[135]〔太田榮之助君〕p178-179[現代船井郡人物史]

[現代船井郡人物史]三丹新報社:大正五年九月二十五日発行

[135] 〔太田榮之助君〕p178-179
    檜山村の元老
    船井郡檜山村
氏は文久二年十二月七日生にて ※1863年1月26日
志操堅實、
壮時は満々たる覇氣を有し、
氣骨稜々として誠に竹を割たる如き
清廉にて其欲する所は之を云ひ、
決して人を憚らず自由民権論の輸入せらるゝや、
非常なる熱心を以て之が鼓吹に努め
選挙運動等には一方の旗頭となり
大道狭ましと濶歩し氣焔萬丈、
八釜しやを以て鳴したる闘士なり、

斯る有様なれば町村制實施の際はイの一番を以て
村会議員に當選し大に村政の為に盡したり、

同三十一年三月擧げられて同村學務委員となり

三十二年三月収入役となりたるも

同年十月同村々長となるに及びて辭任せり、

同三十六年村長満期退職したるも

四十年十月再び擧げられて村長となりしが

四十二年十二月家事都合を以て辭職し、

爾来酒造を業として専心之に従事し
政事狂と稱せられたる政黨熱も何時しか冷却して
亦昔時の感あらしめず、

常識の圓熟したる酒造家の旦那様なり、

されど壮時の俤は何處となく名残を留め、
氣品高尚にして風采態度自然に備はる貫目は
遉が名家に人となりたるを偲ばしむ、

今や全く政界を絶縁して出でざれども
其名聲あり、
人望あり、

既往の事蹟は決して村長太田源次郎氏に譲らざるべし、

檜山村が郡内の模範村として稱揚せらるゝもの
氏の力亦大なりと謂ふべし、

嗣子平馬氏は京都中學校を卒業し
一年志願兵として福知山歩兵第二十聯隊に入り
満期歸郷後は豫備歩兵少尉として
郷黨の為に盡瘁せるのみならず、

檜山郵便局長として
地方通信機關の責任を荷ひ
國家の為に貢献せり、

太田家は平馬氏に依りて
鬼に金棒を得たりと云ふも過言にあらず
家名の隆盛期待すべきなり、

君年歯尚春秋あり幸に健全以て鶴壽を祈る。

大正五年九月二十日印刷
大正五年九月二十五日発行
編輯兼発行人 藤本 薫
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人    中西勝太郎
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
印刷所    中西印刷合名会社
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
発行所    三丹新報社
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
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