【京都府下人物誌. 第1編】明治24年7月20日出版
《鳥海弘毅君傳》p29-33/108
―略―
明治二年(1869) p29/108
君藩撰を以て東京に遊學す
君の説果して行はる
君東京に至るや直に福地源一郎氏の門に入る
未だ幾くならすして去る
福地氏は洒落の人なり
其業を授くるや體貌を修めす
衣襟或は幇間に類するあり
君謂?く以て師とするに足らさるなりと卒に去り
大學南校に入る
巳にして政府各藩の貢士を召す
龜田藩君を薦む
君尚政府の命により大學に在ること二年
君常に外國敎師の傲慢にして禮なきを憤る
竟に同盟數人と校を退く
君校を退くの後
頗ぶる志士の間に往來し大に經綸を論す
事聞き藩大に之を憂へ
君等を召還す
君應せす
既にして藩英學校を起し君等を招き敎授を主らしむ
既に歸る事皆計に出つ
盖し君等の
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/29
東京にあるや
其激論を爲し四方に徘徊するを恐る
是を以て事に托して君等を召還せしなり
君歸るの後爲す處なく快々として樂ます
頻りに出遊を思ふ
然れとも當時尚家に老母あり
且つ曩に學成らずして
一旦竟に故園に歸るの故を以て復た
藩命あるにあらすんは出遊を許されす
是を以て其機を得ず
是に於て一計を案し
自から下り足輕の格に入り
藩の飛脚と為り
以て東京に出つ
飛脚は賤業なり士のなさゝるところ
而して君之を爲して顧みす
盖し士卒平權論を躬行せんとするの意に出つ
小野梓亦嘗て士籍を奉還して平民と為り四方に漫遊す
亦君と其轍を同ふす
君か再ひ東京にあるや
某の家に客たり
當時維新日淺く
天下の事尚未た其緒に就かす
君爲以?く國家の要は敎育にあり
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/30
明治廿四年七月廿日印刷
明治廿四年七月廿日出版
定價 金廿五銭
著者兼發行者 櫻井敬太郎
京都市上京區堺町夷川上ル
絹屋町二十四番戸寄留
仝 佐野精一 靜岡縣平民
同所寄留
仝 手嶋 誾 大阪府平民
同所寄留
印刷者 小倉皆應 廣島縣平民
京都市下京區油小路御前通下ル
玉本町第五番戸寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/103
發行所 金口木舌堂
京都市上京區堺町夷川上ル
絹屋町廿四番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777598/104
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[鳥海弘毅 とりのうみ ひろき]
生没年 嘉永2年(1849)~大正3年(1914)
分 類 官吏
略 歴 秋田県岩城町に、亀田藩士加藤権九郎の長男として生まれる。
戊辰戦争では三崎口に出陣している。
明治2年、藩費で久野謙次郎、中田直慈とともに
大学南校(東京大学の前身)に入学するが中退。
その後京都府収税長などを勤める。
日本武徳会の創立者の一人として知られ、
小野派一刀流、日置流弓術、大坪流馬術にすぐれた。
武徳会幹事長。
京都府で病没。
http://soutairoku.com/07_douzou/20_to/torinoumi_hiroki.html