[089]〔故平尾恒次郎君〕p118-119[現代船井郡人物史]

[現代船井郡人物史]三丹新報社:大正五年九月二十五日発行

[089] 〔故平尾恒次郎君〕p118-119
    須知町の成功者
    船井郡須知町
本史を編するに當り
逸すべからざる模範的人物を
平尾恒次郎君となす、

氏は昨年九月無き人の數に入りしも
事蹟は赫々として後世人士の
龜鑑とすべきに足る、

氏は貧家に人となり
長ずるに及び阪地に遊び
拮据辛酸を甞め商機を研究して歸鄕し、
呉服商を開業したるが
當時世上は西洋風に流れ
目新らしき洋反物は羽を生して飛ぶと云ふ、
好機に乘じて盛に田舎廻りを爲したる爲め
僅かの歳月にて莫大なる利益を博し
今日の基礎を爲したる大成功者たるなり、

歳の移るに從ひボロキ利益のなきに至りてよりは、
卸賣を專らになし
小賣人には一年何程賣揚をなせば幾何、
何年間繼續して小賣をなせば幾何と云ふ奨勵法を設けて
小賣人を奨勵せるは
他に見ざるの特例にて
是れが爲め一層繁榮せり、

斯の有樣にて氏は秩序ある學歴あらざるも
獨學自修の功に依り
書を能くし帳簿を作るにも一字一劃整然として亂れず、
資産の成ると共に名聲加はり

明治二十二年町村制實施の際
擧げられて同村助役となりて
續て村會議員となり
勤續多年克く公共の事に盡し、

須知銀行大株主となり
監査役に擧げられて村政のみか
實業界にも重きを爲したり、

資性温厚着實、志操堅實にして
注意周到其模範的人物たりしは
左に掲ぐる親友明田吉五郎氏の
吊文に徴して知るべきなり、
―略―
大正四年九月八日  明田吉五郎

君は明田氏が吊文に示す如く
二男喜一氏は京都帝國大學理科出身の學士にて、
三男信一氏は大阪高等醫學校出身にて
共に令名あり、

君、死すと雖も餘榮あり

平尾家中興の祖として
同家系圖を彩るに足らん

大正五年九月二十日印刷
大正五年九月二十五日発行
編輯兼発行人 藤本 薫
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
印刷人    中西勝太郎
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
印刷所    中西印刷合名会社
       京都市下立売小川東入西大路町十番戸
発行所    三丹新報社
       京都府天田郡福知山町字岡ノ九番地ノ拾五
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《京丹波町 時計・貴金属・蓄音器》【全国業界名鑑興信録】大正14年 昭和10年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2182937.html
【全国業界名鑑興信録】昭和10年版
日本貴金属時計新聞社 昭和10年6月21日発行
岡本勝之 博賣社 園部町字本町 p253/494
眼鏡・蓄音器・小売

平尾兵太郎 船井郡須知町新町  p253/494
創業 明治37年 貴金属・眼鏡・小売

仲 和三郎 船井郡須知町新町 p253/494
時計・貴金属・眼鏡・小売

中村弥太郎 船井郡梅田村   p253/494
創業 大正8年 時計・貴金属・蓄音器・小売

中南長三郎 船井郡梅田村    p253/494
創業 明治42年 時計・小売
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036231/253

[三男信一氏は大阪高等醫學校出身]
【大阪医科大学一覧】 昭和2年
大阪醫科大學
昭和2年11月25日発行
大正4年7月卒業(76名)
平尾信一 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278966/112

【大阪帝国大学一覧】 昭和17年度
大阪帝國大學
昭和17年12月30日発行
元大阪府立高等醫學校 卒業生
大正4年7月卒業(76名) p199/322
平尾信一 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276940/199
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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