[東洋 小野梓先生七十年記念祭]昭和三十年十一月:早稲田大學
『小野梓先生七十年記念祭式典』
日時 十一月十八日(金)午前九時三十分
場所 本大學共通教室講堂
式典次第
一 總長式辭
二 遺族挨拶
三 記念講演
衆議院議員 林 譲治氏
文部大臣 松村謙三氏
四 映畫 「早稲田大學」
《記念祭を行うにあたり》
總長 大濱信泉
小野梓先生の名を始めて聞く學生諸君も多い事であろう。
しかし、その名を聞いた以上は、
どうかわが學園の恩人として記憶していただきたい。
なぜなら、小野先生こそ大隈侯の右腕としてわが學園の創立に當り、
學園の魂ともいうべき
「學問の獨立、研究の自由」を吹き込み、
遂に學園の人柱として壮年三十五歳
血を吐いて倒れられた方である。
先生逝かれていまや七十年になる。
回顧すると明治十年代、今から七、八十年前の日本は
明治維新の後を受けて謂ゆる疾風怒濤の時代であった。
封建制度は崩れ去ったが、
思想は混沌として新制度は確立しない。
先生は年少にして欧米に渡り、
獨自の眼光をもって
各國の法制、教育、財政の制度を審さに比較研究したが、
その結論として得た確信は、
學問の獨立によらねば獨立の精神は興らず、
獨立の精神がなければ國の獨立は達成せられない、
ということであった。
この確信に基いて先生の活動範圍は幅廣く
政界に、學界に、言論出版界に亘った。
が、當時大學生であった高田早苗など
七名の同志を率いて大隈侯を助け、
若々しい青年の協力をもって
わが學園の創業を完うしたことは、
われわれ早稲田人が常に感恩の情をもって
先生を偲ばざるを得ないところである。
先生が建學の精神として強調されたのは、
學問の獨立、研究の自由であるが、
それはわが早稲田大學の傳統的精神として傳えられ、
集まり散ずる數多くの學生の間に
知らず識らず深い感化を與えている。
人呼んで小野先生を早稲田の「守本尊」といったが、よい表現である。
先生の七十年記念式典を擧げ、
先生にちなむ諸行事を行うに當って、
われわれの願いは先生の精神が
わが學園において一層旺盛に溢れんことである。
『祭典行事一覧』
十一月十七日(木) 午前十一時
小野梓先生之墓所參拜
十一月十八日(金) 午前九時
小野梓胸像禮拜
記念祭式典
於 共通教室講堂
十一月十八~二十日 午前九時~午後五時
小野梓先生回顧展
於 圖書館
十一月十八日(金) 午後二時~四時 午後五時~七時
劇 〔小野梓〕
於 大隈講堂
『東洋 小野梓先生 ―略傳―』
早稲田大學創立の恩人
小野梓先生は、嘉永五年二月土佐の宿毛(高知縣)に生れた。
―略―
さらに同年(明治15年)、先生が、
わが東京專門學校の創立に當り、
文字通り一世を風靡したその博識と雄辯をもって、
よく大隈を扶け、私學早稲田の基を築いたのは、
實に先生三十一歳の秋であった。
―略―
しかし天は遂に齢を藉さず、
先生待望の國會開設を見ることなくして、
明治十九年一月十一日、遽かに卒した。
享年三十五歳であった。
『小野梓先生七十年記念祭式典』
日時 十一月十八日(金)午前九時三十分
場所 本大學共通教室講堂
式典次第
一 總長式辭
二 遺族挨拶
三 記念講演
衆議院議員 林 譲治氏
文部大臣 松村謙三氏
四 映畫 「早稲田大學」
《記念祭を行うにあたり》
總長 大濱信泉
小野梓先生の名を始めて聞く學生諸君も多い事であろう。
しかし、その名を聞いた以上は、
どうかわが學園の恩人として記憶していただきたい。
なぜなら、小野先生こそ大隈侯の右腕としてわが學園の創立に當り、
學園の魂ともいうべき
「學問の獨立、研究の自由」を吹き込み、
遂に學園の人柱として壮年三十五歳
血を吐いて倒れられた方である。
先生逝かれていまや七十年になる。
回顧すると明治十年代、今から七、八十年前の日本は
明治維新の後を受けて謂ゆる疾風怒濤の時代であった。
封建制度は崩れ去ったが、
思想は混沌として新制度は確立しない。
先生は年少にして欧米に渡り、
獨自の眼光をもって
各國の法制、教育、財政の制度を審さに比較研究したが、
その結論として得た確信は、
學問の獨立によらねば獨立の精神は興らず、
獨立の精神がなければ國の獨立は達成せられない、
ということであった。
この確信に基いて先生の活動範圍は幅廣く
政界に、學界に、言論出版界に亘った。
が、當時大學生であった高田早苗など
七名の同志を率いて大隈侯を助け、
若々しい青年の協力をもって
わが學園の創業を完うしたことは、
われわれ早稲田人が常に感恩の情をもって
先生を偲ばざるを得ないところである。
先生が建學の精神として強調されたのは、
學問の獨立、研究の自由であるが、
それはわが早稲田大學の傳統的精神として傳えられ、
集まり散ずる數多くの學生の間に
知らず識らず深い感化を與えている。
人呼んで小野先生を早稲田の「守本尊」といったが、よい表現である。
先生の七十年記念式典を擧げ、
先生にちなむ諸行事を行うに當って、
われわれの願いは先生の精神が
わが學園において一層旺盛に溢れんことである。
『祭典行事一覧』
十一月十七日(木) 午前十一時
小野梓先生之墓所參拜
十一月十八日(金) 午前九時
小野梓胸像禮拜
記念祭式典
於 共通教室講堂
十一月十八~二十日 午前九時~午後五時
小野梓先生回顧展
於 圖書館
十一月十八日(金) 午後二時~四時 午後五時~七時
劇 〔小野梓〕
於 大隈講堂
『東洋 小野梓先生 ―略傳―』
早稲田大學創立の恩人
小野梓先生は、嘉永五年二月土佐の宿毛(高知縣)に生れた。
―略―
さらに同年(明治15年)、先生が、
わが東京專門學校の創立に當り、
文字通り一世を風靡したその博識と雄辯をもって、
よく大隈を扶け、私學早稲田の基を築いたのは、
實に先生三十一歳の秋であった。
―略―
しかし天は遂に齢を藉さず、
先生待望の國會開設を見ることなくして、
明治十九年一月十一日、遽かに卒した。
享年三十五歳であった。