別府祐六【第五高等学校】

[別府祐六]明治28年(1895)7月25日 生
第五高等学校
大学予科第一部
大正4年(1915)9月入学
大正7年(1918)7月卒業

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正4至5年
生徒(大正四年九月末日調)○ハ特待生 p58/142
第一部第一年 甲二之組        p64/142
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940349/64

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正5至6年
生徒(大正五年九月末日調)○ハ特待生  p60/148
第一部第二年 甲二之組(三十四人)  p63/148
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940350/63

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正6至7年
生徒(大正六年九月末日調)○ハ特待生 p60/138
第一部第三年 甲二ノ組(二十八人)
別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940351/60

【第五高等学校一覧】第十三臨時教員養成所一覧. 自大正7至8年
大學豫科第二十七回(大正七年七月)卒業(二百五人) p123/147
第一部英語法律科、政治科、經濟科、商科(五十二人)
京法 別府祐六 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940352/123

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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第五高等学校(だいごこうとうがっこう)は、
1887年(明治20年)5月熊本区(1889年以降は市制を施行して熊本市)に
設立された官立高等中学校を母体とする旧制高等学校。
略称は「五高」(ごこう)。
概要
全国で5校のナンバースクールの高等中学校の一つとして設立された。
1887年(明治20年)4月の仙台の旧制二高、金沢の四高に次ぐものである。
初期の教員は校長を始め一高からの転出者が多く、
一高をモデルとした全寮制と寮自治が志向された(寄宿舎は「習学寮」)。
文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。
入学者は九州出身者が多く、
卒業後の進学先は地元の九州帝国大学よりも東京帝国大学が多かった。
新制熊本大学の前身校の一つであり、
法文学部および理学部の構成母体となった。
校風は「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)」。
代表寮歌は「東京帝国大学寄贈之歌」、通称「武夫原頭(ぶふげんとう)」。
旧制高等学校の中では飛びぬけて校地が広く、
他の旧制高等学校が2万坪を標準としたのに対し、
5万坪の敷地を誇り、陸上用グラウンドと野球用グラウンドを
別々に設けるなど、かなり余裕がある使いかたをしていた。
戦後、男女共学になり女子学生を受け入れた。
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