2026年08月

朝鮮留學生の寄宿舎を訪ふ:寄宿生一七名の姓名等【朝鮮公論 1(1);4月號】大正2年(1913-04)

【朝鮮公論 1(1);4月號】大正2年(1913-04)
出版者   朝鮮公論社
出版年月日 1913-04
 朝鮮公論 第一巻 第一号
p1【朝鮮公論 1(1);4月號】大正2年(1913-04)
〔画像〕p1【朝鮮公論 1(1);4月號】大正2年(1913-04)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186870/1/1

  朝鮮留學生の寄宿舎を訪ふ
        一記者
子弟を手放して遊學させて居る父兄は、
必ず其の子弟の動靜を知りたい筈のものだ。

内地に住居する父兄は之れが便宜を
新聞、雜誌其の他の機關に依て得ることが出來るが、
朝鮮人にして其の子弟を東京に遊學させて居る父兄は
之れが動靜を知るに地は遠く、
之れと云ふ機關もなく新聞、雜誌等に於ても
余り注意されて居ない、

特には文運の進歩は朝鮮の敎育界を促進して
年々子弟を東京に遊學せしむる數が
增加する有樣であるから、

之れが動靜を報ずる爲めに一日、
麴町區中六番町なる朝鮮留學生寄宿舎を訪ねた。

同舎は昨年六月
元の朝鮮公使館の屋敷に建設せられたもので、
公使館の建物はその儘
留學生總監督部に充てられて居る。

門を潜ぐつて直ぐ門衞を右に見、
五六間行くと寄宿舎の玄關になる。

受附へ名刺を出して暫らく待つ間もなく
此方へと導かるゝ儘に、
中庭に出て舎の後方に當る
監督部の玄關に立つた。

玄關の正面に大きな姿見附の帽子掛がある。
其處へ帽子を掛け自分の姿を鳥渡(ちょっと)見て、
直ぐ左の闥(とびら)を開けて應接所へ這入つた。

待つこと凡そ二三分、
赭顔(あからがほ)肥滿(ひまん)の
軍人あがりに見える監督が見えた。

貰つた名刺によると正六位勳五等
荒木捨作君である。

應接所には卓子が一個、
其の周圍に五六脚のさまざまな椅子、
卓上には寒竹の盆栽、
部屋の隅に高麗燒の二尺ばかりの花瓶
其の他には何にもない。
床には絨氈が敷いてある。

荒木君の説明によると公使が引揚げる際、
家具の總(すべ)てを
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186870/1/101

持つて歸つたから何にもないのだと。

現在内地に居る留學生の總數が五五四名、
内、東京に四八〇名、
其の他は各地方に散在して居る。

此の寄宿舎には七一名居る。※七一名⇒一七名
官費生は總て十九名であるが内、
農科大學生の七名は學校所在地の都合上、
下宿を許してある。

寄宿生の姓名並に年齢、
所屬學校出身地等を誌せば

◎帝國大學附屬醫院内科研究
   金 溶 採(二三歳) 京城出身
   金 敎 昌(二七歳) 同上
  高等師範學校
   金 亨 培(二五歳) 京城出身
   鄭 大 鉉(二五歳) 同上
  高等商業學校
   具 滋 旭(二七歳) 京城出身
   尹 皡 炳(二二歳) 同上
   兪 班 兼(二四歳) 同上
   全 錫 弘(二七歳) 同上
   金 敎 哲(二一歳) 同上
  高等工業學校
   尹 台 爕(二三歳) 京城出身
   金 正 敏(二二歳) 同上
   權 寧 求(三〇歳) 京北出身
   尹 日 重(二三歳) 京城出身
  慈惠院醫學專門學校
   鄭 世 胤(三一歳) 平南出身
  明治大學
   南 相 璿(二五歳) 京城出身
  府立工藝學校
   李 健 植(二〇歳) 京城出身
  中央工藝學校
   金 承 烈(三〇歳) 京畿出身

留學生は專ら兩斑、儒生の階級に屬する
子弟であるそうである。

朝鮮では内地へ留學するには
總て總督府の許可を得なければならぬのであるが、
靑年客氣の靑雲に憧憬して、
土地に相當な機關があるにも拘らず、
唯だ内地の學校へ行きたさに逃げて來る者も尠くない。

無論、寄宿舎生となるのには
之れ等は其の資格がなく、
一定の手届を經た身許確實なものに限るのである。

白狀すれば寄宿舎生以外の學生の動靜は
未だ詳にして居らぬ併(しか)し、
一般に法律、政治、經濟などに志す學生が多いが、
近頃では實業、工業などを學ぶ者の增加する傾向がある。
是れ賀すべき傾向である。

寄宿生は總じて勉強する方である。
各學校に於ける成蹟も中の部を占めて居る。
  -略-
舎監さんの名は中村照臣君、
長軀、肥滿、夏髭吊目、
君も同じく軍人あがりらしい物腰。
  -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186870/1/102

大正二年三月二十九日 印刷納本 第一巻第一號
大正二年四月 一 日 發  行
編輯兼 若林姫路
發行人 東京市牛込區喜久井町十九番地
印刷人 武井万二
    東京市小石川區小日向臺町三ノ七七番地
印刷所 日本印刷株式會社
    東京市神田區三崎町三丁目一番地
    電話本局一八四〇・一八九八
發行所 朝鮮公論社
    東京市京橋區加賀町二番地
    電話新橋二四〇五番
總支社 朝鮮公論總支社
    京城旭町二丁目
    電話一〇七〇番
朝鮮大賣捌所
  -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/11186870/1/152
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題字 在パラグアイ日本国大使 大鷹 正:資料編 動態表【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]

【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
著者    アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会 [編]
出版者   アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会
出版年月日 [1982]
 題字 在パラグアイ日本国大使 大鷹 正
p2【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
〔画像〕p2【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/2

発刊のお祝い
パラグアイ国 国防大臣 パ・日協会会長
  マルシアル サマニエゴ

アマンバイ移住地入植二十五周年史発刊を祝して
  在パラグアイ日本国大使 大鷹 正

https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/4

  第七編 資料編
      動態表
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/154

第一次移住 三十八家族
 一九五六年四月 十四日 あふりか丸 =
 一九五六年五月二十三日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/155

第二次移住 十六家族
 一九五六年五月 十五日 チチャレンガ丸 =
 一九五六年七月 十七日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/158


第三次移住 二家族五単身
 一九五七年三月 十三日 チチャレンガ丸 =
 一九五七年五月 二十日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/159

第四次移住 二十家族二単身
 一九五七年六月 十五日 テゲルベルグ丸 =
 一九五七年八月 十七日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/160

第五次移住
 一九五七年九月  二日 ぶらじる丸 =
 一九五七年十月 十五日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/161

第六次移住 十家族
 一九五七年 十月  二日 あふりか丸 =
 一九五七年十一月二十三日 入耕

第七次移住 十一家族
 一九五八年 二月  五日 あふりか丸 =
 一九五八年 三月二十九日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/163

第八次移住 十九家族
 一九五八年 三月三十一日 さんとす丸 =
 一九五八年 五月二十三日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/164

フラム地区より転住(広島県沼隅町移住者)
 一九五六年十一月  二日 あめりか丸 =
 一九五七年 一月  二日着パ
(一九五七年七月二十三日 二家族 入耕)

フラム地区より転住(広島県沼隅町移住者)
 一九五六年十一月  二日 あめりか丸 =
 一九五七年 一月 二日着パ
(一九五七年十一月 七日入 耕・五家族三単身)

ペドロ・フアン・カバリエーロ市内及び近郊

※以降 -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/166

物故者名簿
<一九五七年> ~ <一九六七年>
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/179

物故者名簿
<一九六八年> ~ <一九八一年>
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/180

アマンバイ入植25周年記念誌
『雄飛』
発行 アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会
刊行委員長 藤戸広光
印刷 日系企画(有)
   電話 25852
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/195
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年08月18日15:30
《白沢商工株式会社 白沢寿一社長》小淵敏子と結婚
【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
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(終幕)オテンバ女史 桃山佳子 活躍の段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
p1【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p1【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/1

   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?



p4【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p4【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/4




 (終 幕)オテンバ女史 桃山佳子 活躍の段
最後にふたたび銀座に歸つて、
銀六デパートに菓子部を開いている
桃山佳子(李鍵公 桃山虔一夫人)
一家の狀況を紹介しよう。

彼女が昨年七月ここに開店したのは、
銀六の中村起東社長が
妹の御亭主という關係で、
現在男三人女一人を使い、
毎朝地下鐵で澁谷から通勤の夫人
みずから包裝などもして
文字通りの陣頭指揮は
おフクロ松平俊子ゆずりの積極性からであろう。

歩道に面した一番鼻先の一角を占め、
簡素ながらも美しい着物で若づくり
(もつとも實踐高女在學中から
 お化粧とデシヤバリは有名だつたが)。

デパート内の他の店員たちにも
「氣さくな方」とうけがよく、
「お手やわらかに」
と記者に應對するあたりもソツがない。

勢い、店の賣上げも一日二萬圓くらい、
家族五人の月三、四萬圓からする生活費も
ここからの収入が大きな力になつている。

將來は店のレジも自分で正確にやれるように、
簿記を習いたいそうだ。

ほかに洋裝店も計畫中で、
すでに手製の子供服などを
おフクロの勤め先「夏目」に時折出品
(ついでながら桃山夫人は手製の洋かんなども
 「夏目」に出したことがあるようだ)。

元騎兵大佐の夫君虔一氏(四〇)は、
一昨年末から澁谷のマーケットで
「桃屋」なる喫茶、文房具店をはじめたが、
昨年十月に店を三人の元職員にゆずつて、
今は子供用の鐵道模型店。

住居は、戰災をうけて現在は
隣の元李堈公家に移つているが、
世田谷下馬の元の「お馬場」で
山羊十頭を飼つての
乳賣りが生業の一つ。

邸の家務部で直賣するこの乳は
一日約四升、一合八圓で
近隣約二十五人にわけているが、
證明書なしで買えるのでなかなかの繁昌。

虔一氏は好きな自動車で
子供の送り迎えをするほかは、
在宅の日が多く、
もつぱら生活の新設計。

朝鮮公族なので財産税をのがれ
なかなかの御身代と口うるさい
うわさがある、
實情必ずしも然らず、
赤字の克服に懸命のてい。

邸内地下室口に「桃山家事業部」の
立札が忘れられたように
放り出されていたのは、
何か印象的であつた。
(五・二〇)
 本社編集局
p5【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p5【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/5

一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
       定價    三十圓
       送料     一圓
       半年概算 百八十圓
編集 發行人 佐和慶太郎
印刷所    日本印刷工業株式會社
發行所    人民社
       東京都中央區銀座西二ノ三
       電話 京橋(56)〇四六四番
       振替 東京一一五二一一番
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(第五幕)外國映畫特別試寫會の段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
p1【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p1【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/1

   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?



p4【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p4【真相 3(7)(19)】1948-06
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 (第五幕)外國映畫特別試寫會の段
話が貧乏じみてきたから景氣つけに
毎月開かれている元皇族の親睦會に場面を轉換しよう。

同じ竹の園生の元皇族が、
ややもすれば疎遠になりがちなので、
いく久しく相たずさえて、という趣旨で、
月一回、
宮内府管理の常磐松の元東伏見邸で
パーテイーを開くほか
田村町の兼坂ビルのセントラルで
外國映畫の試寫會がおこなわれている。

梨本さんなど「バカなことをしよる」
と一向にでかけないらしいが、
他は出席率良好。

この試寫會など特にとりたてて
いうほどのことではないが、
總じて元皇族がいまだにあまりにも
特別扱いされすぎてはいないだろうか。

家族の使う「お上」だとか、
「殿下」だとか、敬稱や
「おタタさまがお成りあそばした」の
「君サマにおかれましては」
という用語などは、
永年の習慣だし
いずれ淸算されようから大目にみるとしても、
妃殿下がマーケットに買物に出かけられる
おいたわしさに涙し、
若宮樣の都電通學に、
おそれ多いと感激するのは封建思想の標本だ。

大體一時金の問題にしてからが
あんなものを出して
「皇族の品位」を得たしめよう
とすること自體が奇怪千萬で、
ましておのがどん底のタマネギ生活を忘れて、
元宮樣の寶石類を御處分あそばしての
いまだ名ばかりのタケノコ生活に
御同情の涙禁じあえずとしたら、
これはコッケイである。

さて商賣往來にもどつて、
日本橋は室町、三越のほど近く
三都和會館の三都和商會。

進駐軍向けの建築金物專門で、
モーターの修理などもやる
この社長は、
元陸軍少將閑院春仁氏。

小田原に道子夫人(伏見朝子の妹)と二人で住まう、
閑院さんは、月、水、金に出社、
金曜日にはエビス驛近く
モーター修理工場に監督に出かける。

もとこの商會は宮下武男なる男の所有にかかり、
昭和十六年ごろから鐵カブトの
全國的な配給をやつていた會社で、
元來が宮樣びいきの彼は
侍從武官を仲介に閑院を知つてから、
昨年皇籍離脱と同時に閑院を社長にすえて、
また三都和クラブを新設し、
職業の補導から値下げ運動の促進、
結婚相談所(無料)まで
やつてのけている。

閑院はほかに
神戸觀光株式會社の會長もやつているが
(二月に一回出社)、
三都和におけるサラリーは
名目上七千五百圓となつているが、
使用人十人をかかえての、
閑院の月六、七萬圓の生活費の保證は一應
宮下があたえているようで
(もつとも一時金の食いつぶしもやつているらしいが)、
「宮樣をお守りするのがわれわれ國民の義務」であり、
「生活は全部保證しましよう」、
そのかわり「品位は保つていただきたい」
というのが宮下の言い分。

ちなみにこの男は、
戰時中もうけた金で、
陸、海軍にそれぞれ飛行機を一臺づつ
献納したという奇特な士で、
本人が得意氣に語るところによれば、
つとに廣く
「國家主義者」たることを見こまれていた由。

なおここの約十五人の職員中宮家關係が三人、
元軍人が三人ばかりいる。

敗戰後いち早く、職業が必要だ、といい出した、
軍隊生活の經驗から
警視廰に自動車運轉免許證の下附を申請した、
賀陽恒憲氏の意氣たるや買うべきものがあつた。

がその後積極的な動きは見られず、
諸種社會事業に名譽職として關係するほか、
田村町の門司竹材貿易株式會社の
顧問といつた程度のもの。

京大在學中の長男邦壽君をかしらに
男ばかり六人の子福者で、
生計も大變のようだが、
時價四〇萬圓位のダッジを持ち、
一月に大きな自動車小屋をつくつたところをみると、
案外なのかもしれない。

麴町の本部を燒いて、
現在は下落合の廣池千英氏
(外事專門學校長)邸の母屋に寓居。

野球は相變らずのファンで、
度々の觀戰ばかりでなく、
一族郎黨に早稻田の岡本などをまじえて、
他流試合にも出かけるほどの元氣である。

財政の相談には幼友達で
日銀監事の小山直彦が當つている。

 (終 幕)オテンバ女史 桃山佳子 活躍の段
p5【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p5【真相 3(7)(19)】1948-06
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一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
       定價    三十圓
       送料     一圓
       半年概算 百八十圓
編集 發行人 佐和慶太郎
印刷所    日本印刷工業株式會社
發行所    人民社
       東京都中央區銀座西二ノ三
       電話 京橋(56)〇四六四番
       振替 東京一一五二一一番
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(第四幕)貧すりや鈍するプロ皇族の段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
p1【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p1【真相 3(7)(19)】1948-06
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   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?



p4【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p4【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/4


 (第四幕)貧すりや鈍するプロ皇族の段
似たような閑居組に梨本夫妻がある。
建坪一千坪の澁谷美竹町の廣大な屋敷は
土藏二棟をのこして跡かたもなく、
戰時補償特別税のために富士、伊豆の別邸も賣り、
今年七十四の守正氏は、
六十七のウバ櫻伊都子夫人と
六、四疊半、二間の茶室づくりの假屋にわび住い。

二萬坪の邸内の敷地も、
中四千坪をのこして財産税のカタに賣却、
境界の塀も滿足にない邸内に住居のほか、
家らしいのは同じく茶室づくりの八疊一間の客間に、
バラツクの事務所。

昨秋、今春と二回の盗難で土藏から衣類
その他をあらいざらいとられ、
幸い七割まで戻つたものの、
老い先短かいこの人、
例の下駄ばき、長杖の散歩姿で
數人の使用人にかしづかれながら、
殘りわずかな金を食いつぶしている。

伏見。
博恭元帥は一昨年八月死亡、
長子博義王(海軍大佐)も
昭和十三年に上海で戰病死、
殘るは博義王妃の朝子未亡人(四七)と
博明君(一七)、光子さん(二〇)、
章子さん(一五)の四人。

燒けた紀尾井町の本邸二萬一千坪の土地は
半分を財團法人住宅研究會に賣り、
目黑大崎の三條元侯爵邸を買いとつて移轉。
他は片瀨に別邸があるだけ。

五人の使用人で月六、七萬圓かかるが、
なまじつか事業に手を出さない方がいい、と
もつぱら金利にたよつて消極的なやりくり。

野菜など一千坪の畠で自給自足にあまんじ、
いずれは燒跡に小さな家でも建てたいというのが
朝子夫人の望みとある。

財政顧問に以前は、
中村俊久(元海軍中將、侍從武官)、
岩波武信(元宮内省藏頭、現日銀監事)
などがいたが、
現在は
吉橋戒三(元陸軍大佐、侍從武官、元宮内府主馬課長)
が家令で相談役。

東伏見。
故依仁親王妃周子さん(七三)一人きり、
數人の使用人とともに
葉山堀之内に靜かな居食い生活を送つている。

神奈川縣仙石原に土地別邸を持つほか、
澁谷常磐松の東京邸は一部燒けのこり、
新築の一部をのぞき、
現在宮内府管理の御用邸。

山階。
武彦氏(五一)一人きりの淋しい生活、
鎌倉材木座の住居は、
關東震災で壓死した王妃の追善に修築したもの、
麴町の本邸罹災ののち埼玉縣寄居の玉屋に疎開し、
一昨年十月材木座に移つた。

元海軍少佐で一時金ゼロ、
財産税納入後の不動産はこの家屋敷だけ。

朝香家にシンニユーをかけたプロレタリアで
(といつても公稱財産六十二萬圓)
自動車も全部處分、
男三人女二人の使用人をかかえて、
月四、五萬圓の生活費は食いつぶしの一方。

事業もやりかけたが神經衰弱のため中止、
せいぜい「有利な投資」を心掛けているという。

財政の相談は、弟の山階芳麿元侯爵や、
前記伏見の出入りの日銀監事岩波武信。

 (第五幕)外國映畫特別試寫會の段
p5【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p5【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/5

一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
       定價    三十圓
       送料     一圓
       半年概算 百八十圓
編集 發行人 佐和慶太郎
印刷所    日本印刷工業株式會社
發行所    人民社
       東京都中央區銀座西二ノ三
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(第三幕)家主の稼ぎ月十萬圓の段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
p1【真相 3(7)(19)】1948-06
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   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?



p4【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p4【真相 3(7)(19)】1948-06
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 (第三幕)家主の稼ぎ月十萬圓の段
つぎに東久邇の兄朝香鳩彦は
かつては皇族一の財産家だつたが、
財産税ですつかりとられ、
軍人父子で一時金も少なく、
元皇族中でのプロレタリア。

鳩彦は今熱海狩場に隱棲、
三人の女中を使つて晴耕雨讀。
一子孚彦(元陸軍飛行中佐)は、
八、六、四歳の一男二女とともに
千賀子夫人と昨年末葉山の小松元侯爵の邸から
現在の西荻窪の別邸に移り、
東大工學部に聽講生として通學。

使用人も男一、女三と「できる範圍」に
きりつめてやつているが、
賣り食いはしていない。

というのが、
白金臺町の舊本邸が現在外相官邸、
月額三萬圓(昭和二十二年度)の
家賃がはいつているからだ。

この家主稼業による収入は、
元宮樣たちのドル箱で、
竹田(商相官邸)の五萬圓、
李王家(參議院議長官舎)の十萬圓がある。

李王家の場合、
紀尾井町一萬二千坪の廣壯な屋敷とはいえ、
本館のみの間貸しであつてみれば十萬圓は法外。

兪@夫人(梨本守正長女方子)、
長男玖@(元王世子、學習院新制高校一年)
との三人家族に數人の召使をおいての生活費
六、七萬圓(李王家職員談)を
まかなつて餘りあるが、
李王家の職員氏いわく、
「これは内密になつております」と。

竹田邸の一部、
洋館は月五萬圓の家賃、
ガス、水道代三萬圓、人件費十萬圓、諸雜費三千圓。

水長は「何や知らんが調子がええでえ」と
フンドシ一つで撞球に興じている。

家主の竹田は昨年末生れた子供をふくめて一家七人、
男女各六人ばかりを使つている相當の大世帶。

家賃が入らなければ職員の給料も
はらえないという
どんづまりながら、
當主の恒德(元陸軍中佐)は
別に事業をやるでもなく
(山室宗文など出入りしているが)、
好きな道の日本スケート連盟や
日本馬術連盟(豫定)の會長におさまり、
夫人も例の「夏目」に時折出かける程度。

ただ邸内の畠を職員に二反歩からつくらせて、
去年は甘藷二百貫、馬鈴薯五俵の収穫。

自動車もいまだに二臺おいている。
水長はんも相當感謝されていい。

邸宅でもうけた口では北白川もその一人。
高輪の御殿の日本建ての方を
衆議院議長官舎に七百二十萬圓で賣りはらい、
一昨年十二月から澁谷八幡通りの文相官邸前、
小山榮三方(細君の母方が北白川大妃などの里親)
に間借生活。

先代永久王が昭和十五年に蒙疆で飛行事故で
不慮の死をとげたので、
家族は祥子夫人に當主道久君(一二)、
肇子さん(一〇)と
房子元大妃の四人、
男三人女四人を使つて、
祥子さんは好いおタタさまになりきつている。

 (第四幕)貧すりや鈍するプロ皇族の段
p5【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p5【真相 3(7)(19)】1948-06
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一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
       定價    三十圓
       送料     一圓
       半年概算 百八十圓
編集 發行人 佐和慶太郎
印刷所    日本印刷工業株式會社
發行所    人民社
       東京都中央區銀座西二ノ三
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《白沢商工株式会社 白沢寿一社長》小淵敏子と結婚【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]

【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
著者    アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会 [編]
出版者   アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会
出版年月日 [1982]
p2【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
〔画像〕p2【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/2

  第七編 資料編
      動態表
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/154

第一次移住 三十八家族
 一九五六(昭和31)年四月 十四日 あふりか丸 =
 一九五六(昭和31)年五月二十三日 入耕
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/155

小淵 賢 二  家長(和歌山) 死亡
    文   妻 (和歌山)  在アスンシオン
   武 史  長男(和歌山) 山脇美佐子と結婚
                在アスンシオン
    靖   次男(和歌山) 在アスンシオン
   敏 子  長女(和歌山) 白沢寿一と結婚、在ア市
   京 子  次女(和歌山) 在アスンシオン
   美佐子 長男の妻(高知) 山脇勝・妹婚姻編入、在ア市
  (マリ) 長男の長女(現地出生)
p156【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
〔画像〕p156【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
https://dl.ndl.go.jp/pid/12853364/1/156

祝 アマンバイ入植25年史 誌発刊
  白沢グループ
  故 小淵賢二(写真)
 (母)小淵 文
    白沢寿一
    小淵 靖
    白沢敏子
    小淵京子
p186【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
〔画像〕p186【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
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アマンバイ入植25周年記念誌
『雄飛』
発行 アマンバイ移住地25周年誌刊行委員会
刊行委員長 藤戸広光
印刷 日系企画(有)
   電話 25852
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[mundi ムンディ]2016 january No.28 1 JICA
  特集 食卓から世界を旅する
量から質へ ゴマ農家たちの挑戦 p9/25
香り付けやあえ衣、あるいはごま油として。
さまざまな用途で活躍するゴマは、
日本の食卓にとってお馴染みの食材だ。
その主な輸入元となっている
南米のパラグアイでは、
良質なゴマを作るための挑戦が、
長きにわたって続けられている。

ゴマの生産を普及させた
日本の立役者
パラグアイでは、1990年代に入ると、
それまで小規模農家の
重要な収入源だった綿花の栽培が、
価格低下などの影響を受けて衰退し始めた。
そんな中、立ち上がったのが、
農産物の輸出事業などを手掛ける
白沢商工株式会社の白沢寿一社長だった。
JICAの前身である
海外移住事業団のパラグアイ事務所で
約7年半勤務した経験を持つ白沢さんは、
深刻な経済状況を何とかしたいという使命感から、
綿花に代わる作物として、
同社が開発した白ゴマ「エスコバ種」の普及に努めた。
p9[mundi ムンディ]2016 january No.28 1 JICA
〔画像〕p9[mundi ムンディ]2016 january No.28 1 JICA
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2026年08月21日05:10
題字 在パラグアイ日本国大使 大鷹 正:資料編 動態表
【雄飛:アマンバイ移住地25周年誌】[1982]
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(第二幕)ポンせんべい機販賣の段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
p1【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p1【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/1

   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?



 (第二幕)ポンせんべい機販賣の段
多岐なる事業名について
すぐ思いうかべられるのは東久邇稔彦。

本誌十五號でもふれてあるが
(「大將は何處へ行つたか」)、
一時ニユース陣にもてはやされた彼の事業は、
新宿西口マーケツトの乾物店と
美術コツトウ店(東家東久邇商行)と
ポンせんべい機の販賣だが、
いくら人民になつたといつても
あの妙なアラレをつくる
ポンの機械のブローカーとはおちぶれたもの。

それも最近は三事業合計月五萬圓からの缺損で、
昨年七月以來の赤字は二百萬圓をこえるという。

ガツカリした東久邇は、
現在品川高輪の北白川の舊邸の一角に
讀書人になつて閉じこもつており
(麻布市兵衞町と鳥居坂の御殿は燒失)、
當初多かつた人の出入りも昨今は閑散、
著名人としては舊交のある
ベネシユ駐日佛代表部代表が
時折來るぐらいのもの。

一時平野力三が夫婦連れで、
さかんに出入りしていたが、
大臣になつてから
バツタリ來なくなつたところをみると、
どうも自己宣傳のためだつたらしいと職員はいう。

家族は、
長男盛厚(元陸軍少佐、東大經濟學部專科生)一家
(成子夫人 元照宮、二子)が
最近修築なつた
大鳥居坂邸(はじめは木戸幸一邸)に移り、
ここには聰子夫人と俊彦君
(慶大法學部、エロ殿下の稱あり)の三人きり、
職員は昔のままの十二人ばかり。
生計費月四、五萬圓はもつぱら居食いの方針。

新宿の店は三十年來の舊友
小原唯雄(古いリベラリスト)が
もつぱら采配を振つている
(店の表札は店主東久邇稔彦代理小原唯雄)。

ハヤリの太綠の眼鏡をかけ、
恰幅のいい四十六歳働きざかりのこの人
さしあたり東久邇家財政主任の格で、
一切をまかせきられ、
親ゆずりの五百萬近くの金を資本に
四分六の割で東久邇と出資し合い
(小原六、東久邇四)、
生家の職業をそのまま
東家鹽干物店を開業、
ついで隣に東久邇美術店を設け、
東久邇家の處分品をさばいているが、
同じこの二階で取次いでいる
「ポンせんべい製造機械」は
さつぱり賣れぬとか。

店員八人をかかえてのこの店、
當初二カ月ばかり黑字を見ただけで、
その後は一日の賣上げ二千圓内外で大赤字、
「これだけはどうやら商賣になる」
美術店から毎月一萬圓ほどの融通をうけ、
ようやく赤字を五萬圓程度にとどめているものの、
「意地で續ける」
氣の毒な狀況。

元來東久邇は多角的な營業をもくろんで、
喫茶も計畫したがポシヤとなり、
若松町の國立第一病院の内科坂口博士、
外科栗山博士などと連絡して、
急患用の實費診療所を
p4【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p4【真相 3(7)(19)】1948-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/3555910/1/4

大久保百人町に設ける豫定も流産。

うわさにのぼつた
明治生命の三多摩地區總代理店も
名義を貸しただけ、
昨年貿易再開後いち早く契約した例の
米國ステフアノ・ブラザース會社との
タバコの契約が最大の望みらしい。

 (第三幕)家主の稼ぎ月十萬圓の段
p5【真相 3(7)(19)】1948-06
〔画像〕p5【真相 3(7)(19)】1948-06
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一九四八年六月一日 發行
眞相(第三巻第七號 通巻第十九號)
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「ともに暮らしても良いかも」北海道根室市の納沙布岬で京丹波町の和知中2年、四方海琴(13歳)の心を揺さぶった:京都新聞

 「ともに暮らしても良いかも」
憎悪を乗り越えた元島民の言葉が、
京都の13歳の心を揺さぶった
# 京丹波町 # 亀岡市
2026年8月16日 5:52
昆陽和奏, 中塩路良平
水平線の向こうに、国後島と歯舞群島がはっきりと見えた。
今月4日、北海道根室市の納沙布(のさっぷ)岬で
京都府京丹波町の和知中2年、四方海琴(…

京都新聞260816-1
〔画像〕京都新聞260816-1

 京都新聞260816-2
〔画像〕京都新聞260816-2

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(第一幕)御愛妾ミス日本召抱えの段:宮様商賣一ヵ年を探る【真相 3(7)(19)】1948-06

【真相 3(7)(19)】1948-06
出版者   鶚出版
出版年月日 1948-06
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   宮様商賣一ヵ年を探る
   かれらは何をしているか?


 (第一幕)御愛妾ミス日本召抱えの段
かえりみれば、
敗戰の翌年(昭和21年)五月二十七日、
連合軍から十四皇族の財産特權剥奪指令が發せられ、
昨年(昭和22年)十月十四日十一宮五十一人が
いよいよ皇籍を離れて約一年。

雲の上で特權と敬語の温室に育つた
元宮樣たちの生活は、
それなりに相當きびしいもので
あつたにちがいない。

總額千七百四十七萬五千圓の一時金が、
當時皇室經濟會議で松本治一郎(社)が
ダメをおしたように、
「その使途に充分に注意」
されたであろうか。

豺狼のような思惑屋のえじきに
なつてはいないか。
財産税に苦しめられ、
インフレにおびやかされながら、
宮内府の手もはなたれた
おんば日傘そだちの彼らが、
宮樣廃業後どうやつて生計をたて、
またどれだけ意味のある生活をしてきたか。

「久邇香水」は元六櫻社日野工場長だつた
手島某のオパレスク化粧料本舗
(敗戰後設立、立川)で
昨秋から製造に著手、
特に「高貴な」ものにするため、
久邇の紋章を圖案化した外裝の印刷で
發賣がおくれたという(グラフ參照)。

大體元皇族は事業に消極的で、
あえてとりまきの思惑屋とはいわないが、
一般に外部から持ちこまれる話に應じて、
會長とか社長、顧問などにおさまるのが普通。

久邇の香水もその一つで、
手島の希望で會長に豫定されている。

久邇は子女が多いせいで、
最高額の一時金をもらい、
元皇族中トップの財産家になつた。
「元來事業にはあまり關心がなかつた」
(本人談)とはいえ、
現在手をつけている事業の數では彼が最高。

なかでももつとも乘氣をみせているのが、
大島漁業株式會社
(椿油の岡田が社長。
 太平洋近海の漁業を一本に大々的にやる計畫)で、
安井東京都知事の切なる要請で今度會長に就任した。

標準語普及を目的とする
敎育レコード會社でも久邇を會長に戴き、
近く交詢社一階に手廣く事務所を設けて發足する。

久邇本邸は、
財産税のために大映に約六〇〇萬圓で賣却
(その後轉賣されて、聖心女子大學が使用)
母俔子(邦彦王妃)のいた別邸
(同じく常磐松)に移つたが、
家族は二十歳の邦昭をかしらに子供七人。
母親と本人をあわせて九人だが、
召使いの數が(最近人べらしをした結果)二十人。

生計費が月十萬圓かかる。
天皇一家の月百三十萬圓には及ばぬが、
相當なもの。

感心なことに他の宮家とちがい
タケノコ生活の經驗はないという。

記者が豪華なじゆうたんを敷きつめた部屋で
インタビューした際も
「君ら、タマネギ生活なんかしていたら、
 さきざき困るじやないか」
とオウヨウにさとされた。

自家用車も他の宮家では
タケノコのたしにしているが、
久邇家では時價百五十萬圓のキヤデラツクを筆頭に三臺、
さすがに現皇后の兄貴だけの貫錄をみせている。

で、もつぱら事業を盛大に、
収入の增加をはからざるをえず、
結城豐太郎を財政顧問として、
有利な企業を物色、
まず「ダンスホール」二軒に投資したが、
其の一つメリーゴールド(銀座)は
兒玉機關の一變形。

昨秋後樂園でミス日本となつた
岐阜の後藤某女を引抜いて
ナンバーワンで賣つたが、
最近この花形が雲がくれして
新聞紙上をさわがしたと思つたら、
ナンオコツタイ、
昨年知子夫人をうしなつて
空閨をかこつ久邇氏がすばやくさらつて
御愛妾になさつていたとは、
オシヤカ樣でも御存知あるめえ。

もう一つのクラブ・パール(神田)は
堂々「御同伴專門」と銘をうつた
インチキ・ホール。
眞ツ晝間から御同伴の二人づれが、
スローなテンポで、
頬つぺたをくつつけ、
チークダンスをやつている。

時々は特別豪華なシヨウもあるが
所轄署は見て見ぬふり、
さすがに宮樣の營業だけに
特權をみとめているらしい。

久邇はこのほか、
化粧品の櫻屋
(三井本館、社長は海兵時代の同期生
 福田良人元大佐)
に出資、
東北牧場(靑森縣七戸市)
では取締役會長、
また久邇奨學金を出す英語五千字會でも
會長をやつているが、
會長の兼務がすぎると集中排除法に引つかかるので
目下思案中とあつて、
日本觀光施設會社では相談役をやつている。

ちなみに久邇一家の事業熱は
京都に別居中の靜子さん
(多嘉王妃、朝融の叔母)
にもおよび、
上京區の邸内なる久邇洋裁學院は
生徒二百人の盛況とある。

 (第二幕)ポンせんべい機販賣の段
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