運命の爆撃(奉天)2/4
昭和19年12月8日[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年

荒木少佐と私たちは、
何処を爆撃したのだろうかと話しながら
私は会社が気になつたので、
「的場君会社にすぐ電話してみてくれ」と言つた。
的場君は急ぎ足で事務室に行つたが、なかなか帰つて来ない。

私も事務室に行つて見ると、
「どうしても会社は出ないですよ」
と不安の面持で受話機にしがみついていた。
事務室の中も一入ざわめいていた。
その時顔見知りの将校が入つて来て、
「小西君満飛はやられたよ。
機体工場が盛んに炎えておるそうだ」と知らせてくれた。

電話の出ないのも初めて判つた。
すぐ荒木少佐の室に引返し
「会社がやられたそうです、
すぐ戻りたいが車をお願い出来ないでしょうか」と頼んだ。
そうこうしておる間に墜落した
「B二十九」の操縦士が三人落下傘で飛び降りたが
すぐに捕虜になつたと言う話が伝わり、
その落下傘が部隊に運ばれて来た。
私も初めて見る米軍の落下傘だったが、
純白の絹でその布地は
日本から輸出されたものであるように思われた。

荒木少佐は
「丁度いま部隊長が満飛の被害状況視察に行くそうだ、
それに便乗させてもらったらどうですか」
と言って早速連絡を取つてくれたので
その車にお願いすることにした。

自動車には部隊長と中村監督官が乗っていた。
私は乗るやいなや
「監督宮殿被害状況はどうですか」と無躾に聞いた。
「機体部は全滅だ。整備工場の一部もやられた。
発動機部は被害がないが、
日系、満系の職員の
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犠牲者は柑当ある」と顔を曇らせた。

つづいて私は「花園社宅、東社宅はどうですか」と聞いた。
「花園社宅は大丈夫だが、東社宅は相当やられた。
小西君、君の社宅は何処です」と尋ねられた。
私は「東社宅です」と答えると
「それは大変だな―」と言つて暫く会話がとぎれた。

一瞬家族の安否が頭に浮んだが、
これも戦争と言う非情がなせる運命かと覚悟を決めたら案外落着いた。

中村監督官は満飛爆撃の状況を身をもって受け、
敵機退去のあとすぐ関東軍と第二百三十七部隊に報告の為、
車を飛ばして部隊に帰り、
いま部隊長と共に会社に戻られるところであつたのである。

車は奉天駅前を過ぎた。
市内も城内も平静にはなっていたが、
人々の顔には未だ不安のかげが見えた。
大東区に入り造兵廠の近くになると
道路には無数の大きな爆弾の穴がり
会社には迂廻して行かねばならなかった。

会社の方向からは黒煙濠々と立昇り、凄惨の状が想像された。

満州工作会社のうしろを通り、
やっと自分の会社に着いたが、
あの美しいクリーム色の本社も爆
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風でガラス窓は破れ飛び、
煤煙に汚れて見るかげもなかつた。―6-
p4-5[追憶の曠野]小西達四郎
〔画像〕p4-5[追憶の曠野]小西達四郎

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