舎監:小野文子・主事:小野又一[二十年の歩み]ノートルダム女学院
[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員1覧 p273
「舎 監」 p281
鴛渕裕枝
小野文子
〒613
京都市伏見区深草正覚町9
TEL (075)541-4961
S・ナタリー
〒606
京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
ノートルダム修道院
TEL (075)771-4436
「ノートルダム女学院20年史年表」 p301
昭和47年(1972) p312
1月31日 本校主事 小野又一氏 逝去
「あ と が き」 p313-314
深い山の岩間からかすかな音をたてて流れ出した
ノートルダム女学院の源流は20年の短い歳月のうちにも、
それなりに大小様々の岩にぶつかって、
その都度八方にしぶきをあげながら次第に床を削り、
巾を広げてやっとこの頃、
川の仲間に入れていただけるように
なったのではないかと思います。
編集を終えた今、そのような気が致します。
昨年の4月、校務分掌の一分枝として校史編纂部が発足し、
束田延夫先生を頭にシスター・ヴァージニアと私の3人が、
この任を仰せつかりましたが、
この種の仕事はどこの学校の場合でも同じでしょうが、
私共の場合も例に洩れず、仲々順調には進みませんでした。
まず束田先生が
ノートルダム法人事務局関係のお仕事が多忙となられ、
20年史編集にあまり加わっていただけなくなりました。
その後任として、
小野又一先生が8月1日より赴任されましたが、
何よりも誠実な御性格と
20年史編纂への御熱意とに喜んでおりました矢先、
47年1月8日に脳卒中でお倒れになり、
御家族、御親類、御友人、職場の全員の祈りも空しく、
1月31日未明御他界されました。
先生とのお別れの悲しみは一方ならぬものでしたが、
その中で第3篇思い出の流れ用に依頼しておりました
旧職員、卒業生、父母の会の役員方、
その他色々の御関係の方々から次々と記事も寄せられたことが、
大きな励みになりましたことを、
ここに感謝をこめて記させていただきます。
幸いその後西村四郎先生、岩城昌子先生、
吉田志希子樣、鴛渕裕枝樣が
お手伝いに来て下さったおかげで
どうにかここまでまいりました事を深く感謝しております。
その他この小史編纂のため陰に陽に御力添え下さった
数知れぬ方々にこの場を借りて心から御礼申し上げます。
最後になりましたが、この20年史編纂の方針としましては、
幸い御健在で御活躍して下さっています
創立者とその協力者たちの生の声を
できるだけ忠実に伝えようということと、
20年の間に分散してしまった資料を
一つにまとめようということでした。
前者のために校史としては
異例の座談会方式を取り入れましたし、
後者としては、不備ながら第2篇で
出来るだけの統計類を正直に収めました。
この20年史が
今後の本校の教育のために何らかの意味で役立てば
これに勝る喜びはないと思っております。
(浅井照子記)
[20年のあゆみ]
昭和47年(1972)10月1日発行
発行者・発行所
ノートルダム女学院
京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
印刷所 関西印刷株式会社
京都市下京区西七条東御前田町
[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員1覧 p273
「舎 監」 p281
鴛渕裕枝
小野文子
〒613
京都市伏見区深草正覚町9
TEL (075)541-4961
S・ナタリー
〒606
京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
ノートルダム修道院
TEL (075)771-4436
「ノートルダム女学院20年史年表」 p301
昭和47年(1972) p312
1月31日 本校主事 小野又一氏 逝去
「あ と が き」 p313-314
深い山の岩間からかすかな音をたてて流れ出した
ノートルダム女学院の源流は20年の短い歳月のうちにも、
それなりに大小様々の岩にぶつかって、
その都度八方にしぶきをあげながら次第に床を削り、
巾を広げてやっとこの頃、
川の仲間に入れていただけるように
なったのではないかと思います。
編集を終えた今、そのような気が致します。
昨年の4月、校務分掌の一分枝として校史編纂部が発足し、
束田延夫先生を頭にシスター・ヴァージニアと私の3人が、
この任を仰せつかりましたが、
この種の仕事はどこの学校の場合でも同じでしょうが、
私共の場合も例に洩れず、仲々順調には進みませんでした。
まず束田先生が
ノートルダム法人事務局関係のお仕事が多忙となられ、
20年史編集にあまり加わっていただけなくなりました。
その後任として、
小野又一先生が8月1日より赴任されましたが、
何よりも誠実な御性格と
20年史編纂への御熱意とに喜んでおりました矢先、
47年1月8日に脳卒中でお倒れになり、
御家族、御親類、御友人、職場の全員の祈りも空しく、
1月31日未明御他界されました。
先生とのお別れの悲しみは一方ならぬものでしたが、
その中で第3篇思い出の流れ用に依頼しておりました
旧職員、卒業生、父母の会の役員方、
その他色々の御関係の方々から次々と記事も寄せられたことが、
大きな励みになりましたことを、
ここに感謝をこめて記させていただきます。
幸いその後西村四郎先生、岩城昌子先生、
吉田志希子樣、鴛渕裕枝樣が
お手伝いに来て下さったおかげで
どうにかここまでまいりました事を深く感謝しております。
その他この小史編纂のため陰に陽に御力添え下さった
数知れぬ方々にこの場を借りて心から御礼申し上げます。
最後になりましたが、この20年史編纂の方針としましては、
幸い御健在で御活躍して下さっています
創立者とその協力者たちの生の声を
できるだけ忠実に伝えようということと、
20年の間に分散してしまった資料を
一つにまとめようということでした。
前者のために校史としては
異例の座談会方式を取り入れましたし、
後者としては、不備ながら第2篇で
出来るだけの統計類を正直に収めました。
この20年史が
今後の本校の教育のために何らかの意味で役立てば
これに勝る喜びはないと思っております。
(浅井照子記)
[20年のあゆみ]
昭和47年(1972)10月1日発行
発行者・発行所
ノートルダム女学院
京都市左京区鹿ケ谷桜谷町1
印刷所 関西印刷株式会社
京都市下京区西七条東御前田町