斉藤一寛教授・書簡:昭和46年5月11日(火)

《斉藤一寛 早稲田大学名誉教授》

612
京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様

〒167
東京都杉並区南荻窪二丁目26-16
斉藤一寛
電話(三三四)○六四七

前略
先日、小野梓の事項を調査に四国を巡り、
京都に立ち寄った際は、旅行中のことで、
電話をかける??もなく、
そのまま京都に直行し、
お宅を訪ねる結果となり大変失礼いたしました。

ヤスのことについて、多くの知識を得、
かつ「民法之骨」の原稿
その他を実見し、
感銘著しいものがありました。

小生の不時の訪問で、
小野さんのスケジュールを乱したこととなり、
その点、同じ仕事をしている者として、
突然の訪問がいかに迷惑かは知っておりましたが、
何卒お許し願います。

翌日の日曜は、
御迷惑をおかけしないで済むと思っての行動でしたが、
その日曜を、
すっかり小生のためにつぶしてしまった結果になり、
本当に恐縮しています。

なお、一番有り難かったことは車を出して頂いたことでした。
厚く御礼申上げます。

これから、宿毛―京都間の調査事項を整理するわけです。
「大学史編集所」とも連絡して、
また、お願いする件が出ましたら、
よろしく、御助力のほどお願いします。

帰京の翌日は一日寝ていまして。

今日から又 仕事に入ります。
取りあえずお礼まで申上げます。

末筆ながら奥様、
車の運転して下さった雄二さんに
よろしくお伝え願います。

これを機縁に今後とも、
私的にもよろしく御指導下さるよう
お願いします。
とり敢えず御礼まで・・

五月十一日      斉藤一寛
小野又一様

※ 突然の訪問が・・・。昭和46年(1971)5月8日(土)
※ 翌日の日曜は・・・。昭和46年(1971)5月9日(日)
1斉藤一寛教授・書簡:昭和46年5月
2斉藤一寛教授・書簡:昭和46年5月
3斉藤一寛教授・書簡:昭和46年5月
4斉藤一寛教授・書簡:昭和46年5月
[小野梓著『国憲汎論』の上表白文について
斉藤一寛
早稲田大学史記要 第五巻 抜刷

四 『上国憲汎論表』について p158-159
筆者は昭和四十六年五月上旬、
宿毛時代の小野梓の生活や小野家の家系などを確かめるために、
彼の故郷宿毛を訪れた。

予定は十日間、折りからの霖雨で行動は拘束され、
小野梓の遺族の方々、土地の古老、遺跡、
墓地などを廻るだけで相当の時間を費した。

幸い宿毛市役所、市教育委員会、公民館、
特に菩提寺清宝寺を守る住職清家省三氏の御尽力により、
遺族および関係者の方々が、
一堂に集会して資料を照合したり、記憶を喚起したり、
古文書の被見、その複写など、作業は徐々に進展した。

梓の生れた宿毛の自然である背景もまた見逃してはならなかった。

「預言者は故郷に入れられない。」
と言われているが梓の場合はそうではなかった。

梓を敬慕する人々の助力によって
辛うじて初期の目標はほぼ達せられた。

五月六日の午後、
清宝寺の庫裡を訪れた際、清家氏と談たまたま梓の『国憲汎論』に及んだ。
清家氏は別棟の建物から一巻の軸を持って来た。

それは梓の「手写」になる
「上国憲汎論表」を表装したものであった。

天地約一五〇センチメートル、
巾約七〇センチメートルの
古色蒼然とはしているが損傷のない一軸であった。

軸を掲げて清家氏と共その一字一字を拾うようにして読み下した。
それには楷書で次のように書かれていた。
―略―
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240152.html
※ 昭和46年(1971)5月6日(木)
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