加来金升(幼名・加来佐太郎):[東京高等工業学校・工業図案科選科卒業]

明治18年(1885)、
大分県宇佐郡院内町(現・宇佐市)の生まれ。
父政太郎は恵良家より養子に入り、
母サダは中津の恩田家より嫁いだ。
茶屋ノ原の[院内高等小学校]第1回卒業生。

[中津中学校]
明治38年(1905)卒業

[東京高等工業学校]工業図案科選科
明治41年(1908)7月入学
明治42年(1909)7月卒業

明治42年(1909)大江製版所(麻布笄町)
明治43年(1910)大江印版所(麻布区笄町八一)
明治44年(1911)九州帝国大学工科大学・応用化学教室 助手
大正7年(1918) 九州帝国大学工科大学・応用化学教室 助手
大正8年(1919)
大正9年(1920) 日本印刷界社(大阪)
大正10年(1921)~13年(1924) 菊地工場(東京)
大正14年(1925)~アサヒ印刷所(東京)

[中津中学校]明治38年(1905)卒業

【大分県人士録】大正3年4月4日発行
[中津中学校]
第七回卒業生(六十五名)明治三十八年 p262/291
加来金升 宇佐東院内 正則英語学校  p263/291
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908965/263

[東京高等工業学校]工業図案科選科:明治42年(1909)7月卒業

【東京高等工業学校一覧】明治41-42年
学年暦(明治四十一、四十二年)
明治四十一年七月九日 第一学期始ル p3/150
同     七月九日 夏季休業始ル
同     九月十日 夏季休業終ル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813047/3
第九章 選科生及聴講生       p25/150
第四十八条
選科生トシテ入学スル者ハ左ノ各号ノ資格ヲ具ヘ
且本校ニ於テ適当ト認メタル者ニ限ル
一 品行善良身体強健ナル者
二 年齢萬十七年以上ノ者
三 三箇年以上引続当該工業ニ従事シ居ル者
  又ハ工業学校卒業生
第四十九条
選科生ノ修業年限ハ二箇年以内トス
選科生ノ就業時間ハ別ニ之ヲ定ム
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813047/25
生徒現数(明治四十一年十一月三十日現在) p41/150
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813047/41
工業図案科 選科             p46/150
第一年(十名)
加来金升 大分 平
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813047/46

【東京高等工業学校一覧】明治42-44年
東京高等工業学校一覧 従明治四十二年 至明治四十三年 p2/291
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813048/2
明治四十二年七月 工業図案科 選科修了(二名)    p70/291
加来金升 大分 平
大江製版所(麻布笄町)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813048/70

東京高等工業学校一覧 従明治四十三年 至明治四十四年 p116/291
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813048/116
明治四十二年七月 工業図案科 選科修了(二名)    p187/291
加来金升 大分 平
大江印版所(麻布区笄町八一)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813048/187

【東京高等工業学校一覧】明治44-大正2年
東京高等工業学校一覧 従明治四十四年 至明治四十五年 p1/362
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813049/1
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p69/362
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813049/69

東京高等工業学校一覧 従大正元年 至大正二年     p172/362
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813049/172
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p244/362
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813049/244

【東京高等工業学校一覧】大正3-4年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p75/129
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940871/75

【東京高等工業学校一覧】大正4-5年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p77/135
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940872/77

【東京高等工業學校一覽】從大正5年至大正6年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p77/131
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084314/77

【東京高等工業学校一覧】大正6-7年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p82/137
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940873/82

【東京高等工業学校一覧】大正7-8年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p84/140
加来金升 大分 平
九州帝国大学工科大学
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940874/84

【東京高等工業学校一覧】大正9-10年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p89/146
加来金升 大分
日本印刷界社(大阪)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940876/89

【東京高等工業学校一覧】大正10-11年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p90/152
加来金升 大分
菊地工場(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940877/90

【東京高等工業学校一覧】大正11-12年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p94/176
加来金升 大分
菊地工場(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940878/94

【東京高等工業学校一覧】大正13-14年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p95/158
加来金升 大分
菊地工場(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940879/95

【東京高等工業学校一覧】大正14-15年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p97/158
加来金升 大分
アサヒ印刷所(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940880/97

【東京高等工業学校一覧】大正15-16年
工業図案科 選科
明治四十二年七月修了(二名)             p98/161
加来金升 大分
アサヒ印刷所(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940881/98

【東京高等工業学校一覧】昭和2至3年
工業図案科 選科                   p106/174
明治四十二年七月終了(二名)
加来金升 大分
アサヒ印刷所(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466059/106

【東京高等工業学校一覧】昭和3至4年
工業図案科 選科                   p106/179
明治四十二年七月終了(二名)
加来金升 大分
アサヒ印刷所(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466078/106

【東京工業大学一覧】昭和4至5年
工業図案科 選科                   p122/214
明治四十二年七月終了(二名)
加来金升 大分
アサヒ印刷所(東京)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448299/122

《九州帝国大学 応用化学教室 助手 加来金升》
大正3年(1914)~大正7年(1918)

【九州帝国大学一覧】附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正3至4年
工科大学 職員           p32/113
応用化学教室            p34/113
助手 加来金升 大分        p35/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940192/35

【九州帝国大学一覧】附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正4至5年
工科大学 職員           p33/108
応用化学教室            p35/108
助手 加来金升 大分        p36/108
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940193/36

【九州帝国大学一覧】附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正5至6年
工科大学 職員           p36/117
応用化学教室            p37/117
助手 加来金升 大分        p38/117
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940194/38

【九州帝国大学一覧】附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正6至7年
工科大学 職員           p36/124
応用化学教室            p38/124
助手 加来金升 大分        p38/124
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940195/38

【九州帝国大学一覧】附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正7至8年
工科大学 職員           p54/147
応用化学教室            p56/147
助手 加来金升 大分        p56/147
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940196/56

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『斜陽』の家と羊の石像[斉藤良夫]
教育者・加来金升
母校に「200 円」の奨学資金
加来金升は大分県宇佐郡院内町
(現・宇佐市)の生まれ。
「大分の彼の母校である東院内の小学校に講堂を寄付し、
奨学金制度を作ったりしたので校庭に胸像があったそうだが、
昭和の初期の事なのでどうなっているのかわからない」。
この『雄山荘物語』の記述から私は宇佐市にメールと電話で、
小学校のその後を問い合わせた。以下が回答である。
「加来金升(幼名・加来佐太郎)は、院内町原口の生まれ。
茶屋ノ原の院内高等小学校第1回卒業生で、
中津中学、東京高等工業を卒業し、
現在の九州大学に助手として勤務後
朝日印刷会社を創設した。
昭和 5 年に 200 円の大金を奨学賞の資金として寄付した。
学校ではその利子で、各学級で1名(分校も含む)の優秀児童に授与していた。
諸物価の高騰で利子では不足となり、元金の消滅するまで授賞した」
(「東院内小学校誌」)。
東京高等工業は現在の東京工大の前身で、加来は応用化学を修めた。
小学校は町の合併や小学校の統合で、
現在は「院内中部小学校」となっている。
私の電話で、学校側はわざわざ金庫をあけて卒業生名簿を調べてくれたが、
保存してあったのは大正時代以後の名簿で、
院内中部小学校には胸像ばかりでなく加来の面影を残すものはないという。
とは言っても、奨学資金の寄付にみられるように、
加来が後輩の育成・教育に尽力していたことは明らかだ。
http://www15.plala.or.jp/timebox/top/05komamori/aun/syayounoietohituji-honbun.pdf

『斜陽』に描かれた建築空間の考察
『斜陽』に描かれた建築空間 (6)
2000年10月 比較生活文化学会 発表論文
西島 恒佳 (西島建築設計工務)
第6章 河田子爵
これについては実際にこの山荘に住んでいた俳人 林 周平の娘、
林 和代が『雄山荘物語』で詳しく記述している。
下曽我の別荘「大雄山荘」は、加来金升氏により、昭和5年春に竣工した。
加来氏は、明治十八年大分県に生まれ、
父政太郎は恵良家より養子に入り、
母サダは中津の恩田家より嫁いだ。
妻である皓の父は海軍軍人であり、
妹の夫や親戚には貴族院議員で男爵の爵位を持つ人、
海軍軍人、郵船会社社長などがおり、
後にこの家に住むことになる太田静子の母の弟も、その一人であり、
上の畑家から大和田家に養子に行き、逓信次官や会社社長をした人物で、
『斜陽』では、「和田の叔父さま」として登場する(第1章相関図参照)。
文中、河田子爵として登場する
加来金升氏は、現在の東京工業大学の前身、
東京高等工業学校で応用化学を修め、
九州大学で講師をしていたが、
写真印刷の技術の研究が固まったので東京でアサヒ印刷所を設立。
技術的には日本でも屈指で、
戦時中でも軍事関係の仕事を中心に成長を続けたが、
四百名もいた社員は次々に出征し、会社の経営が立ち行かなくなり、
凸版印刷に技術も社屋も売ってしまった。
彼の子供のころからの夢は建築家であり、
アサヒ印刷所の芝浦の社屋も
地下一階、地上二階の円筒形に直線を組み合わせた
大正期のモダニズムを汲むデザインであったそうだ。
http://www.archi-nishijima.co.jp/portfolio/ronbun/ronbun6.htm
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