[060]〔村山磯太郎君〕p81-82[現代船井郡人物史]
[現代船井郡人物史]三丹新報社:大正五年九月二十五日発行
[060] 〔村山磯太郎君〕p81-82
船井郡會議員
船井郡須知町字安井
氏は明治二年十二月九日生、
祖先代々農を業とせるも
今は材木商を營み
傍ら菓子粉を製造する等
家運益々隆盛を極む、
明治三十四年四月擧げられて同村會議員となり満期再選。
同三十九年十一月同村助役となる等
專ら村治の為に盡瘁せしに、
明治四十年七月家事都合を以て
助役のみか村會議員まで辭任し
爾来全く公職と絶縁して
一意專心家業に従事し
亦を顧みざるの有様なりしが、
隆々資産の成るに隨ひ
名聲は彌々重きを加へ
衆望は何時までも其隠退を許さず、
昨年九月郡會議員に選出せり、
されば氏も國民の義務遁れ得ざる所と就任し
今日に至れるが
其他同村區長、蠶業組合長等を務め
地方殖産の為に盡せり、
君は温厚の中に
覇氣を有し進取的活動の人なり、
幼時秩序的學府を經ずと雖も
頭脳明晰にして理財に富み、
志操堅實にして一旦發起したる事は
飽まで成功を期せざれば
已まざるの氣慨あり、
されど其多くを語らず
謙譲なるを以て
一面平凡なる人物なりと評する
あれども是れ親しく君に接せず、
外觀を穿てる酷評ならん、
君子は惡なるが如しとは洵に金言なり、
今や嗣子文治氏ありて
家事に杞憂なし
殊に君年歯尚春秋あり、
國家の為め
益々其手腕を發揮し
晩年の大成を祈る。
大正五年九月二十日印刷
大正五年九月二十五日発行
編輯兼発行人 藤本 薫
京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人 中西勝太郎
京都市下立売小川東入西大路町十番戸
印刷所 中西印刷合名会社
京都市下立売小川東入西大路町十番戸
発行所 三丹新報社
京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
[現代船井郡人物史]三丹新報社:大正五年九月二十五日発行
[060] 〔村山磯太郎君〕p81-82
船井郡會議員
船井郡須知町字安井
氏は明治二年十二月九日生、
祖先代々農を業とせるも
今は材木商を營み
傍ら菓子粉を製造する等
家運益々隆盛を極む、
明治三十四年四月擧げられて同村會議員となり満期再選。
同三十九年十一月同村助役となる等
專ら村治の為に盡瘁せしに、
明治四十年七月家事都合を以て
助役のみか村會議員まで辭任し
爾来全く公職と絶縁して
一意專心家業に従事し
亦を顧みざるの有様なりしが、
隆々資産の成るに隨ひ
名聲は彌々重きを加へ
衆望は何時までも其隠退を許さず、
昨年九月郡會議員に選出せり、
されば氏も國民の義務遁れ得ざる所と就任し
今日に至れるが
其他同村區長、蠶業組合長等を務め
地方殖産の為に盡せり、
君は温厚の中に
覇氣を有し進取的活動の人なり、
幼時秩序的學府を經ずと雖も
頭脳明晰にして理財に富み、
志操堅實にして一旦發起したる事は
飽まで成功を期せざれば
已まざるの氣慨あり、
されど其多くを語らず
謙譲なるを以て
一面平凡なる人物なりと評する
あれども是れ親しく君に接せず、
外觀を穿てる酷評ならん、
君子は惡なるが如しとは洵に金言なり、
今や嗣子文治氏ありて
家事に杞憂なし
殊に君年歯尚春秋あり、
國家の為め
益々其手腕を發揮し
晩年の大成を祈る。
大正五年九月二十日印刷
大正五年九月二十五日発行
編輯兼発行人 藤本 薫
京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人 中西勝太郎
京都市下立売小川東入西大路町十番戸
印刷所 中西印刷合名会社
京都市下立売小川東入西大路町十番戸
発行所 三丹新報社
京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五