2012年07月06日(金)
【人物分布観. 上篇】
[南豐地方(上)] p24/133
試みに中津に遊びて市中に問ふに
福澤諭吉の名を以てせよ、
彼等の多くは皆いふ
「あの足輕の子が」と一冷笑に葬り去る。
近來郷里子弟の慶應義塾出身者を增し來りて
此風漸く變ぜんとするも
而も里人の尚
翁を紀念せんとするものあるに至らず。
更に公園に至る、
二碑の並び立つものあり。
その形大略同じきも
建立の時日二十年を隔つ、
その舊きものは大久保先生之碑にして
新きものは即ち
福翁門下の建立に係る獨立自尊の碑なり。
而して福翁や一世の偉人にして
大久保先生は眇たる一儒者に過ぎず、
郷人の福翁冷視する以て一班を察すべし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778166/24
明治四十三年一月 十日印刷
明治四十三年一月十五日發行
金 六十錢
著作者 大庭柯公
發行者 杉本 要
大阪市東區北渡邊町八十九番地
印刷者 堀越 幸
大阪市西區阿波座二番町一番地
発兌元 梁江堂書店
東京市京橋區中橋廣小路
電話 本局 五七七番
発兌元 杉本梁江堂
大阪市東區北渡邊町
振替口座 東京 二八二三番
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
《大久保麑山先生紀念碑》
[履歴と業績]別府祐弘 p20/34
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