2026年05月

[學淵叢誌]越後五泉町 進修社 市島謙吉が關係:高田早苗、小野梓、和氣淸太郞、箕浦勝人等執筆【公私月報 (9)】1931-05

【公私月報 (9)】1931-05
出版者   宮武外骨
出版年月日 1931-05
 [學淵叢誌] 越後五泉町 進修社
市島謙吉が關係してゐた緣によるのか、
高田早苗、小野梓、和氣淸太郞、箕浦勝人等の
執筆せる論文があるなど、
當時の地方雜誌としては稀有のものである、
明治文庫既有品は二三冊であつたが、
今度十一號までの揃物を入手した、
『東天紅』三一頁に明治十七年十二月の
第八號を終刊としてあるのは
内務省の目錄に據つた誤記である
p2【公私月報 (9)】1931-05
〔画像〕p2【公私月報 (9)】1931-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476135/1/2
公私月報  毎月一回發行
  定價一部金十錢 郵送料二錢
  一ケ年分前金郵送料共金一圓四十錢
  但し十二部の外附錄は無料
  豫約者外は附錄一部十錢
昭和六年五月廿九日印刷
昭和錄年五月三十日發行 (内務省認可)
編輯兼 (宮武)外骨   (是本名也)
發行者 東京市本郷區龍岡町十五番地
    電話小石川(85)二六九番
    振替 東京三九四二〇番
印刷者 近藤印刷所 近藤秋治
    東京市小石川區柳町二十四番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476135/1/5
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《三木善八》當時小野梓氏が主となって神田で經營していた集成舎とゆう書物屋【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年

※集成舎⇒集成社
※経営:小野梓⇒下記、四名
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《赤坂龜次郎》明治19年故小野梓氏の遺業を繼て
牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と集成社を創立
【日本現今人名辞典 訂正3版】
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   <近代>日本人の肖像
    小野 梓
生没年
嘉永5年2月20日 〜 明治19年1月11日
(1852年3月10日 〜 1886年1月11日)
小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
〔画像〕小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
著者    報知新聞社編集局 編
出版者   報知新聞社出版部
出版年月日 大正14
p3【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
〔画像〕p3【今日の新聞】報知新聞社編集局 大正14年
   三木善八氏の入社
矢野文雄氏は明治十七年、
政情視察のためヨーロッパへでかけた。
翌明治十八年には、
長老栗本鋤雲氏が退社した。

藤田氏は、そのころ大阪にいつて、
加藤政之助氏等と、
大阪新報を經營していたが、
社が苦境におちいつて、
とうとう報知に合併という形式で、
報知の大阪支局となつた。
藤田氏と加藤氏は東京へひきあげ、
加藤氏はあらたに報知に入社した。

三木善八氏は、淡路の出身で、
以前郷里で新聞を經營していたが、
後 大阪にいで、
藤田、加藤氏とともに、
大阪新報に從事していた。
ところが新報が落城したので、
藤田氏にすゝめられるまま上京し、
當時小野梓氏が主となつて、
神田で經營していた集成舎とゆう書物屋にはいつた。
集成舍の幹部とゆうのは、
藤田茂吉、牟田口元學、相良剛造の諸氏であつた。
 -略-
ぴつたり二人の意見が一致して、
その日はそれで別れたが、
翌日になると、
矢野氏がわざわざ三木氏を訪問して、
是非この際報知に入社して、
營業方面を受持つてくれまいか――と談じこみ、
さらに三木氏を書物屋に周旋した。

藤田氏をくどきおとして、
とうとう三木氏を報知社にむかえた。

時は、明治十九年九月十六日であつた。
――その年の暮に、
三木氏と同郷の廣瀨永太郎氏が入社して、
專ら活版の方面に力をそゝいだ。
大正十四年十月一日印刷 今日の新聞
大正十四年十月五日發行 定價八十錢
發行兼 廣瀨憙六
編輯人 東京市麴町區有樂町二丁目一番地
發行所 報知新聞社出版部
    東京丸の内
    振替東京四二〇六五番
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《赤坂龜次郎君》明治19年故小野梓氏の遺業を繼ぎ牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と集成社を創立【新撰衆議院議員列伝】

   <近代>日本人の肖像
    小野 梓
生没年
嘉永5年2月20日 〜 明治19年1月11日
(1852年3月10日 〜 1886年1月11日)
小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
〔画像〕小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【新撰衆議院議員列伝】明治36年
著者    田中重策 編
出版者   日本現今人名辞典発行所
出版年月日 明36.5
p2【新撰衆議院議員列伝】明治36年
〔画像〕p2【新撰衆議院議員列伝】明治36年
《赤坂龜次郎君》
 福島縣郡部選出(進歩派)(新選)
君 安政五年五月生る
初め漢英學を修め後
慶應義塾を卒業す
次で丸善商社社員となり
外國貿易書籍出版等に從事し
幾もなく同社出版部支配人となる
在職數年之を辭し
明治十九年
故小野梓氏の遺業を繼ぎ
牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と
集成社を創立して社長となり
明治廿三年毎朝新聞を發刊し
爾來政界に活歩す
其間
東京書籍出版業組合常設委員、
同副頭取、
東京商工會員、
日本圖書會社協議員等に擧けられ
明治丗三年
上遠野銀行の創立に與り
現に其取締役たり
財理經濟政治に關する著譯あり
(石城郡上遠野町)
p153【新撰衆議院議員列伝】明治36年
〔画像〕p153【新撰衆議院議員列伝】明治36年
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《集成社》神田區小川町十番地【東京百事便】明治23年

東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【東京百事便】明治23年
著者    三三文房 編
出版者   三三文房
出版年月日 1890
p1【東京百事便】明治23年(1890)
〔画像〕p1【東京百事便】明治23年(1890)

剪五錢  商店 書舗
府下書舗の總數は五百廿二(明治二十一年十二月調)
其重なるもの左の如し

洋書、法、政、經濟書
集成社 神田區小川町十番地
p314【東京百事便】明治23年(1890)
〔画像〕p314【東京百事便】明治23年(1890)
明治二十三年七月八日印刷
明治二十三年七月九日出版 定價金九拾五錢
編輯人 永井 良知
    東京市下谷區北稻荷町四十番地
發行兼 岩垣倢之助
印刷人 東京市本郷區妻戀町九番地
發行所 三三文房
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《赤坂龜次郎》集成社主:神田區小川町十【日本紳士録 第1版】明治22年

東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【日本紳士録 第1版】明治22年
出版者   交詢社
出版年月日 明22
《小野義眞》 日本鐵道會社 副社長
 府下北豐島郡橋場地方千三百八十
《赤坂龜次郎》 集成社主
 神田區小川町十
書籍商
富山書房   神田區表神保町九
赤坂龜次郎  集成社  神田區小川町十
p392【日本紳士録 第1版】明治22年
〔画像〕p392【日本紳士録 第1版】明治22年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《赤坂龜次郎》明治19年故小野梓氏の遺業を繼て牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と集成社を創立【日本現今人名辞典 訂正3版】

   <近代>日本人の肖像
    小野 梓
生没年
嘉永5年2月20日 〜 明治19年1月11日
(1852年3月10日 〜 1886年1月11日)
小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
〔画像〕小野梓の肖像<近代>日本人の肖像
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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【日本現今人名辞典 訂正3版】明治36年
出版者   日本現今人名辞典発行所
出版年月日 明36.2
p1【日本現今人名辞典 訂正3版】明治36年
〔画像〕p1【日本現今人名辞典 訂正3版】明治36年
《赤坂龜次郎》
君は福島縣の實業家なり
安政五年五月生る
年甫て九才
村儒小澤政美翁に就て漢籍を學ひ
明治六年磐前縣立英學校惜陰舎に入り
英學を修む
明治九年五月上京して慶應義塾に入る
在學三年卒業後
丸善商社社員となり
或は海外貿易事業に從事し
幾もなくして丸善出版部支配人となり
在職約六年思ふ所あり
同社を辭し
明治十九年故小野梓氏の遺業を繼て
牟田口元學・故藤田茂吉・相良剛造の三氏と
集成社を創立し社長となり
專ら外國書藉の直輸入及政治法律經濟等に關する
新刋書籍の出版販賣を業とす
明治廿一年東京書籍出版業組合常設委員となり
次て副頭取に撰まれ
翌年東京商工會會員に擧げられ又
日本圖書株式會社の設立に際し
其協議員となる
明治廿三年中
新聞業に從事せしも故ありて歸郷し
更に株式會社上遠野銀行を創立し
現に其取締役なり
明治丗六年三月
憲政本黨員として
福島縣郡部より衆議院議員に撰出せられ
現に其職に在り
著す所
麻氏理財學・經濟平權論・論政學原論等あり
(福島縣石城郡上遠野村字上遠野町一二〇)
明治三十六年二月 五日 訂正第三版印刷
明治三十六年二月十四日 發行
定價金八圓五拾錢
著作兼發行所 日本現今人名辭典發行所
纂編主任 田中重策
兼發行者 東京市四谷區荒木町二十七番地
發行者  河野蕙明
兼印刷者 東京市芝區新幸町四番地
印刷所  株式會社 秀英舎
     東京市京橋區西紺屋町廿六廿七番地
印刷所  愛善社
     東京市神田區小川町一番地
發兌元  日本現今人名辭典發行所
     東京市京橋區銀座三丁目十九番地
     電話新橋千四百六十六番
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【大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書】大正2年
著者    成瀬麟, 土屋周太郎 編
出版者   八紘社
出版年月日 大正2
《赤坂龜次郎》
※上記と同じ
日露事件の功に依り
勳四等に叙せらる
方今 共同出版會社專務取締役たり
(東京市京橋區彌左衛門町七)
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[小松島・八州園]明治11年上野・青森間鉄道会社社長小野義真が築いた別荘【下町の思い出】1988

【下町の思い出】1988
著者    杉村利一郎 著
出版者   杉村利一郎
出版年月日 1988.6
p3【下町の思い出】1988
〔画像〕p3【下町の思い出】1988
https://dl.ndl.go.jp/pid/13136281/1/3

 [小松島]
明治十一年上野・青森間鉄道会社社長
小野義真が築いた別荘で、
橋場から白鬚橋を渡ると右側一帯が、
隅田川に添って広い庭園があった。
庭園の築山は関八州が、
一望出来ると云われ八州園と称した。
仙台の松島の風景を模して池に島が造られ
「小松島」と称した。
明治三十年に廃園になった。

その年末にカブトビール株式会社が買収した。
子供の頃白鬚橋の上から眺めると、
小松島に紅白の幕を張って、
大勢の人が集っていたのを見たのは、
ビール会社が、招待でもしていたのかも知れない。

橋場・今戸通りにあった
当時有馬伯爵邸の前の右手の交番の隣り
小穴製作所(現日本電気精機の前身)が買収したと
「墨水流燈会之記」にあったが、
昔のことが判ってうれしかった。
併し現在は何もない。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13136281/1/132

1911年(明治44年)淺草橋場に生れる
日本大学専門部経済科卒業
日本新水墨派展出品4回 授賞2回
著書 かっぱの回想

下町の思い出
発行日 昭和63年6月26日
著者・発行者 杉村利一郎
    東京都立川市西砂町2-7-7
    電話0425(31)2909
印刷所 (有)星友印刷
    東京都立川市柴崎町2-6-5
    電話0425(22)5821
https://dl.ndl.go.jp/pid/13136281/1/168
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【墨水流灯会之記】1987
著者    横田貢, 織田邦夫 編
出版者   言問
出版年月日 1987.8
 八洲園(原文中「墨堤名所案内」)
明治一一年、当時の上野・青森間鉄道会社社長
小野義真がしつらえた、別荘の別称。
https://dl.ndl.go.jp/pid/13256331/1/96
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東京團體の春期親睦會を隅田川のほとり小松嶋の八洲園に開かれ:明治29年5月2日【継興医報 (29)】1896-05

【継興医報 (29)】1896-05
出版者   継興医報社
出版年月日 1896-05
p1【継興医報 (29)】1896-05
〔画像〕p1【継興医報 (29)】1896-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473219/1/1

   ◎小松嶋宴會の席にて  東京 喜多見深造
若葉さす小松の嶋にうちよりて
   めくりめくらす千代の盃

   ◎東京團體の宴會にて  東京 木村 龍淵
打よりてくめは心の花さくすたの
       堤は若葉させとも
   ◎五月二日東京團體の春期親睦會を隅田川のほとり
    小松嶋の八洲園に開かれけれは
    森田・曲直瀬の君たちは
    とくより來給ひて人を待間とて
    碁をそかこみける
    其碁を淺田ぬしの見て
    負し人には酒のませしといはれ
    なれは狂歌を
呑むのまぬさかひなりけり
  此圍碁はとにもかくにも
      けふは負るな
   ◎人々あまた集ひけれは
    酒をくみかはしつゝよめる
園はみな靑葉なれとも
  まといせし人こそ
  花の色になりけれ
   ◎同し園に少女子の數多遊ふを見て
花のなき園とないひそたはむれて
   遊ふ少女のかけそ見えける
   ◎同し園の池のほとりの藤の花を見て
p19【継興医報 (29)】1896-05
〔画像〕p19【継興医報 (29)】1896-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473219/1/19

松か枝にのみと思ひし藤の花
    夏にかりゝて咲匂ふか那
   ◎宴會はてゝかへる道すから
隅田川堤にしける葉櫻を見めくりかへる
      けふそ樂しき
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473219/1/20

◎東京團體は 本月二日
 向島小松遊園に於て定期總會を開かれ
 例により幹事の投票を行ひしに
 大多數を以て
 淺田恭悦・岡正吉の二氏再撰せられたり
 其より春期懇親會を開き
 酔の酣(たけなわ)なるに至るや
 歌を詠するあり
 碁を圍むあり
 何れも胸襟を開き
 話熟し耳熟し
 十二分の觀を盡して
 黄昏頃散會せられたるよし
 而て次回秋期懇親會の擔當者を置く方可然との動議出て
 滿場之を可とし乃ち次回懇親會の幹事は
 松島美實・飯田隆安
 二氏を指名し萬事一任することに確定したり
 本年は近年稀なる盛會にて
 會員諸氏も豫想の外なりしと云ふ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473219/1/22

明治廿九年五月廿三日印刷
明治廿九年五月廿七日發行
發行所    繼興醫報社
       京橋區大鋸町四番地
發行兼編輯人 西川八十八
       東京市牛込區原町一丁目六十三番地
印刷者    堀内誠次郎
       東京市芝區烏森町二番地
       堀内活版所 印行
https://dl.ndl.go.jp/pid/1473219/1/28
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能樂研究會 貴族院議員の聚星會《金春流》【能楽画報 1(3)】明治42年(1909-05)

【能楽画報 1(3)】1909-05
出版者   能楽書院
出版年月日 1909-05
p1【能楽画報 1(3)】1909-05
〔画像〕p1【能楽画報 1(3)】1909-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1519724/1/1

能樂研究會
東京市京橋區木挽町一ノ十一、能樂通信社内
明治四十二年二月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1519724/1/2

 貴族院議員の聚星會 金春流
(左より)
下村辰右衛門氏、日高榮三郎氏、
後列(左より)
櫻間伴馬氏、岡部長職子爵、諫早家崇男爵、
p19-1金春流【能楽画報 1(3)】1909-05
〔画像〕p19-1金春流【能楽画報 1(3)】1909-05
https://dl.ndl.go.jp/pid/1519724/1/19
明治四十二年四月廿五日印刷
明治四十二年五月 一日發行
編輯兼 齋藤芳之助
發行人 東京市京橋區木挽町一丁目十一番地
印刷人 鷲見知枝麿
    東京市京橋區新富町五丁目九番地
印刷所 文友堂
    東京市京橋區新富町五丁目九番地
發行發賣元 能樂通信社
    東京市京橋區木挽町一丁目十一番地
發賣所 俳書堂
    東京市京橋區築地二ノ廿五
    振替貯金二四一七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1519724/1/42
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小野梓の父節吉(常次)は本町の北側で薬屋を営んでいた『甲寅大地震御手許日記』【新収日本地震史料 第5巻 /別巻5-2】

【新収日本地震史料 第5巻 (安政元年十一月四・五・七日) /別巻5-2】
著者    東京大学地震研究所 編
出版者   東京大学地震研究所
出版年月日 1987.3
p3【新収日本地震史料 第5巻別巻5-2】
〔画像〕p3【新収日本地震史料 第5巻別巻5-2】

〔宿毛市史〕〇高知県
      昭和52年3月31日
      宿毛市史編集委員会編・
      宿毛市教育委員会発行
    嘉永の地震
嘉永七年(一八五四)十一月五日の大地震で、
 ※嘉永7年11月5日:1854年12月24日
安政の地震、寅の大変ともいわれている。
嘉永は甲寅の年であるため寅の大変といわれ、
この年十一月二十七日に改元されて、
 ※嘉永7年11月27日:1855年1月15日
安政元年となつたので、
 ※安政元年:1855年1月15日
安政の地震ともいわれのである。

この地震については貝塚浜田家に
『甲寅大地震御手許日記』
という公的な記録があり、
他にも
『嘉永七寅年十一月五日地震筆記』
などの記録があつて、
かなり詳しくその様子を知ることができる。
『甲寅大地震御手許日記』をもとにして、
その様子を述べてみることとする。
 (注、原文を次に掲載するので省略)※p461-463
  https://dl.ndl.go.jp/pid/12212136/1/461

この地震は、宝永の地震に比べると、
ずつと規模も小さく、
その被害も少なかつたが
それでも右にあげたような大被害を与え、
宝永の地震後の復旧工事が、
ようやく完成されかけた時点での、
再度の地震であつたので、
宿毛の人々に与えた心理的な被害は、
更に大きかつたものと考えられる。

宝永の地震、嘉永の地震、
昭和二十一年の南海地震の津波を
比較してみると下のようになる。
p460宝永・嘉永・南海地震(S21) 津波の比較
〔画像〕p460宝永・嘉永・南海地震(S21) 津波の比較

吉良家に保存されている
『嘉永七寅年十一月五日地震筆記』によると
 一丑ノ瀬、新丁、新町残らず焼失
  但右新丁は当時諸奉公人住居、
  変后廓中御取分(とりわけ)ニ成ル
  本町南ケ輪(かわ)、
  酒屋小野屋熊之助宅より下、
  升田屋寅蔵宅迄、
  北ケ輪(かわ)、
  町庄屋兼次宅より下、
  小野常次宅辺迄焼失
とある。
この地震前は新丁(真丁)は侍の屋敷町であり、
本町と水道町が商人のまちであつた。
地震後これを入れかえて、
真町を商人の町とし、
本町と水道町を侍の町としたのである。

小野梓の父節吉は、
はじめ常次といつて
本町の北側(現四国電力付近)で
薬屋を営んでいたのであるが、
この常次の記録が
https://dl.ndl.go.jp/pid/12212136/1/460

前記二つの地震記録の中にあるので再び出してみると。
 「(本町)北ケ輪(がわ)町庄屋兼次宅より下、
  小野常次宅辺迄焼失」
 (地震日記)
 「北手は石河より御趣向方立田、
  小野常次蔵、米屋銀次、小野善平、
  御酒屋左平酒蔵、今升屋友蔵、
  清宝寺、大庄屋等より
  萩原へかけて焼残り候事」
 (甲寅大地震御手許日記)
この文書で小野常次の家は
本町の北側にあつて家は焼け、
蔵が残つたことがわかる。
小野梓はこの家で生れ、
三才の時この地震にあつたのであるが、
梓が少年の頃あまり勉学に精を出さなかつたのは、
この地震の時
頭を打つたのが原因ではなかろうか、
といわれた位である。

この梓の生家、
常次宅も地震後真丁に移り
やはり薬屋を営んだのである。

常次の家の西隣、
米屋銀次の家は現稲田氏の所で、
これも地震後真丁に移つて米屋を営業し、
その子孫が米屋旅館の西村氏である。
ここの先祖書に
「土州幡郡宿毛本町住西村姓米屋銀次」とある。

小野善平はその西隣、
現兵頭酒店の倉庫の所に居たと思われるが
地震後同じように真丁に移つている、
後年、小野梓が士族をきらい、
平民になるために養子に行つたのは
この善平の家である。

このように本町と水道町の商人達は
地震後真丁に移され、
それから真丁の商店街がはじまつたのである。

真丁に住んでいた侍の加河氏は、
地震後水道町に移され、
明治以後元の真丁に移つて、
現在に至つている。

〔宿毛市史資料二〕〇高知県
         昭和53年3月20日
         橋田庫欣・津野松生編集・
         宿毛市教育委員会発行
(甲寅大地震手許日記) 貝塚 浜田家文書
  嘉永七甲寅十一月五日大地震日記
https://dl.ndl.go.jp/pid/12212136/1/461
新収 日本地震史料 第五巻 別巻五ノ二
    昭和六十二年二月十五日 印刷
    昭和六十二年三月 一日 発行
編 集 東京大学地震研究所
刊 行 〒113 東京都文京区弥生一ノ一ノ一
印刷所 (株)太平印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12212136/1/549
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【宿毛市史】1977
著者    宿毛市史編纂委員会 編
出版者   宿毛市教育委員会
出版年月日 1977.3
  嘉永の地震 p269-
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573993/1/269
宿毛の町の北の方は
石河(現林家)より立田(現大江石油店)
小野常次の蔵、米屋銀次、
小野善平(現兵頭酒店の倉庫)
御酒屋左平酒蔵、今升屋友蔵、清宝寺、
大庄屋(現愛媛相互銀行)等より萩原にかけては、
幸にして焼け残ることができた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573993/1/270

【宿毛市史資料 2 (浜田家文書)】1978
著者    橋田庫欣, 津野松生 編
出版者   宿毛市教育委員会
出版年月日 1978.3
  甲寅大地震手許日記 p34-39/85
 嘉永七甲寅十一月五日大地震日記
https://dl.ndl.go.jp/pid/13284451/1/34
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年04月06日04:30
《尾野屋善平小野善平》天明六丙午年(1786)宿茂騒動之実記
【宿毛市史資料 10】1983
  地震筆記
嘉永七甲寅年十一月五日 ※1854年12月24日
稀代の大地震有増左のことし

一、丑瀨・新丁・新町 不残焼失
  但右新丁ハ当時諸奉公人住居、
  変后廓中御取分ニ成ル

  本町南ケ輪、
  酒店小野屋熊之助宅より下、
  升田屋寅蔵宅迄、
  北ケ輪、
  町庄屋兼治宅より下、
  薬店小野常次宅辺焼失
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