[063]〔荒井宇之助君〕p84-85[現代船井郡人物史]

[現代船井郡人物史]三丹新報社:大正五年九月二十五日発行

[063] 〔荒井宇之助君〕p84-85
    煙草元賣捌業
    船井郡須知町
氏は慶應三年一月十日生れ、

幼にして頴悟夙に棟領の器あり、
長ずるに及び靑年會長となり

明治二十七年
須知銀行の設立せらるゝや
擧げられて支配人となり
地方財界の中堅となりたるが、

自邸は度量衡器販賣を妻女の營業となし、
專心行務の爲に盡瘁せられたる功績は
實に偉大なるものにて

須知銀行が堅實なる發達を爲し、
今や船井郡銀行中に
超然一頭角を顯はし
名聲の嘖たるものあるは
全く氏が勤勉努力の賜ものなりと稱すも
決して過言にあらざるなり、

斯くて品望は大に加はり村民の信頼
日に厚きを加へ

明治三十一年十二月同村長に擧げられたるも

三十三年三月家事都合を以て辭任せり、

然るに明治三十七年四月
再び須知銀行常務取締役に擧げられ

四十年四月辭任するや、
又も同村々長に引出され
一時は銀行に役場に引張凧の感あらしめたるが

偶々煙草元賣捌人を命ぜられ
家事多端を加ふるに至りしかば

四十二年二月家事を楯に村長を辭し、

爾来煙草元賣捌業の爲に奮勵するに至りたるが
今や園部町に本店を置き
須知、龜岡兩町に支店を設置し
船井、南桑田の兩郡一手に収め
多くの店員を指揮し
日に月に隆盛を極めつゝあり、

斯かる繁務の中にも能く公共の爲に盡し

明治四十一年
西部高等小學校の設立せらるゝや
其學務委員となり、
亦は衛生委員となり、
破産管理人となる等
枚擧に遑あらざるなり、

君は温厚着實の君子にて態度寛容、
寡言なれども其欲する所は徐々に發表して
遺憾あらしめず、
頭腦明晰にして剛膽不抜進取的氣象に富み
自信力に強く
されば君が發案にして成功を見ざるものなく、
是れ其手腕卓越を以て
政治界にも經濟界にも重視せらるゝ所以にて、
君の如きは須知町に於ける柱石として
誇稱するに足る、

町民亦期待して事あれば
必ず君を煩はすを常とせり、

君年歯尚春秋に富む
幸ひ健在以て同町の爲め
功名の吝ならざらんことを夫れ祈る。

大正五年九月二十日印刷
大正五年九月二十五日発行
編輯兼発行人 藤本 薫
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人    中西勝太郎
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
印刷所    中西印刷合名会社
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
発行所    三丹新報社
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
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