[NOTRE DAME TIMES] 第35号 1972.3.27
発行者 ノートルダム女学院高等学校
    社会部新聞印刷部発行班
    京都市左京区鹿ケ谷桜谷町110
印刷所 森岡印刷所
    大津市中央2丁目
    TEL 大津(23)0574

《小野先生》
本校主事小野又一先生は一月三十一日御逝去された。
二月一日修道院で告別式が行われた。
二月一日。
朝から降り続いていた小雨が止み上がってきた午後三時、
全校生徒の見守る中を小野先生の出棺がしめやかに行われた。
前日の一月三十一日、静かに永眠された小野先生の御遺体は
本校会議室に安置され通夜を過ごされた。
私達生徒にとっては、直接に接することのなかった先生であったが、
あのどっしりとした大きな先生の体が目に浮かぶのは、
やはり影ながらに私達の成長を眺められていたためであろうか。
とにかく私達の心にも惜しい先生を失ったという感が強い。
あるクラスでは、宗教の授業中に会議室に安置されている先生に祈りを捧げてきたり、
また帰りのH・Rでも残された遺族の方々のために黙礼などをしたが、
それが私達のできる範囲内での先生に対する心の表現であったと思う。
小野先生にとっては短いノートルダム生活であられたが、
私達生徒やノートルダムに何かを残していってくださったと思われる。

《小野先生を偲んで》
小野先生の御病気中と御死去にあたり、皆さんの御両親様や、
皆さんがお捧げくださいましたお祈り、献血など、有難うございました。
今は亡き先生もおよろこびになられたことでしょう。
御遺族の皆様も心から感謝しておられました。
小野先生がNDに初めておいでになられたのは、昨年八月のことでした。
以来僅か五か月間でしたが、
先生方、事務、用務の方々に深い心のつながりを残された方でした。
先生は学校のすべてに関心と興味を示され、
一日も早くMDを理解するよう努めておられました。
毎週火曜日の朝の祈りの会は勿論、
毎月の御ミサにも、またクリスマスの深夜ミサなど、
本校第一の特色である宗教行事には、欠かさず出席されたことも、
一緒にいらした皆さんはまだ憶えておいででしょう。
この他の行事、活動にも参加されました。
秋にはソフトの競技に参加されたことも、
ソフトボール同好会会員の方の記憶に残っていることでしょう。
NDの教育に全力を注いでおられるお姿が、ここかしこに思い出されます。
先生の告別のミサの時、
弔辞をくださった京大工学部教授椹木(さわらぎ)先生や、
先生のお友達であられた西村先生(現主事)のお話では、
先生は非常に頭脳明せきで、三高、京大時代を通じて、
優秀な成績の持主でいらしたそうです。
たしかに、NDでの御仕事振りは敏速確実で見事なものでした。
けれども先生は、それ以上のお人柄でした。
何の高ぶりも見られないばかりか、
他人の小さな良さにもすぐ気づかれ、
また、御自身の誤りはそのまま認められる謙虚な方だったのです。
人を大切にされ、かけひきのない暖かさで、誰にでも接されたため、
先生に接した人々の心に先生の心の広さと暖かさが残ったのです。
また、椹木先生、西村先生方、そして御通夜、告別ミサにかけつけられた、
中学、三高、京大時代からの親しいお友達の中に、
今に至るまでの暖かい誠実なきづかいがうかがわれる、
深い友情の美しさに感銘をうけました。
先生は一月八日体育館の和室で倒れられ、
直ちに安井病院に入院、
ここで先生の中学以来の親友のお一人である足立副院長先生から、
手厚い手当をうけられました。
この夜以来二十三日間、
安井院長様始め多くの方々、奥さま、お二人の御子息、
御親戚の方々の日夜懸命の看護を受けられました。
これにあわせ、学校、修道院でも、先生方、事務用務の方々、
生徒たちが心を一つにして、先生のためにお祈りしました。
危篤状態に入られた一月三十日夜十時四〇分、
奥村神父様から、洗礼を受けられ、
先生はあたかもこのお恵みを待っておられたかのように、
三十一日早朝二時二十六分、神の御もとに永遠に召されました。
五十五年の御生涯でした。
「若し一粒の麦が地に落ちて死なないなら、ただ一つのまま残る。
しかし、死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ 十二章、二十四節)
このキリストの御言葉は小野先生のお通夜の時に朗読された一節でした。
小野先生を失ったことは惜しいことですが、
先生の私たちに残されたものは、大きなものでした。
日頃「私は不信心で、宗教には縁遠いので・・・」などおっしゃりながら、
神さまのお召しにこたえるため、自らを準備された先生の立派なことば、
私共の心から忘れ去らないことでしょう。
NDを真に愛された先生は、
これからは天国から見守ってくださることと信じております。
[NOTRE DAME TIMES]《小野先生を偲んで》
※ 椹木教授  椹木義一
※ 西村先生  西村四郎
【第三高等学校一覧】昭和11年4月起昭和12年3月止
第三高等学校 昭和11年7月20日発行
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275355/217
昭和11年卒業生
理科甲類卒業生 102人 p209-210/219
小野又一  京工 高知
椹木義一  京工 京都
西村四郎     京都
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275355/209
理科乙類卒業生  40人 p211/219
足立道五郎 京医 兵庫
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275355/211

【京都帝国大学一覧】昭和15年度
京都帝国大学 昭和15年10月1日発行
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450807/320
医学部 医学士 p230/326
昭和15年3月学士試験合格
足立道五郎 兵庫
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450807/230
機械工学科 p232/326
昭和14年3月学士試験合格
椹木義一  京都
小野又一  高知
理学部 理学士
化学 p237-238/326
昭和15年3月学士試験合格
西村四郎 京都
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450807/237
【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

※ 足立副院長 足立道五郎
[第一神戸中学校]昭和8年(1933)3月卒業『小野又一』『足立道五郎』
兵庫県立神戸高等学校
旧制第一神戸中学校(神戸一中)
【第三高等学校】昭和11年(1936)3月卒業『小野又一』『足立道五郎』
【京都帝国大学】昭和14年(1939)3月卒業『小野又一』
昭和15年(1940)3月卒業『足立道五郎』

《京都民医連 第二中央病院》
安井病院 ― 京都民医連第二中央病院 歴代院長
1976(昭和51)~ 1986(昭和61)足立 道五郎
※ 安井院長  安井信雄
《京都民医連 第二中央病院》
安井病院 ― 京都民医連第二中央病院 歴代院長
1955(昭和30)~ 1976(昭和51)安井 信雄
1976(昭和51)~ 1986(昭和61)足立 道五郎
1986(昭和61)~ 1996(平成8) 安井 浩
1996(平成8)~ 2002(平成14) 鈴木 憲治
2002(平成14)~現在      門 祐輔
http://www.shinwakai-min.com/kyoto2hp/index.html