[小野栄一郎より小野又一へ]手紙-3/4-昭和47年(1972)1月23日
612 京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様
270-11
一月二十二日
千葉県我孫子市白山一丁目29-11
小野栄一郎
一月も早や終りに近く
この調子で冬が駈足で過ぎてくれるよう祈っています。
先日のお便りでは八月より
ノートルダム学園の主事として元気よくやって居られる由
うれしく拝読しました
実は正月 諏訪部兄より電話を頂き
その折り貴兄が新しく高校へ関係して居られると聞き
何處の学校かなと思っていた所でした
諏訪部兄は昨年十一月?
学校で転倒し踵の辺りを骨折
日大附属病院に入院中
正月 特に許可を貰って自宅に帰っているのだとの話でした。
京都のノートルダム学園は西嶋の末弟の嫁の出身校で
前からよく聞いて居り
最近の地図で場所も見ていました。
疎水堤や永観堂・若王子に近く
春は桜 秋は紅葉の美しい所ですね
電車は天王町か 第三錦林校前ですか
岡山には清心女学院にノートルダム女子大があり
私の住んでいた所の近くで
二・二六事件の時の渡辺?大将の娘さんが学院長でした
私が以前勤めた田舎町の小さな高校とは又 趣きが全く異るとは思いますが
学校はつまらぬ事も多い代り又 考えようによっては面白い所です
学校管理は私には判りませんが むつかしい事もありましょうし
貴兄の場合は片棒がシスターとて
おそらく貴兄はあっちこっちと多面にわたる仕事で
大多忙と思われます
私は専ら若い生徒相手の授業だけで暢気でした
現在もその時の生徒(今は42才―35才位)によく厄介になります
京都ノートルダムの中高校は大変入学の難関だそうですね
貴兄の応用自在の優秀な頭脳と迫力ある行動力で
シスターを助けて上げて下さい
唯 宗教の学校なので そんな先生はあまりないと思いますが
とかく 私立校の教師は変人が多いです
私も元気なれば貴兄の学校の辺りを歩いてみたいです
小学校(七条大宮の大内校)の頃 遠足で永観堂の錦秋や
銀閣寺を訪ねた事を想い出します
その頃 市電は熊野神社までで
まだ東へも北へも路線は延びて居らず
三高よこの道(今の電車道路)も半分ほどに挟いでした
大学の頃は近すぎて返って若王子の辺りは一度も行かず
疎水堤を二度通りましたか?
お便りに人生の80%をすぎたと書いてありましたが
小生自身は私に与えられた予定の200%も生きた気がします
身体の悪さによる心身の不快感のために
でも菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
松葉杖をつきながらも高校の教壇に七年も上がったりして
今 別に思い残すことは先ずありません
唯 望まずして身体の都合上
酒とタバコと女には遂に無縁でしたけれど
タバコなど火をつけたり消したりが面倒で
第三者も聞いたり読んだりでは
やはり面倒なもののようですね
知らない者は語る資格なしですが
(関心度零と言うわけではありません)
此の頃になって母がいよいよ年老い
私の世話をしかねるようになると
しみじみ親不孝を痛感し
せめて妻子だけでも
あったらと思ったりするようになりましたが
人間勝手なものです
暖冬とは申しても
やはり冬とて寒く
二月になると更に寒くなります
京は底冷えの地とて
呉々もお身体を大切にして下さい
一月二十三日 小野栄一郎
小野又一様
※ 菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-02
『国立国会図書館サーチ』
51巻354号
フレオン113の蒸氣表と蒸氣線図(松村鶴藏博士喜壽祝賀記念講演)
菅原,菅雄,小野,栄一郎 社団法人日本機械学会 1948-03-25
―略―
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2235941.html
京都帝国大学 昭和13年5月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/301
工学部 機械工学科 p211/304
昭和11年入学 37名
小野栄一郎 岡山
小野又一 高知
桑名正武 高知
諏訪部 正 和歌山
椹木義一 京都
田賀喜一 大阪
菱川正武 岡山
四方健二 京都
長井孝太郎 大阪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/211
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
612 京都市伏見区深草正覚寺町九
小野又一様
270-11
一月二十二日
千葉県我孫子市白山一丁目29-11
小野栄一郎
一月も早や終りに近く
この調子で冬が駈足で過ぎてくれるよう祈っています。
先日のお便りでは八月より
ノートルダム学園の主事として元気よくやって居られる由
うれしく拝読しました
実は正月 諏訪部兄より電話を頂き
その折り貴兄が新しく高校へ関係して居られると聞き
何處の学校かなと思っていた所でした
諏訪部兄は昨年十一月?
学校で転倒し踵の辺りを骨折
日大附属病院に入院中
正月 特に許可を貰って自宅に帰っているのだとの話でした。
京都のノートルダム学園は西嶋の末弟の嫁の出身校で
前からよく聞いて居り
最近の地図で場所も見ていました。
疎水堤や永観堂・若王子に近く
春は桜 秋は紅葉の美しい所ですね
電車は天王町か 第三錦林校前ですか
岡山には清心女学院にノートルダム女子大があり
私の住んでいた所の近くで
二・二六事件の時の渡辺?大将の娘さんが学院長でした
私が以前勤めた田舎町の小さな高校とは又 趣きが全く異るとは思いますが
学校はつまらぬ事も多い代り又 考えようによっては面白い所です
学校管理は私には判りませんが むつかしい事もありましょうし
貴兄の場合は片棒がシスターとて
おそらく貴兄はあっちこっちと多面にわたる仕事で
大多忙と思われます
私は専ら若い生徒相手の授業だけで暢気でした
現在もその時の生徒(今は42才―35才位)によく厄介になります
京都ノートルダムの中高校は大変入学の難関だそうですね
貴兄の応用自在の優秀な頭脳と迫力ある行動力で
シスターを助けて上げて下さい
唯 宗教の学校なので そんな先生はあまりないと思いますが
とかく 私立校の教師は変人が多いです
私も元気なれば貴兄の学校の辺りを歩いてみたいです
小学校(七条大宮の大内校)の頃 遠足で永観堂の錦秋や
銀閣寺を訪ねた事を想い出します
その頃 市電は熊野神社までで
まだ東へも北へも路線は延びて居らず
三高よこの道(今の電車道路)も半分ほどに挟いでした
大学の頃は近すぎて返って若王子の辺りは一度も行かず
疎水堤を二度通りましたか?
お便りに人生の80%をすぎたと書いてありましたが
小生自身は私に与えられた予定の200%も生きた気がします
身体の悪さによる心身の不快感のために
でも菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
松葉杖をつきながらも高校の教壇に七年も上がったりして
今 別に思い残すことは先ずありません
唯 望まずして身体の都合上
酒とタバコと女には遂に無縁でしたけれど
タバコなど火をつけたり消したりが面倒で
第三者も聞いたり読んだりでは
やはり面倒なもののようですね
知らない者は語る資格なしですが
(関心度零と言うわけではありません)
此の頃になって母がいよいよ年老い
私の世話をしかねるようになると
しみじみ親不孝を痛感し
せめて妻子だけでも
あったらと思ったりするようになりましたが
人間勝手なものです
暖冬とは申しても
やはり冬とて寒く
二月になると更に寒くなります
京は底冷えの地とて
呉々もお身体を大切にして下さい
一月二十三日 小野栄一郎
小野又一様
※ 菅原先生のおかげで研究者の真似事も数年させてもらい
小野栄一郎:菅原菅雄教授[京都帝国大学 工学部 機械工学科]-02
『国立国会図書館サーチ』
51巻354号
フレオン113の蒸氣表と蒸氣線図(松村鶴藏博士喜壽祝賀記念講演)
菅原,菅雄,小野,栄一郎 社団法人日本機械学会 1948-03-25
―略―
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2235941.html
※ 諏訪部兄
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度京都帝国大学 昭和13年5月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/301
工学部 機械工学科 p211/304
昭和11年入学 37名
小野栄一郎 岡山
小野又一 高知
桑名正武 高知
諏訪部 正 和歌山
椹木義一 京都
田賀喜一 大阪
菱川正武 岡山
四方健二 京都
長井孝太郎 大阪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451825/211
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』