20150826()
[大河内傳次郎の青春]
<傳次郎の従兄の倅 別府祐弘>
『活 カツキチ 狂』

『活 カツキチ 狂』
No.150 季刊 秋:2012年10月1日発行

 150

 [大河内傳次郎の青春]
<傳次郎の従兄の倅 別府祐弘>

 11-別府祐弘(べっぷ ゆうこう)

 二〇世紀前半に、ようやく形だけは安定した
日本の銀幕の時代劇に最初の魂を吹き込んだのが、
伊藤大輔監督と名優・大河内傳次郎
(本名・大辺男/マスオ)のコンビであった。

それまでの講談や浪曲の二番煎じの時代劇ではなく、
不遇な人生の旅に疲れ果てた人間の姿、
虚無と絶望に共通する反逆児といった
現代人の共鳴する魂の声を、
あの傳次郎の(演技に併せた弁士の)ドスの利いた、
腹から搾り出すような台詞まわしで吹き込んだのである。

こうゆうニヒリズムと一種の反骨精神を、
巧妙なサイレント話術で展開した代表作
『御誂治郎吉格子』が、
平成24年7月30日、
現代の名弁士・澤登翠師の熱演により再現され
“門天ホール”満席の観客を沸かせた。

傳次郎と縁続きのものとして
同ホール末席で同夜の演目を
鑑賞させていただいていた私の目は、
しかしながら主演の傳次郎にではなく、
やっとこさ会えた
美しい相手役・伏見直江に終始釘付けにされていた。

 2-大河内の母は直江

 私の誕生前に繰り広げられた
ご両人の悲恋の物語に思いを馳せながらである。

先人のデリカシーに
私見を差し挟むような野暮はしたくないので、
以下は公刊された引用文を繋げるだけに留めたい。

「…大河内の母は直江の噂(競馬好きなど)を耳にすればする程、
 …直江についての知識を得れば得る程、
 (子役育ちで読み書きソロバン、家事万般全部ダメ)、
 この結婚は全然問題にならないと考えたと思われる。
 おそらく大河内も、
 兄の弘も母の説得に努めた時があるに違いない。

 母は頑として承知せず、
 これはどうしても説得不可能だとそのことに絶望したが、
 さりとて直江を思う情は絶望によって尚更つのる。
 そこでその抜け道のごとき蒲郡の口説き文句、
 大津での結合、浜坂へのデート、
 そして一軒ひそかに家を借りての同棲があったわけになる。

 夜間撮影があるという言い訳には
 母としても妨げの仕様がなかったらしい。
 母は自分の好みの女性を探し出して
 大河内と結婚させねばならないと、
 大河内と直江が同棲生活に疲れと倦怠を覚える時期を
 ゆっくり待っていたであろう。

 何しろマスオの親孝行、
 母の意見に対して絶対服従であることは、
 マスオ自身新聞や雑誌にもしばしば書いているし、
 インタビューにもそう答えている。
 母は同棲をしってはいても
 知らぬ顔で平然とかまえていたらいいわけである。
 二人で駆け落ちしてどうこうする勇気は
 マスオにはないと見越していたに
 ちがいなさそうである。

 佛と母とを引き去ったら、
 大河内傳次郎はゼロとなると、
 本人が言っているのだ。
 こんなことを宣言して
 直江との結婚を許してもらえるわけはない」
(富士正晴著「大河内傅次郎」
 中央公論社・昭和53年・172-3頁)

年が明けて傅次郎は、
直江や世間の目を避けて
虚無僧姿に変装して別府に向かった。
母の顔を立てようとしたのであろう。
しかしこれが返って仇となった。

道中、移動警察の刑事に怪しまれ連行されて取調べを受け、
大スター・大河内傅次郎が
単身別府へ向かっていることは白日の下に
晒されてしまったのである。
しかも見合が終わると
親戚の記者が大特種と腕まくりして
待ち構えていた。

ここに至って流石の“丹下左膳”も所詮は人気稼業、
「寄らば切るぞ」ともいえず、
佛と母の両面からの話で引導を渡されることとは相成った。

『大河内傅次郎におめでた話。
 相手は映画も知らぬお寺のお嬢さん』

「伏見直江との結婚話以来噂の無かった
 大河内傅次郎に年が明けると早々
 おめでたい結婚話が訪れた、
 相手は意外にも無名の田舎のお嬢さんだ~
 大河内は旧臘からこっそり
 別府温泉鶴水園ホテルに滞在してゐたが、
 三日午後郷里福岡県築上郡から尋ねて来た
 従姉(別府蓮子=私の伯母)に伴はれ
 豊前宇佐郡の名刹で八幡村森山の教覚寺へ車を走らせた。

 これが彼と同寺当主の姉にあたる
 平田妙香さんとの見合いであった。
 妙香さんはことし24歳、
 大分県中津の扇城女学校を優等で卒業後、
 京都女子専門学校の家政科に学んだ近代女性、
 同地方で生き佛といわれた父の許で
 映画などは見たこともない
 淑やかさに育てられてゐるので
 俳優に嫁ぐなどとは思いもよらなかったが、
 スクリーンを離れた大河内の真面目さを知る
 東京築地本願寺の後藤環爾(私の伯父)氏が
 [3頁5段目へ続く]
 [巻頭頁より続き]
 斡旋して話を進めたもので、
 大河内は、八日親戚の末松代議士の来別を待ち
 日取り等を相談するはずである。
 大河内は別府の宿で語る。
 私も三十五歳、一通りの修行は了えましたから
 結婚して母を安心させたいと思います…」
(大阪朝日新聞 昭和7年1月9日夕刊)。

直江にとってこの大スクープは、
青天の霹靂、驚天動地であったであろう。
「不幸な伏見直江はどうしているか、
 コスモスの茎のように、
 折れ易い気持ちをじっと抱きしめて
 暮している彼女を見るものは、
 その以前の彼女の勝気さを知ってゐるだけに、
 気の毒に思わないものはない。
 『大河内さんの今度の件どう思います』
 と何の気なしに彼女に聞いてみた或る人の前で、
 彼女は、何も言えずに泣き出したことがある。
 弱い女、…伏見直江の淋しい姿を、
 私たちはこれから、
 何時まで見なければならないのであろうか」
(「映画の友」昭和7年5月号)

しかし直江は傅次郎の許をキッパリと去り、
慰謝料も受け取らなかったそうである。

時たま古いシャンソン
“爪”“メランコリー”などを口ずさんでは、
なぜか
“大河内傅次郎の青春”伝説の
思い出される今日この頃である。

『活 カツキチ 狂』
No.150 通巻182号 季刊 秋
2012年10月1日発行
1月4月7月10月 年四回発行
発行所/〒120-0003 東京都足立区東和3丁目18番4号
マツダ映画ビル内  無声映画鑑賞会
編集兼発行人    松田 豊
事務局 電話  03(3605)9981(代)
    FAX 03(3605)9982
無声映画鑑賞会 郵便振替 No.00140-2-152103
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※一部、訂正を行った。 小野一雄
 <傳次郎の従弟の倅 別府祐弘>
  ⇒
 <傳次郎の従兄の倅 別府祐弘>
 平成27年(2015)8月26日
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[大河内傳次郎の青春]<別府祐弘>
『土佐すくも人』第30号(2014年版)
◆本稿は「活カツキチ狂」No.150
 二〇一二年一〇月一日の拙稿を元に加筆し、
 改めて書き下ろした。
 会報からの転載を快諾して下さった
(株)マツダ映画社・無声映画鑑賞会に感謝の意を表したい。
別府祐弘(べっぷ ゆうこう)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2142209.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇