「追憶の曠野」の発刊に寄せて 
日本航空整備株式会社 常務取締役 富永五郎
[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年


「追憶の曠野」の発刊に寄せて
 花園会 会長
 日本航空整備株式会社 常務取締役
「ゲマインシヤフト」という言葉があります。
私達がいつまでも懐しく思うのは、
同郷の人とか同窓の人とか、
或は隣りの人とか、同僚のことなどで、
そこには地域的な一つのつながりを感じます。

私共もやはりあの満州飛行機と、
その社宅での生活に
(……それがまた終戦という転機で
 一瞬に消え去つた異郷での生活だつただけに……)
つながりを感じて懐しさを覚えるのだと思います。

「満州で骨を埋める」気持で増産に励み、
愉快に働いた満州飛行機、
そして終戦から帰国までの激変した生活、
これは生涯忘れることの出来ないことがらでありましょう。

満州飛行機で営業課長をしていた小西達四郎氏が
その頃の記録を書きとどめて上梓した
この「追憶の曠野」はその意味で貴重な
私共の体験をよみがえらせるものと思います。
序-2[追憶の曠野]小西達四郎
〔画像〕序-2[追憶の曠野]小西達四郎

著者はずつと奉天にいた関係上、
この本には公主嶺とハルピンの模様が書かれていませんが、
終戦時公主嶺から安東方面に疎開した家族も、
ハルピンから牡丹江方面に連れていかれた社員達も
幾多の労苦や危険を重ねながら
やはり奉天に辿りつき、
中には再び花園街の生活に戻つた人もありました。

花園街はその名の通り私達の「花園」でもあつた訳です。

その花園街の終戦後の生活から引揚げまでのメモを
小西氏が身辺の思い出として書き綴つていくうちに
尨然として彼地での生活全部が甦り、
ついに出版を企画したものと聞き及びました。

小西氏の労作を多とし
脱稿を期待して声援を惜しまなかつたものです。

帰国後の旧満飛社員の方々も
“満飛魂”でたくましい生活力と互助の精神を発揮して、
安定した生活に入つておられることを同慶に思い、
諸兄の発展を願うものであります。

本書をひもどき“赤い夕陽”の満州の曠野を追憶するときに
人生の波を心に覚ゆるものでありませう。
 (一九五九年六月記)
序-3[追憶の曠野]小西達四郎
〔画像〕序-3[追憶の曠野]小西達四郎
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月15日(木)
[追憶の曠野]小西達四郎
昭和三十四年八月一日 発行
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