【京浜実業家名鑑】
《三田村權次郎君》 p360/434
京橋區宗十郎町十一番地 ※宗十郎町十一番地の一
電話 新橋 四四七三番
君は安政五年一月を以て ※1858年2月
播磨國加古郡鳩里村に生る
杉本彌平氏の第三子にして
家世々白木綿商を營む
君弱冠に至るまで其家業を扶掖しつゝありしが
夙に君の爲人を聞き
女婿として望むもの近郷に少なからず
家人亦之を慫慂せしも
君は斷じて之を拒絶し
飄然郷里を去て東京に來る時に
年二十二歳なり
然れど固より寄るべきの知己なく
事を靱むべきの資金だになければ
暫く身を他家に托して
活動の時機至るを待つに如かずと
桂庵を介して一酒店に入る
是れ今の三田村家なり
三田村家は由來資財豐かにして
早く金貸業を營み
蓄積甚だ豐かなりしが
晩年一轉して酒店を開き
老後の閑散に供せんとせるに
慣れぬ道とて兎角損耗のみ打續き
遂には失敗の不運に遭遇して
亦如何ともすべからざるに至りしも
君が當家に入りてより
朝は鶏鳴に先ちて起き
夜は四隣人定るの後ち寝ね
勤勉四ケ年に亘る故に家運稍や隆盛に赴く
其の狀況然家人の觀をなす
主人伊三郎氏
君が熱誠なる忠勤と非凡なる才幹とを愛し
君に迫るに其養子たらん事を以てせしも
君容易に諾はず
懇情其煩に堪へざるに至て
初めて之を諾し以て其衰頽を挽回するに努めたり
君の業に當るや熱誠之を盡くすに止まらず
敏捷事を處理して過たず
家事一切を一任さるゝに及ぶ
精勵更に一段を加へ
遂に今日の盛況を呈するに至れり
現に酒店として有力なる他の同業者間に
寸歩も譲らざるに至れるもの
亦所以ありと云ふべし
君の資性は温厚篤實にして
一見搶夫の觀なき能はずと雖も
其正直にして華美を好まず
着實なること眞に實業家たるの素質ありて
都人に稀なり
君今や四子あり
平和なる良家庭を造りて美しき生活裡に在りと云ふ
天は斯る目出度き家庭に祝福を置き給ふと共に
君の事業をして
益々發展せしむべきを信ず
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/360
明治四十年十二月十七日印刷
明治四十年十二月二十日發行
正價 金 八圓
編纂兼發行者 遠山景澄
東京市神田區北神保町八番地
發行所 京濱實業新報社
東京市神田區北神保町八番地
印刷者 武廣和雄
東京市京橋區宗十郎町十五番地
印刷所 合資會社 東京國文社
東京市京橋區宗十郎町十五番地
發兌元 京濱實業新報社
東京市神田區北神保町
電話 本局 三〇三七番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/429
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』