[岩倉使節団と久米邦武]
漢文で学んだ科学技術
―久米邦武の研鑚とその背景―
 高田誠二
 (田中彰校注、岩波文庫判()42ペ-ジ、左から五行目)
此回ニ発スル飛脚船ハ「アメリカ」ト号ス、
太平会社飛脚船ノ内ニテ、
第一ナル美麗ノ船ナリ、
長サ三百六十三「フイト」(約我七十間半)
幅五十七「フイト」、
深サ二十三「フイト」、
甲板ヨリ上ノ高サ八「フイト」、
蒸気ノ力一千五百馬力
(此馬力ハ実馬力ヲ云フニ似タレトモ噸数ニ比スレハ甚弱シ、
恐ラクハ聞誤リアラン)ニテ、
四千五百五十四噸ヲ積ム…
同じ日の記録の書き始めは
「此朝ハ暁ノ霜盛ンニシテ、扶桑ヲ上ル日ノ光モ、イト澄ヤカニ覚エタリ」と
漢文名句のスタイルで綴られているが、
それに比べると「飛脚船」の段は散文的で技術レポートの印象がある
(なお「飛脚船」とは時代劇の響きを伴う語だから大槻『大言海』を調べたら、
「時日を定めて急航する蒸気船」と、見事な解釈が与えられていた)
―略―
「実馬力」の話に戻れば、
2書とも「求実馬力法」など詳述し例を挙げている。
答を先取りすると、
「容積噸数」4050ほどの汽船2例の
「実馬力」は3704馬力、4234馬力である。
岩倉使節団を運んだ「アメリカ」号は、
「噸数4554」に対し「蒸気の力1500馬力」だと聞かされた。
これを「実馬力」と解して他船と比較すれば、
なるほど「甚弱シ」と言わざるを得ない。
―略―
総括すれば久米は、
アメリカ号の1500馬力が「号」馬力なら納得もできるが、
当節の通念である「実」馬力と解すれば「甚弱シ」だから、
「聞誤リアラン」と注記せざるを得なかったのであろう。
―略―
「アメリカ」号後日談
以上、局所的な詮索だが、
久米の文献博捜の学風と批判精神の強固さとを、一例について示した。
以下は余談に近いが、
久米手稿『環瀛筆記』には
「コノ蒸気ノ力ヲ算スル、蓋シ2000馬力ヲ具ス」とある。
この「アメリカ」号は186566年に建造され名声高かったのだが、
そのデータは『汽機発靭』、『汽機必以』には見えない。
()著が1860年代半ばの本だから、それは止むを得ないのだけれども、
後の船舶技術史書に
「アメリカ」号のデータが登場しないのは不思議だと私は感じていたが、
その謎は、最近、『実記』英訳版で解かれた―
この船は、使節団を載せた翌年、火災で失われたのだそうだ。
現地の新聞によってこの出来事を英訳に注記して下さった
M.コルカット教授に深謝しなければならない。
(たかだ せいじ 久米美術館)
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I6802468-00