった。

しかし、
昭和四十八年のオイル・ショックを契機に、
わが国をはじめ世界全体が大きな変動期に入って、
後輩の諸氏には、
大いに同情して健闘を祈っている。

退官後、
かつて横浜銀行伊原頭取から澄田次官を通じ
p151【破竹五十年】1992
〔画像〕p151【破竹五十年】1992
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/151

て要望があった
頭取就任話が再燃して、
昭和五十年十二月総会で頭取に迎えられた。
昭和五十一年地方銀行協会会長に選任され
昭和六十一年大倉真隆氏を頭取に迎え、
取締役会長に就任、
同時に地方銀行協会会長を辞任、
大倉頭取の急逝により現在の田中頭取を迎え、
昨平成三年取締役を辞任、
相談役となり取締役会の好意により
名誉会長の称号を認められ
今日に及んでいる。
p152【破竹五十年】1992
〔画像〕p152【破竹五十年】1992
https://dl.ndl.go.jp/pid/13236168/1/152

 破竹会
〒107 港区南青山2-27-8
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《後藤英輔》人間 村上信二郎を語る【村上信二郎回想録】1978

【村上信二郎回想録】1978
出版者   村上信二郎事務所
出版年月日 1978.8
p3【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p3【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/3

  人間 村上信二郎を語る
    後藤英輔
もう七周忌と聞いて驚いている。
信二郎が亡くなってからの六年間は、
非常に激動の時代であっただけに、
あれだけの行動力、
実行力のある彼が生きていたならば、
どんな政治家になっていたであろうかと、
大変関心深いものがある。

それだけに、早く亡くなった事は、
誠に残念である。

信二郎と私とは、
中学後半、浪人時代、一高大学
と殆ど同じコースをたどってきた。

故にクラスメートとしても、
縁が深く、又、
愛媛と高知という土地の縁もあり、
友人との中でも、
関係が深い。

殊に浪人時代、一高時代、
同じクラスであったから、
彼の特徴を良く知っている。

彼と私は本質的に性格が違っている。
村上は健康で、スポーツマンで、
剣道部、運動部に入っていたが、
私はむしろ中学後期より一高、
大学時代と健康を害していた。
p28【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p28【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/28

ある意味では、
私は都会型で、
信二郎は反都会型であった。
p29【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p29【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/29

孝太郎さんと殆ど同時に亡くなった事は、
地元の人も大変残念であっただろうと思う。
彼の冥福を祈る。
(公正取引委員)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/30

 故 村上信二郎略歴
大正7年11月27日
 愛媛県越智郡宮窪町大字宮窪二七〇八において、
 常太郎、正子の次男として生まれる。
大正15年4月
 広島県千田小学校入学(父の任地)
昭和6年3月
 千田小学校卒業
昭和6年4月
 広島県立第一中学校入学
昭和12年3月
 東京府立第四中学校卒業
昭和13年4月
昭和16年3月
 同校卒業
昭和16年4月 ※昭和17年10月
昭和20年9月
 同学卒業

昭和27年5月11日
 長男 誠一郎生まれる。

昭和46年9月8日
 兄 孝太郎死去(享年五十五才)
昭和47年8月26日
 死去(享年五十三才)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/102

 七回忌法要において挨拶する村上誠一郎氏
p126【村上信二郎回想録】1978
〔画像〕p126【村上信二郎回想録】1978
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/126
   (非売品)
書 名 村上信二郎回想録
発行日 昭和53年8月26日
発行所 今治市別宮町2丁目4-2
    村上信二郎事務所
編集責任者 二宮早志
印刷所 森山印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/12193778/1/127
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《後藤英輔・村上信二郎》東京帝国大学法学部 法律学科 政治学科:入学 昭和17年10月 卒業 昭和20年9月

【東京帝国大学一覧 昭和17年】

著者    東京帝国大学 編

出版者   東京帝国大学

出版年月日 昭和16-18

 p4【東京帝国大学一覧 昭和17年】

〔画像〕p4【東京帝国大学一覧 昭和17年】

https://dl.ndl.go.jp/pid/1451114/1/4

  第二 法學部

https://dl.ndl.go.jp/pid/1451114/1/291

 法學部 法律學科

◎昭和十七年十月入學

後藤 英輔  東京

https://dl.ndl.go.jp/pid/1451114/1/292

 法學部 政治学科

◎昭和十七年十月入學

村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1451114/1/299

 

【東京大學卒業生氏名録】1950

出版者   東京大學

出版年月日 1950.11

 法學士 法律學科

◎昭和二十年九月卒業

後藤 英輔  東京

https://dl.ndl.go.jp/pid/2529965/1/69

 法學士 政治学科

◎昭和二十年九月卒業

村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/2529965/1/108

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 blog[小野一雄のルーツ]改訂版

2026022505:20

《後藤英輔・村上信二郎》第一高等学校 文科丙類(佛語)

入学 昭和13年 卒業 昭和16

https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/45838589.html

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《後藤英輔・村上信二郎》第一高等学校 文科丙類(佛語)入学 昭和13年 卒業 昭和16年

【第一高等学校一覧 昭和13年至14年】

出版者   第一高等学校

出版年月日 昭和13

 p3【第一高等学校一覧 昭和13年至14年】

〔画像〕p3【第一高等学校一覧 昭和13年至14年】

https://dl.ndl.go.jp/pid/1278208/1/3

 

 ◎第一高等學校學則

    第一款 學科課程、敎授時籔

第一條 本校ノ學科ハ高等科文科及高等科理科トシ

    其ノ學科課程及敎授時籔ハ

    大正八年文部省令第八號ニ據ル

第二條 外國語ハ英語、獨語又ハ佛語トシ

    其ノ類別左ノ如シ

    文科甲類 英語ヲ第一外國語トスルモノ

    同 乙類 獨語ヲ第一外國語トスルモノ

    同 丙類 佛語ヲ第一外國語トスルモノ

    理科甲類 英語ヲ第一外國語トスルモノ

    同 乙類 獨語ヲ第一外國語トスルモノ

    第二款 學年、學期及休業

第一條 學年四月一日ニ始マリ翌年三月三十一日ニ終ル

https://dl.ndl.go.jp/pid/1278208/1/48

◎生徒(昭和十三年九月一日現在)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1278208/1/85

 文科丙類第一學年(三十名)

東京府 四中  後藤 英輔  高知

東京府 四中  村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1278208/1/93

 

【第一高等学校一覧 昭和14年至15年】

出版者   第一高等学校

出版年月日 昭和14

 文科丙類第二學年(三十名)

東京府 四中  後藤 英輔  高知

東京府 四中  村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1278218/1/88

 

【第一高等学校一覧 自昭和15年至昭和16年】

出版者   第一高等学校

出版年月日 昭和15

 文科丙類第三學年(三十一名)

東京府 四中  後藤 英輔  高知

東京府 四中  村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1275602/1/87

 

【第一高等学校一覧 昭和16至17年】

出版者   第一高等学校

出版年月日 昭和16-19

◎昭和十六年三月(高等科)卒業生(二百九十六名)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1277149/1/114

 文科丙類(三十名)

後藤 英輔  高知

村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1277149/1/116

 

【第一高等学校一覧 昭和16至17年(附録)】

出版者   第一高等学校

出版年月日 昭和16-19

◎昭和十六年三月(高等科)卒業生(二百九十六名)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1277165/1/179

 文科丙類(三十名)

後藤 英輔  高知

村上信二郎  愛媛

https://dl.ndl.go.jp/pid/1277165/1/181

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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 blog[小野一雄のルーツ]改訂版

2026022605:10

《後藤英輔・村上信二郎》

東京帝国大学法学部 法律学科 政治学科:

入学 昭和1710月 卒業 昭和209

https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/45838634.html

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《後藤英輔さん:元・公正取引委員会委員》捨ててほしい後進地の発想【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990

【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
出版者   高知新聞社
出版年月日 1990.3
p1【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
〔画像〕p1【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250930/1/1

自然と文化を生かせ
  捨ててほしい後進地の発想
   元・公正取引委員会委員
        後藤英輔さん
◎1919年12月3日生まれ
◎元・公正取引委員会委員/コンサルタント
◎〒150東京都渋谷区神宮前6-33-7ヒルサイドテラス
◎「国際化時代に高知自身が世界の風をどうつかむかが
  問われています」と語る後藤英輔さん
 (東京・銀座の事務所で)

大正八年、宿毛市本町の清宝寺に生まれた。
父親の環爾(かんじ)さんは西本願寺派の高僧として知られ、
京都本山の宗務総長を務めたほか、
関東大震災後の東京・築地本願寺の再建や難民救済、
ハワイ、北米への布教などにも貢献した人物。

後藤さんも三歳のころ上京。
築地本願寺の境内で育ち、
築地小、府立四中(現・戸山高)、
一高東京帝大と進んだ。

大学在学中、健康を損ね、
昭和十八年から二十二年まで郷里の宿毛で過ごした。
このため「学徒動員も免れ、大学も自動的に卒業」。
できたばかりの公取委事務局に奉職した。

昭和五十七年退職後、
広告会社の電通に顧問として迎えられ、
経験を生かしたアドバイザーに。

昭和六十二年秋からは独立して
東京・銀座に『後藤事務所』を構えている。
p80【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
〔画像〕p80【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250930/1/80

「それから、先進地に追いつけという発想は
 自ら後進地であることを認めることであり、
 ともすると卑屈になっちゃうから
 考えを変えるべきじゃないかな。
 同時代を共有するものとして
 地域の役割を見極めていかなくてはね」

ざっくばらんな人柄、広い人脈。
高知県勢発展のため、
後藤さんの活躍に期待がつのる。

趣味はハンディ18のゴルフと宗教関係の読書。
長女は嫁ぎ、長男は北海道で学生生活。
自宅では邦子夫人と二人暮らし。
p81【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
〔画像〕p81【ふるさとマイレター (Koshin books)】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250930/1/81
ふるさとマイレター  ¥1,700
平成2年3月8日発行
発行人 橋井昭六
発行所 高知新聞社
    高知市本町3-2-15
制 作 高新企業(株) 出版部
印 刷 高知印刷株式会社
販売元 高新企業株式会社
    〒780 高知市本町3-2-15
        高知新聞放送会館内
    TEL (0880)73-815(直通)
    FAX (0880)22-2419
https://dl.ndl.go.jp/pid/13250930/1/161
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後藤英輔・電通顧問:浜口庫之助・作曲家:三宮正彦・資生堂会長:昭和56年4月【南風対談 続・続 (Koshin books)】昭和61年(1986)

【南風対談 続・続 (Koshin books)】昭和61年(1986)
著者    山田一郎 聞き手
出版者   高知新聞社
出版年月日 1986.6
p1【南風対談 続・続 (Koshin books)】1986
〔画像〕p1【南風対談 続・続 (Koshin books)】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12255743/1/1

女性に美を 自転車の少年詩人
      三宮正彦氏
https://dl.ndl.go.jp/pid/12255743/1/67

電通顧問・後藤英輔さん(左)
作曲家・浜口庫之助さん(右)
資生堂 会長・三宮正彦(中)
昭和56年(1981)4月
p74【南風対談 続・続 (Koshin books)】1986
〔画像〕p74【南風対談 続・続 (Koshin books)】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12255743/1/74
 続・続 南風対談
昭和61年6月25日発行 ¥1,800
著 者 山田一郎
発行者 中島 暁
制 作 高新企業(株)出版部
発行所 (株)高知新聞社
印刷所 高知印刷株式会社
販売元 高新企業株式会社
〒780 高知市本町3-2-15
    高知新聞放送会館内
TEL (0880)73-8145
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2012年04月18日13:14
『後藤英輔:浜口庫之助の思い出 p28-33』
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【後藤英輔氏略歴】大正8年(1919)12月3日高知県宿毛市生まれ【内航近海海運 29(631)】1994-03

【内航近海海運 29(631)】1994-03
出版者   内航ジャーナル
出版年月日 1994-03
p1【内航近海海運 29(631)】1994-03
〔画像〕p1【内航近海海運 29(631)】1994-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/2881016/1/1

船調存続は運輸省の考え方次第
 2/17 松山の海運ゼミで後藤元公取委員見解
講演会風景。上は講師の後藤氏

【後藤英輔氏略歴】
大正八年(1919)十二月三日生まれ。
高知県宿毛市生まれ、東京都育ち。
昭和二十年(1945)東京大学法学部卒。
中学から大学まで村上信二郎参議院(※衆議院)議員と同級で、
同議員実兄孝太郎元参議院議員(当時大蔵省勤務)の紹介で
昭和二十二年(1947)十二月 公正取引委員会設立と同時に入る。
昭和五十一年(1976)十月 公取事務局長。
昭和五十二年(1977)六月 事務局出身初の公取委員に就任。
昭和五十七年(1982)十月 退官。
昭和五十七年(1982)十月 電通顧問。
昭和六十二年(1987)九月 同社退職。
昭和六十二年(1987)十月 後藤事務所代表。
平成元年(1989)六月 全国公正取引協議会理事副会長。
平成元年(1989)十月 社会教育功労賞(文部大臣)受章。
平成二年(1990)四月 勲二等瑞宝章受章。
p41【内航近海海運 29(631)】1994-03
〔画像〕p41【内航近海海運 29(631)】1994-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/2881016/1/41
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公害反対のデモ行進(瑞穂町・昭和45年頃)【目で見る亀岡・船井の100年】1995

【目で見る亀岡・船井の100年:亀岡市・船井郡・北桑田郡】1995
出版者   郷土出版社
出版年月日 平成7年(1995.9)
p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/5

▲公害反対のデモ行進(瑞穂町・昭和45年頃)
 バッテリー再生工場建設による鉛公害を心配し、
 工場建設中止のデモ行進をする住民たち。
p124【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p124【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/124
目で見る 亀岡・船井の100年
発行日 一九九五年九月二二日
監 修 永光 尚
執 筆 小畑 弘
    谷口 哲
    遠山泰之
発行人 高橋将人
発行所 株式会社 郷土出版社
    岐阜市岩崎1154-1(〒502)
    電話(058)237-5222(代)
    FAX(058)237-5294
    振替00830-6-46962
    <信州・名古屋・新潟>
印 刷 電算印刷株式会社
製 本 株式会社 渋谷文泉閣
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年12月08日13:58
瑞穂町猪鼻、三宮両地区公害対策委員会(梅垣辰治委員長)
<住民と鉛工場、公害ゼロの誓約書>
昭和45年【公害年鑑 1971年版】
次いで昭和45年9月11日に
京都府瑞穂町の地域住民が
中島金属株式会社猪鼻冠石工場との間で
締結したものがある

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年12月08日06:22
京都府船井郡瑞穂町<住民と鉛工場で公害ゼロの誓約書>
昭和45年【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
誓約書をとりかわしたのは、
同町猪鼻・三宮両地区住民で組織している
公害対策委員会(約八〇戸)と
猪鼻地区にあるN金属会社猪鼻冠石工場。
同工場は、ことし三月、
猪鼻地区の山間部に五トンの炉をすえ、
古バッテリーなどから
月約一〇〇トンの鉛の再生を始めた。
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瑞穂町の成人式(瑞穂町・昭和45年)【目で見る亀岡・船井の100年】1995

【目で見る亀岡・船井の100年:亀岡市・船井郡・北桑田郡】1995
出版者   郷土出版社
出版年月日 平成7年(1995.9)
p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/5

▶瑞穂町の成人式(瑞穂町・昭和45年)
 昭和23年に国民の祝日として
 「成人の日」が制定され、
 新成人を祝うこととなった。
p123-2【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p123-2【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/123
目で見る 亀岡・船井の100年
発行日 一九九五年九月二二日
監 修 永光 尚
執 筆 小畑 弘
    谷口 哲
    遠山泰之
発行人 高橋将人
発行所 株式会社 郷土出版社
    岐阜市岩崎1154-1(〒502)
    電話(058)237-5222(代)
    FAX(058)237-5294
    振替00830-6-46962
    <信州・名古屋・新潟>
印 刷 電算印刷株式会社
製 本 株式会社 渋谷文泉閣
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/152
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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京都府青年団体指導者研修会(瑞穂町・昭和44年)【目で見る亀岡・船井の100年】1995

【目で見る亀岡・船井の100年:亀岡市・船井郡・北桑田郡】1995
出版者   郷土出版社
出版年月日 平成7年(1995.9)
p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p5【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/5

◀京都府青年団体指導者研修会(瑞穂町・昭和44年)
 戦後の青年団体の活動は、
 敗戦により国家統制からはなれ、
 スポーツ、文化活動、青年の権利擁護など
 様々な活動が行なわれるようになった。
p123-1【目で見る亀岡・船井の100年】1995
〔画像〕p123-1【目で見る亀岡・船井の100年】1995
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/123
目で見る 亀岡・船井の100年
発行日 一九九五年九月二二日
監 修 永光 尚
執 筆 小畑 弘
    谷口 哲
    遠山泰之
発行人 高橋将人
発行所 株式会社 郷土出版社
    岐阜市岩崎1154-1(〒502)
    電話(058)237-5222(代)
    FAX(058)237-5294
    振替00830-6-46962
    <信州・名古屋・新潟>
印 刷 電算印刷株式会社
製 本 株式会社 渋谷文泉閣
https://dl.ndl.go.jp/pid/12668037/1/152
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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