新田氏略系:大井田・江田・大館・畑・亘・篠塚【南朝忠臣碑文集】大正11年

【南朝忠臣碑文集】
 新田氏略系 p104/206

 大井田經隆 p108/206
經隆は、義貞の族人にして義重の裔なり。
遠江守と為る。
 ―略―

 大井田氏經 p108/206
氏經は、義貞の族人にして、義重の裔、經兼の子なり。
 ―略―

 江田行義 p108/206
行義は、義貞の族人にして、義重の裔、有氏の子なり。
又二郎と稱す。

 ―略―

 大館氏明 p108/206
氏明は、義貞の將なり。
左馬助と稱す。
元弘以後、忠戰の功多し。
世に云ふ、四天王の一とす大館宗氏の子なり。
 ―略―
【南朝忠臣碑文集】p108
〔画像〕【南朝忠臣碑文集】p108

 畑 時能 p109/206
時能は、六郎左衛門と稱す。
義貞の臣なり。
 ―略―

 亘 忠景 p109/206
忠景は、新左衛門と稱す。
亘、一に渡里とも書す。
義貞の臣なり。
 ―略―

 篠塚重廣 p109/206
重廣は、伊賀守と稱し、
又諱を正氏とも云ふ。
義貞の臣にして、四天王の一人なり。
常に一方の將として、忠戰の功多し。
 ―略―
【南朝忠臣碑文集】p109
〔画像〕【南朝忠臣碑文集】p109
大正十一年十一月二十一日印刷
大正十一年十一月二十五日發行
不許複製 非賣品
神戸市三宮町一丁目三百二十番屋敷
  編輯兼發行人
      辻 こう
神戸市三宮町一丁目三百二十番屋敷
  印刷人 辻  仁三郎
神戸市三宮町一丁目三百二十番屋敷
  印刷所 合資會社 明輝社
      電話三宮五五〇番
【南朝忠臣碑文集】p204
〔画像〕【南朝忠臣碑文集】p204
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