2026年04月

歩兵少佐 故鈴木良光 寡婦 鈴木雅 終身扶助料 年額 百五拾圓也:明治17年10月21日

件名標題 10_21仙台鎮台軍人寡婦より扶助料下賜度旨出願
レファレンスコード C09071869000
資料作成年月日 明治17年10月21日~明治17年10月21日
規模 4
組織歴/履歴 陸軍省

内容
明治十七年十月二十一日
二十五日付 卿 総務局長 房長
 壹第一一三五号
仙台鎮台 軍人寡婦ヨリ扶助料
下賜度旨出願

主任局長 副長及次長 主任課長
別紙 壹第一一三五號 出願之件 審按仕候處
恩給令第二十一条ニ適シ
扶助料可賜者ニ付 左ニ太政官ヘ御上申案
取調及上申候也
C200093384400_0001
〔画像〕C200093384400_0001

   御上申案
歩兵少佐故鈴木良光寡婦扶助料
下賜之儀ニ付上申
 東京府武蔵国小石川区武島町 士族
 宮城県仙台区大聖寺表門通 寄留
    非職
 歩兵少佐 故鈴木良光 寡婦
 一 扶助料年額 百五拾圓也 雅
右 故歩兵少佐鈴木良光儀 病ニ罹リ
仙台陸軍病院ニ於テ
明治十六年十二月五日 死去致候
就テハ明治十六年九月十一日
欽定陸軍恩給令ニ拠リ
右寡婦ヘ終身扶助料トシテ
前@ニリ年額下 賜度
C200093384400_0002
〔画像〕C200093384400_0002

依テ別紙願
C200093384400_0003
〔画像〕C200093384400_0003
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年11月06日11:25
非職歩兵少佐「鈴木良光」
仙臺陸軍病院ニ於テ去ル五日死亡セシ
【官報 1883年12月12日】明治16年
https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/45358052.html
【官報 1883年12月24日】明治16年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治16年
◎故歩兵少佐鈴木良光 外一名ハ
 一昨廿二日各左ノ通仰渡サレタリ
 故歩兵少佐從六位勳四等 鈴木良光
 多年奉職勉勵候ニ付
 爲祭粢料金貳百五拾圓 下賜候事
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年11月03日15:20
《鈴木雅子さん》陸軍中佐の未亡人で、
横浜二百十二番館の女學校を卒業した英語の達者な女性でした:
大関 和(ちか)【明治百話】昭和6年
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[我が家の花壇]20260429


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[端艇部]昭和十三年度學友會各部部員【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年

【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
出版者   關東學院高等商業部學友會
出版年月日 1938.5
p1【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
〔画像〕p1【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/1
  各部員一覽
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/21
  昭和十三年度學友會各部部員一覽
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/22
端艇部
部 長    木川 敎授
主 將 三B  勝野  信
委 員 三A  森 荒治朗
       佐々木長重
    二B  八木原修良
    一C  若宮 得成
       市村喜八郎
       神谷 照煕
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/25
昭和十三年五月廿二日印刷
昭和十三年五月廿五日發行
編輯兼 白山源三郎
發行人 横濱市中區三春臺
    關東學院高等商業部
印刷所 成信舎印刷所
    横濱市中區戸部町六丁目二一三番地
    電話(3)六三三六番
發行所 關東學院高等商業部學友會
    横濱市中區三春臺
    關東學院
    電話(3)〇二〇一番一二五三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/38
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[野球部]昭和十三年度學友會各部部員【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年

【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
出版者   關東學院高等商業部學友會
出版年月日 1938.5
p1【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
〔画像〕p1【會員名簿】關東學院高等商業部學友會 昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/1
  各部員一覽
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/21
  昭和十三年度學友會各部部員一覽
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/22
野球部
部 長    川崎 敎授
主 將 三A  川口 文雄
委 員 三B  新美 爲三
マネヂヤー
    三A  加賀谷吉之助
〃   一C  西池 英顯
部 員 三B  溫  瑞雄
    二A  吉村 和雄
       湊   康
       佐藤 一郎
    二B  平塚 總平
       佐藤  正
    一A  粟屋禮次郎
       山本  良
       平野 精一
    一B  井上米吉郎
       川崎 瀧男
       澁谷  敏
       池畑 喜幸
    一C  乾  一馬
       中村 勇吉 
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/25
昭和十三年五月廿二日印刷
昭和十三年五月廿五日發行
編輯兼 白山源三郎
發行人 横濱市中區三春臺
    關東學院高等商業部
印刷所 成信舎印刷所
    横濱市中區戸部町六丁目二一三番地
    電話(3)六三三六番
發行所 關東學院高等商業部學友會
    横濱市中區三春臺
    關東學院
    電話(3)〇二〇一番一二五三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899485/1/38
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横尾彈九郎 外 十二名[渡米の名士無名士]横濱ヨリ開帆ノ蒸氣船「アメリカ」:明治四年七月十五日

[渡米の名士無名士]
〔七・一三、外務省日誌〕明治四年七月十三日
 洋歷千八百七十一年第八月廿八日
 ※明治4年7月13日(1871年8月28日)
◎米國在留日本領事ノ來翰。
 以手紙致啓上候、
 然バ横濱ヨリ開帆ノ蒸氣「アメリカ」(船號)船ニテ
 第七月十五日
 ※明治4年7月15日(1871年8月30日)
 左ノ貴國人 當港ヘ到着相成申候。

427-横尾彈九郎 外十一名 公費生徒
 ※横尾彈九郎 外十二名 公費生徒
453-峯 源次郎(佐賀)  私費生徒

※番号=外務省記録[本官勘合帳 外国官一号]
427-横尾彈九郎 佐賀藩
428-執行謙九郎 佐賀藩
429-八戸欽三郎 佐賀藩
430-大塚 琢藏 佐賀藩
431-山口賢五郎 佐賀藩
432-高木 報蔵 佐賀藩
433-福地 家良(鷹次)佐賀藩
434-吉武 桂仙 佐賀藩
435-浅田 逸次 佐賀藩
436-古川常一郎 佐賀藩
450-石井助三郎 佐賀藩
451-長尾俊次郎 佐賀藩
452-辻 春十郎 佐賀藩
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【幕末教育史の研究 3 (諸藩の教育政策)】1986
著者    倉沢剛 著
出版者   吉川弘文館
出版年月日 1986.4
p3【幕末教育史の研究 3 (諸藩の教育政策)】1986
〔画像〕p3【幕末教育史の研究 3 (諸藩の教育政策)】1986
https://dl.ndl.go.jp/pid/12042433/1/3

二八 佐賀藩士一四人が英・仏・独 三国へ藩費留学
第二七に、佐賀藩は明治四年四月二十四日、
つぎのように弁官に願い出た。
英 学  横尾弾九郎
同    執行謙九郎
同    八戸欽三郎
仏 学  大塚 琢蔵
同    山口賢五郎
英 学  高木 報蔵
仏 学  福地 鷹次
独逸学  長尾俊次郎
同    辻 春十郎
同    吉武 桂仙
仏 学  浅田 逸次
https://dl.ndl.go.jp/pid/12042433/1/356
独逸学  石井助三郎
英 学  古川常一郎
   -略-
さらに同じく明治四年五月二日
藩士 峯源次郎(当未二十二歳)もまた
独逸留学を許可された。
このようにして佐賀藩士一四人は、
太政官の命で海外視察に行く
馬渡作次郎・山中一郎と同道、
明治四年五月欧州各国へ旅立ったのである。
そして英国組は主として海軍、
仏国組は主として陸軍、
ドイツ組は主として医学をめざしたであろう。
一藩から一挙に一四人の藩費留学、
佐賀藩も思いきったことをしたものである。
しかし一四人が欧州についてまもなく廃藩置県となり、
全員が藩費留学から官費にきりかえられる。
この藩の洋学への意欲は実に底深いものが感じられる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12042433/1/357
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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瑞慶覧(ずけらん)"難読姓の"きわめつき【沖縄姓名と風土】1983

【沖縄姓名と風土】1983
著者    多和田真助 著
出版者   沖縄タイムス社
出版年月日 1983.10
p1【沖縄姓名と風土】1983
〔画像〕p1【沖縄姓名と風土】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209060/1/1

  瑞慶覧……"難読姓の"きわめつき
沖縄の姓は、「門中を重んずる傾向」が強いようである。
たとえば、石川市山城部落の一門中が、
そっくり「山城さん」だったり、
玉城村の尚泰久の末裔である
屋良門中の「安次富さん」など、
このほかいくつかの例がある。

この門中を重んずる傾向は、
それだけ祖先を尊ぶということの
証明とも受けとれるものだが、
こと「姓名」に限って見ると、
多くの「同姓同名」者が続出している。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209060/1/38

これなど、沖縄ならではの現象といえる。

大里村の銭又部落には「瑞慶覧さん」がいっぱいいる。
同部落の世帯数が三十六戸で、
表礼はどこもかしこも「瑞慶覧」。

案の定、同姓同名が何組かあった。
最も多いのが「瑞慶覧長仁さん」で、
同部落内に十二人。
三十余戸数のなかから十二人ということだから、
相当の割合で同姓同名者が出たことになる。
次いで、「瑞慶覧長徳さん」が七人、「長吉さん」五人。
この三つが集中してあった。

沖縄の場合、同一門中における
「同姓同名」はさして珍しいことでもない。
どの門中でも、何組か抱えているものだが、
銭又の「瑞慶覧さん」のケースはきわめて
まれといえるのでは。

どうして「長仁さん」がこんなに続出したのか。
地元の人たちの話を聞いて納得。
部落の大長老的存在の人物にならって
命名したことが理由だった。
この大長老の名が「長仁さん」。
四年前に九十七歳で他界したが、
がん強な体の持ち主で、
戦後の荒れ果てた畑を開墾、財を築いた。
その働きぶりから
「ブルドーザー・タンメー」とも呼ばれ、
部落の人たちの模範となり、
並々ならぬ尊敬の念が寄せられたという。

同村の瑞慶覧一族は、いわゆる居留民。
とはいっても、大里村に住みついてから
二百年の歴史を持つ。
県会議員だった瑞慶覧長方さん(四九)も同部落の出身。
同氏によると、一族の先祖は首里の士族。
二百年前に都落ちをして、
銭又の屋取(ヤードゥイ)をつくった。
ちなみに同門中は、
氏が「寵」(チョウ)、名乗頭が「長」ということだ。

したがって、同門中の場合も、
沖縄の他の氏門中の例にもれず、
「瑞慶覧」と「長」までは同一。
名の下の一字で区別しているにすぎない。
同姓同名の続出は当然予想されたことであったが、
名乗頭の「長」に対する愛着は断ち難く、
また根強い門中志向があった。

この門中に対する意識も、
一時期とは事情がちがってきているようである。
四十歳以上の人たちは、
名乗頭「長」の一字を用いた名を持っているが、
若い世代では少なくなりつつある。

瑞慶覧さんは
「時代の流れでしょう。
 かといって全く絶やしてしまうわけにはいかない。
 長男だけは『長』の字をつけて、
 門中をはっきりさせないといけない。
 二男、三男はやむを得ないのでは……」と語る。

ところで、この「瑞慶覧」の姓、
他県に行くと"難読姓の"きわめつき。
それだけ沖縄固有の姓ということになると思うが、
本土の大学で学ぶ県出身のいかつい男子が
「瑞」(ズイ)、「慶覧」(ケイラン)と読まれ、
見目うるわしき中国女性にまちがわれた珍談もある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209060/1/39

  バラエティに富む多良間の姓
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209060/1/122

多和田 真助(たわた しんすけ)
1943年生。
1968年、沖縄タイムス入社、
現在本社社会部員。
その間、中部支社、学芸部
糸満支局をそれぞれ勤務。
現住所 宜野湾市字野嵩549番地

沖縄 姓名と風土 定価1,500円
初 版 昭和58年7月25日
第2刷 昭和58年10月20日
著 者 多和田 真助
発行人 玉城  義弘
発行所 沖縄タイムス社
    沖縄県那覇市久茂地
      2丁目2番地の2
    電話(代)67-3111
印刷・製本 南西印刷(株)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209060/1/129
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沖縄県立宮古病院附属多良間診療所(令和7年4月現在)診療所スタッフの紹介

沖縄の離島医療を支援していただく
医療人を募集
多良間診療所多良間島 (令和7年4月現在)
〒906-0601
沖縄県宮古郡多良間村字塩川162-3
TEL:0980-79-2101
FAX:0980-79-2103

多良間島は宮古島と石垣島の中間に位置する島で、
宮古島からの飛行機とフェリーが運航しています。 
人口は1000人程で、
島唯一の医療機関は多良間診療所になります。
診療所では成人の慢性疾患、小児診療、外傷、救急などを含め、
あらゆる疾患に対応しています。

診療所スタッフの紹介(令和7年4月現在)
医師:瑞慶覧 聡太
温かく、フレンドリーな島民の方々に支えられながら
毎日楽しく診療を行っています。
患者様一人一人の背景を理解し、
患者中心の医療の実践を心がけていきます。

看護師:知念 玲
産休・育休を経て、2025年度より戻ってきました。
子育てしながらの仕事に、毎日が大忙しです。
仕事復帰して、島の皆さんに助けられてばかりです。
初心を思い出し、一人一人の思いに寄り添えるような
看護が出来たらと思っています。

補助員:羽地 節子
患者様、仕事関係者の方々への心配りを忘れずに
相手の立場になって考え行動できるように
頑張っていきたいと思います。
多良間診療所多良間島 (令和7年4月現在)
〔画像〕多良間診療所多良間島 (令和7年4月現在)

沖縄県立宮古病院附属多良間診療所長
〔画像〕沖縄県立宮古病院附属多良間診療所長

那覇空港から多良間島まで 所要時間  約1時間30分
※ルートおよび交通状況により異なります。
那覇空港から飛行機で宮古空港(宮古島)へ行き、
さらに飛行機で多良間島へ
※宮古島から船で多良間島へ 約2時間
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総合診療医 瑞慶覧聡太(ずけらん そうた)京丹波町病院 医師(副院長):総合医療と地域のつながり2026/04

いきいき健康術
総合診療医
瑞慶覧 聡太(ずけらん そうた)
医師(副院長)
国保京丹波町病院
和知診療所

京丹波町の皆さん、はじめまして! 
この度、京丹波町病院に赴任いたしました、
瑞慶覧聡太と申します。
私はこれまで、
沖縄本島や京都府丹後地域をはじめとする各地で
「総合診療医」として地域診療に携わり、
先月まで沖縄県宮古島の西側に位置する
人口約千人の多良間島(たらま じま)で
離島診療所医師として働いておりました。
 -略-
京丹波町でも、まずは皆さんとのつながりを大切に、
誠心誠意取り組んで参ります。
ゲートボールのお誘いがあれば
いつでもお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
瑞慶覧聡太医師 京丹波町病院
〔画像〕瑞慶覧聡太医師 京丹波町病院
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瑞慶覧聡太先生 瑞慶覧友香先生:新しい常勤医師に赴任いただきました【京丹波町病院】2026年4月1日

国保京丹波町病院
新しい常勤医師に赴任いただきました
【京丹波町病院】2026年4月1日

本日から当院に”常勤医”として着任いただいた
お二人の瑞慶覧(ずけらん)医師、
姓を同じくするお若いご両名はご夫婦です。

勤務初日は、午後1時30分からオリエンテーションが行われ、
院長はじめスタッフから業務に関するレクチャーを受け、
最後は撮影機器、検査機器の操作方法の説明を受けました。

瑞慶覧聡太先生は、
地域包括ケアシステムになくてはならない
”総合診療科”の医師で、
京都府立医大総合診療科の次世代の旗頭です。

瑞慶覧友香(ともか)先生は、
循環器内科がご専門ですが、
当院では総合内科として幅広い診療をされます。
質美診療所の所長としてもお世話になります。

今日は新任の看護師や事務職の3名も同席しました。

いよいよこの時が来たか・・・という印象です。
当院にも新しい風が吹く予感しかありません。

当院一筋で来られ、
慕って来て下さる患者様も多い垣田院長ですが、
いつも以上に力が籠ったレクチャーだったように感じました。
だからなのか、なんだかいつも以上に早口でした(;^_^A
(↑それ、あかんやつちゃう?!)。
新しい常勤医師赴任【京丹波町病院】20260401
〔画像〕新しい常勤医師赴任【京丹波町病院】20260401
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仕事初め式を行いました【京丹波町病院】2026年4月2日
今日は令和8年度の初日となる4月1日の火曜日でした。
瑞慶覧(ずけらん)聡太副院長:
「京都では北部医療センターにも勤めたりしましたが、
直近は沖縄の離島、多良間で”ひとり医師”をしていました。
よろしくお願いします。」

参加したスタッフの一部は、
瑞慶覧先生の”格好良さ”と、あいさつに含まれる
”情報量の多さ”の両方にキャパオーバーしたかもしれません(笑)

(瑞慶覧(ずけらん)友香医師は、
子育て真っただ中のママさん先生です。
本日は、早退されたため式は欠席でした。)
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[渡米の名士無名士]横濱ヨリ開帆ノ蒸氣船「アメリカ」:明治四年七月十五日【新聞集成明治編年史 第1巻】1982

【新聞集成明治編年史 第1巻】1982
著者    中山泰昌 編
出版者   本邦書籍
出版年月日 1982.11
p3【新聞集成明治編年史 第1巻】1982
〔画像〕p3【新聞集成明治編年史 第1巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12283346/1/3

明治四年七月(皇紀二五三一=西歷一八七一)

[渡米の名士無名士]
〔七・一三、外務省日誌〕明治四年七月十三日
 洋歷千八百七十一年第八月廿八日
 ※明治4年7月13日(1871年8月28日)
◎米國在留日本領事ノ來翰。
 以手紙致啓上候、
 然バ横濱ヨリ開帆ノ蒸氣「アメリカ」(船號)船ニテ
 第七月十五日
 ※明治4年7月15日(1871年8月30日)
 左ノ貴國人 當港ヘ到着相成申候。

※番号=外務省記録[本官勘合帳 外国官一号]下記ブログ
424-細川潤二郎(東京)  民部省官員、行先サンフランシスコ。
426-吉田 二郎(東京)  會計局掛、行先サンフランシスコ。
454-柳谷謙太郎(東京)  外務省飜譯掛、行先サンフランシスコ、
                  ワシントン、ニユーヨルク。
446-眞崎長兵衛(東京)  東京府官員、行先サンフランシスコ。
447-白井 勇象(東京)  東京府官員、行先サンフランシスコ。
444-加賀 權作(肥前)  肥前官員、行先サンフランシスコ。
438-岩尾 俊貞(熊本)  肥後官員、行先サンフランシスコ。
418-佐羽吉右衛門(東京) 商人、行先サンフランシスコ。
448-鹿島萬兵衛(東京)  商人、行先サンフランシスコ。
419-岡 太兵衛(東京)  佐羽附屬、行先サンフランシスコ。
449-阿部 虎藏(東京)  眞崎附屬、行先サンフランシスコ。
322-淸水從五位(東京)  華族、行先ニユーヨルク。
413-堀田璋之助(佐倉)  佐倉藩知事、行先ニユーヨルク。
412-富永 市藏(横濱)  淸水從五位通辯、行先ニユーヨルク。
385-朝比奈 一(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
386-近藤 環一(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
387-小野寺系介(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
388-平岡 煕々(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
384-多久乾一郎(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
381-森 誠太郎(東京)  自費ノ生徒、行先ニユーヨルク。
414-林  純佐(佐倉)  堀田璋之助附屬、行先ニユーヨルク。
422-山岡次郎太(福井)  公費生徒、行先ブルークリン。
423-木滑 貫人(福井)  公費生徒、行先ブルークリン。
416-相原安次郎(靜岡)  旅人、行先歐洲。
415-江原 素六(靜岡)  旅人、行先歐洲。
407-山本 正巳(德島)  旅人、行先歐洲。
408-星合 常恕(德島)  旅人、行先歐洲。
417-丹羽 昭陽(名古屋) 旅人、行先歐洲。
403-香川 忠武(岡山)  旅人、行先歐洲。
421-山中 一郎(佐賀)  旅人、行先歐洲。
404-津田 弘道(岡山)  旅人、行先歐洲。
420-馬渡作次郎(佐賀)  旅人、行先歐洲。
405-池田 德潤(鳥取)  旅人、行先歐洲。
406-原  六郎(鳥取)  旅人、行先歐洲。
439-片岡 益光(高知)  旅人、行先歐洲。
440-伴  正順(高知)  旅人、行先歐洲。
389-大東 義徹(彦根)  旅人、行先歐洲。
427-横尾彈九郎 外十一名 公費生徒
 ※横尾彈九郎 外十二名 別稿に記載
453-峯 源次郎(佐賀)  私費生徒。
  和田マキタ(岡山)  藩費生徒、行先歐洲。
403-森下 龍三(岡山)  藩費生徒、行先歐洲。
221-伊東益之助(肥前)  佐賀ノ臣下、行先サンフランシスコ。
226-寺田平之進(薩摩)  公費生徒、行先ベルリン。
  ダウヰードトンプソン(米國)通辯、行先歐洲。
  フランクユプトン(米國)通辯、行先サンフランシスコ。
p223【新聞集成明治編年史 第1巻】1982
〔画像〕p223【新聞集成明治編年史 第1巻】1982
https://dl.ndl.go.jp/pid/12283346/1/223
新聞集成 明治編年史 全十五巻
昭和五十七年十一月 二十日印刷
昭和五十七年十一月二十五日発行
編著者 中山泰昌
監修者 中山八郎
発行者 鈴木治雄
発行所 本邦書籍株式会社
    東京都千代田区西神田二丁目七番五号
    電話03-234-1795
https://dl.ndl.go.jp/pid/12283346/1/292
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月05日15:52
外務省記録[本官勘合帳 外国官一号]001-060ページ

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月05日16:02
外務省記録[本官勘合帳 外国官一号]061-104ページ
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