毎日新聞社編輯総長 高田元三郎【勝ち抜く僕達】毎日新聞社・昭和18年

【勝ち抜く僕達】昭和18年3月25日発行
【勝ち抜く僕達】p1
〔画像〕【勝ち抜く僕達】p1

 勝ち抜く僕達 p3/130
大本營海軍報道部課長
海軍大佐 平出英夫
毎日新聞社
捺印(昭和十八・四・十三・納本)帝圖
【勝ち抜く僕達】p3
〔画像〕【勝ち抜く僕達】p3
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720053/3

 あとがき p126-127/130
 毎日新聞社編輯総長 高田元三郎
次の時代を背負ふ少國民の訓育問題は、
今日ほどそれを眞劍に考へなくてはならない時は、
なかつたと思ひます。
この大東亞戰爭に勝ち抜き、
大東亞共榮圏をうち立て、
これを永遠にひきゐてゆくといふことは、
今日の少國民を、
眞に忠勇なる皇國民として育て上げることなしには、
絶對に考へることは出來ません。

殊に大東亞戰爭が始つてこのかた、
戰史に未だなかつた赫々たる大武勳を立て、
その忠勇無比なる撃滅精神によつて、
全世界を驚嘆させた少年航空兵出身の海鷲の働き、
その訓練、
その精神修養振りを見る時、
この感は特に深いものがあるのであります。
しかもこれらの少年航空兵出身者は、
いづれも支那事變當時には、
まだ國民學校の生徒であつたのです。
それを考へますと、
今日の少國民達が、
第一線に立つて皇國の運命を背負ふ日は、
決して遠い將來のことではなく、
すぐ明日に迫つてゐる問題であると考へなくてはなりません。

もしも今日、
銃後の全國民が、
少年航空兵のやうな、
撃滅精神と訓練精神とを持つて、
お國のために一身を捧げて銃後のつとめに勵むならば、
米英の富や生産力など、
少しも恐れるに足らないのであります。
【勝ち抜く僕達】p126
〔画像〕【勝ち抜く僕達】p126

この撃滅精神、訓練精神を養ひ、
眞にまじり氣のない新しい皇國民の魂を養ふには、
少しの汚れもない純眞な少國民時代から訓育することこそ、
最も大切なのであります。
しかも制空權、制海權が、
國の榮えてゆくことに絶對必要であり、
これなくしては大東亞戰爭に勝抜くことの出來ぬ今日より以後、
いはゆる航空思想や海洋思想を全國民に徹底的に植ゑつけることは、
一日もゆるがせに出來ない問題でありますが、
これも亦、
少國民時代より心がけねば、
その目的は達せられません。

今日各方面で、
少國民の訓育錬成がやかましくいはれてゐるのも、
すべてかうした目的のためでありませうが、
毎日新聞社では、
つとに少國民新聞を發行して、
その努力を續けて來たのであります。
が、さき頃來、
さらにその目的を徹底させるため、
少國民のための、
眞に新しい決戦下の讀物を考へてゐたのでありました。

その時たまたま、
海軍報道部課長平出大佐が、
同じ考へのもとに、
同じやうな讀物の必要を痛感されて、
その計畫を持つてゐられることを知り、
この兩者の考へが合して出來上つたのが、
この「勝ち抜く僕達」であります。

これは少國民の讀物として、
あくまで興味をもつて讀みつゝ、
その間に、
新しき知識と共に、
皇國民としてお國に一身を捧げる心を持たせ、
同時に航空思想、海洋思想を養はせて、
眞に大東亞戰爭に勝ち抜く僕達の意識を高めさせるため、
いはゆるお説敎になることをさけ、
つとめて引例も多くしたつもりであります。
少國民に一人でも多くよんで頂きたいのはむろんでありますが、
同時に、國民學校の先生、
また父兄にも共によんで頂いて、
もつて「勝ち抜く」少國民を育成していただきたいと
お願ひする次第であります。
【勝ち抜く僕達】p127
〔画像〕【勝ち抜く僕達】p127
勝ち抜く僕達
出文協承認
あ480447号
昭和十八年三月 二十日印刷
昭和十八年三月二十五日發行(一五〇〇〇部)
停 定價一圓
編纂兼発行人 相馬 基
印刷所    毎日新聞社
       東京市麴町區有樂町一丁目十一番地
     日本出版文化協會會員番號一〇五五一四
発行所    毎日新聞社
       東京市麴町區有樂町一丁目十一番地
       大阪市北區堂島上二丁目三十六番地
       門司市淸瀧町一丁目九百二番地
配給元    日本出版配給株式會社
       東京市神田區淡路町二丁目九番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
Listening
<毎日新聞1945>秘密の「便所通信」
 ラジオで海外情報入手 2015年6月22日
 第二次世界大戦の開戦前から、
ラジオはメディアの新媒体として各国の宣伝に利用され始め、
さながら電波戦の様相を呈していた。
毎日新聞幹部はこれらの受信により、
大本営が隠す戦況をつぶさに把握していたという。
 ―略―
 掲載できない情報は本社幹部に報告され、
情勢判断の材料として「マル秘」の紙袋に保存された。
当時編集総長だった高田元三郎氏(故人)は
「新聞は完全に国策遂行の機関となり、
紙の弾丸としての役割を果たすだけになった。
戦争も末期になると、白を黒といい、
敗戦の事実をも隠蔽(いんぺい)して、
士気高揚をやれというのが、
一番つらかった」と振り返っている。
編集総長高田元三郎
〔画像〕編集総長高田元三郎
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇