日本ホッケー協会:慶応義塾ホッケー部:日本ホッケーの始まり

《明治39年》
社団法人 日本ホッケー協会
協会の歴史
日本ホッケーの始まり
1906年(明治39年)に、英国人ウィリアム・T・グレーが慶応義塾に教えた日をもって
日本のホッケーの正式な始まりとしています。
※写真:慶応夏合宿(明治41年7月11日~24日、沼津中学校グラウンド)。
二列目中央がグレー氏 写真提供「アサヒスポーツ」

グレーによる慶応義塾ホッケー部誕生
創設趣意書の発表1906年(明治39年)1月初旬、
慶応義塾教員・小倉和市の名により
義塾内にホッケー倶楽部創設の趣意書が発表されました。
11月中旬、義塾新講堂に於いて、
前ダブリン大学ホッケー選手聖アンドリウス教会牧師 グレーが
有志にホッケーの説明を行っています。
協会の沿革
http://www.hockey.or.jp/jha/history/

慶應義塾体育会ホッケー部
日本ホッケーの父 ウィリアム・トーマス・グレー牧師(1875-1968)
アイルランド人はスポーツ好きで知られるが、
1906年(明治39年)に日本にホッケーを紹介したのも
ウィリアム・トーマス・グレー牧師というアイルランド人だった。
1875年(明治8年)に生まれ、
1905年(明治38年)に宣教師として東京に赴任する。
ダブリン大学トリニティ・カレッジ在学中に熱心なホッケー部員だった彼は、
1906年(明治39年)に日本で初めてホッケーを慶應大学に紹介し、
これにより現代スポーツであるホッケーは日本で発展していった。
グレー牧師は12年間慶應の学生たちのホッケーの指導にあたり、
アイルランドに帰国した後1968年に没し、ダブリンに葬られている。
現在も同師は日本・慶應のホッケーの父として深く尊敬されている。

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