南米移民の父:上塚周平【第五高等学校一覧】【東京帝国大学一覧】

【良い国良い人】東京に於ける土佐人
[水野 龍]南米殖民株式會社長 p123-126/141
―略―
身を移民事業に委ね、
殊に南米の移民に力を致し
數次(しばしば)海を越えて實地の踏査探險をなし、
一方には南米殖民會社を創立して年々移住民を送ると共に、
一方には伯剌西爾(ブラジル)政府の補助を得て
東京にカフェーパウリスタを經營し、
十年一日の如く海外發展の策に盡瘁してをるのである。
高陵の地、曩(さき)には
北米に歸化せる西原淸東(さいばらせいとう)氏あり、
今また水野君あり、
共に聊(いささ)が我が土佐人の爲に氣を吐くに足るものがある。
―略―
(京橋區三十間堀三の一八、電話 新橋 一九一二)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959096/123
大正六年十二月二十日發行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959096/139

《皇国殖民会社代理人たる上塚氏》
新聞記事文庫 移民および植民(9-028)
大阪朝日新聞 1917.7.31-1917.8.28(大正6)
巴西へ (一~二十一)
[サン・パウロにて 海谷野人]
―略―
不幸は単に、これのみならず、更に皇国殖民会社の破産するあり。
移民を生命とするヌーボー式杉村公使既に死して、
妻君万能政治の内田公使は神経質にして
保守、眼光常規の外に達する能わず。
僅に官臭うすく、よく其労を惜しまざる三浦通訳官ありて、
これが尽力と按配とを誤らざりしが
氏も亦賜暇帰朝して長く吾人と同舟の人たる能わず。
日本公使館の意見として外務省に報告せられ、
重大なる日本民族発展の問題を左右するに、
何等の識見なく、抱負なき片々たる一書記生の珈琲園視察報告が、
唯一無二の材料として供給せらるるに過ぎずと云うに至っては、
其危険、無望、吾人は実際に望んで呆然たるの外なかりき。
果然ブラジル移民は停止となれり。
其原因一二にして足らざるべしと雖も、
ブラジルの有力なる悲観説が、
本公使館側を動かすに至りし結果なること勿論なり、
かくて皇国殖民会社代理人たる上塚氏は、
本社よりの送金なきため、代理人としての面目を維持する能わず、
幾多の浪人とサン・パウロ市の場末にかくれて、
玩具製造に従事せざるべからざるの悲運に陥るに至れり。
実に第一期の黒幕は此の如くにして閉されたりき。
―略―
データ作成:2008.5 神戸大学附属図書館
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10024253&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

《アマゾン開拓の功労者で南米移民の父上塚周平氏・客死》
新聞記事文庫 移民および植民(21-126)
報知新聞 1935.7.9(昭和10)
[南米移民の父上塚氏客死]
アマゾン開拓の功労者で南米移民の父上塚周平氏は
去る六日正午ブラジルにおいて客死した旨
外務省その他関係者に通知があった
同氏は熊本県下益城郡杉上村の出身で代議士上塚司氏の叔父に当り
明治四十年東大法科を卒業
同四十一年四月皇国殖民会社に入って南米に渡り、
それより三十年間悪戦苦闘の結果
ブラジルに我移民の楽園をつくりあげた
移民の大恩人である、
この功により昭和八年十一月には破格の思召を以て
勳六等に叙せられたものである、享年六十
[写真(上塚氏)あり 省略]
データ作成:2008.5 神戸大学附属図書館
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10026690&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

[上塚周平]
上塚 周平(うえつか しゅうへい、
1876年(明治9年)7月12日 - 1935年(昭和10年)7月6日)は、
日本のブラジル移民功労者。「ブラジル移民の父」と称される。
来歴 [編集]
熊本県下益城郡杉上村赤見(現・熊本市南区)の
上塚家の本家(ほんいえ)に生まれる。
済々黌高等学校、旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て、
1907年(明治40年)3月に東京帝国大学法科を卒業する。
同年11月、皇国殖民会社の社長を務める水野龍が
ブラジルサンパウロ州農務局と日本移民輸送契約を調印。
翌年の1908年(明治41年)、
代議士の江藤哲蔵の推薦により周平は
ブラジル行第1回移民の輸送監督兼会社代理人として
170家族・792人を率いて移民船・笠戸丸に乗船、
4月28日に神戸港を出航する[1]。
約50日に及ぶ航海の末6月18日にサントスに到着し、
主にサンパウロに移民者を定住させた。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%A1%9A%E5%91%A8%E5%B9%B3

《上塚周平》【第五高等学校一覧】
第五高等学校 大学予科 第一部 法科 甲組
明治二十九年九月入学  一年生
明治三十年 九月現在  二年生
明治三十一年九月現在  三年生
明治三十二年九月現在  三年生
明治三十三年七月    卒業

【第五高等学校一覧】明治29-30年
[第五高等学校一覧]自明治二十九年 至明治三十年  p1/254
生徒(明治二十九年九月末日現在)          p38/254
大学予科 第一部 一年(法科)(甲組)        p50/254
上塚周平 熊本 士                p51/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/51
[第五高等学校一覧]自明治三十年 至明治三十一年    p79/254
生徒(明治三十年九月末日現在)             p123/254
大学予科 第一部 二年(法科)(甲組)          p128/254
上塚周平   熊本士族                p128/254
大学予科 第一部 一年(法科)(甲組)          p131/254
別府三穂三郎 福岡平民                p131/254
[第五高等学校一覧]自明治三十一年 至明治三十二年 p165/254
生徒(明治三十一年九月末日調)           p207/254
大学予科 第一部 三年(法科)(甲組)        p210/254
上塚周平   熊本                p210/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/210
大学予科 第一部 二年(法科)(甲組)        p212/254
別府三穂三郎 福岡                p212/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/212

【第五高等学校一覧】明治32-33年
[第五高等学校一覧]自明治三十二年 至明治三十三年
生徒(明治三十二年九月末日調)          p56/253
大学予科 第一部 三年(法科)(甲組)       p56/253
上塚周平   熊本               p59/253
別府三穂三郎 福岡                 p59/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/59
[第五高等学校一覧]自明治三十三年 至明治三十四年 p118/253
大学予科 第九回(明治三十三年七月)卒業      p216/253
上塚周平   熊本士族 東京帝国大学進入     p216/253
別府三穂三郎 福岡平民 東京帝国大学進入       p216/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/216
生徒(明治三十三年九月末日調)           p176/253
大学予科 第一部 二年(法科)           p182/253
松村仙造 島根                  p183/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/183
大学予科 第一部 一年 法科(乙組)        p185/253
別府賢吉 福岡                  p185/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/185

【第五高等学校一覧】明治34-35年
大学予科 第九回(明治三十三年七月)卒業 p77/303
第一部(法科)
上塚周平   熊本士族 東京法科大学在学 p77/303
別府三穂三郎 福岡平民 東京法科大学在学    p77/303
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812892/77

《上塚周平》【東京帝国大学一覧】
東京帝国大学 法律学科 英吉利法ヲ兼修スルモノ
明治三十三年九月    入学
明治三十三年九月末現在 第一回受験生
明治三十四年九月末現在 第二回受験生
明治三十五年九月末現在 第二回受験生
明治三十六年九月末現在 第三回受験生
明治三十七年九月末現在 第三回受験生
明治三十八年 記録なし
明治三十九年九月末現在 第四回受験生
明治四十年 九月末現在 卒業受験生
明治四十年 十月    卒業

【東京帝国大学一覧】 明治33-34年
学生生徒姓名(明治三十三年九月末現在) p199/364
第二 法科大学学生及生徒       p215/364
法律学科
第一回受験生(姓名いろは順)      p219/364
英吉利法ヲ兼修スルモノ          p219/364
上塚周平 熊本            p219/364
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813177/219

【東京帝国大学一覧】明治34-35年
学生生徒姓名(明治三十四年九月末現在) p198/372
第二 法科大学学生及生徒       p215/372
法律学科
第二回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ          p218/372
上塚周平 熊本            p218/372
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813178/218

【東京帝国大学一覧】明治35-36年
学生生徒姓名(明治三十五年九月末現在) p204/344
第二 法科大学学生及生徒       p212/344
法律学科
第二回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ          p214/344
上塚周平 熊本            p214/344
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813179/214

【東京帝国大学一覧】明治36-37年
学生生徒姓名(明治三十六年九月末現在) p210/357
第二 法科大学学生及生徒       p219/357
法律学科
第三回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ          p220/357
上塚周平 熊本            p220/357
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813180/220

【東京帝国大学一覧】明治37-38年
学生生徒姓名(明治三十七年九月末現在) p196/343
第二 法科大学学生及生徒       p206/343
法律学科
第三回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ          p207/343
上塚周平 熊本            p207/343
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813181/207

【東京帝国大学一覧】明治39-40年
学生生徒姓名(明治三十九年九月末現在) p213/413
第二 法科大学学生及生徒
法律学科
第四回受験生             p226/405
英吉利法ヲ兼修スルモノ
上塚周平 熊本
鳩山一郎 東京
山口堅吉 島根
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813182/226

【東京帝国大学一覧】明治40-41年
学生生徒姓名(明治四十年九月末現在)  p216/413
第二 法科大学学生及生徒
法律学科
卒業受験生              p228/413
英吉利法ヲ兼修スルモノ
上塚周平 熊本            p229/413
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813183/229

【東京帝国大学一覧】明治41-42年
学士及卒業生姓名 法学士 p280/443
明治四十年七月卒業    p286/443
山口堅吉 東京
鳩山一郎 東京
岡村喜一郎 熊本
―略―
明治四十年十月卒業
八尋伊三 福岡
佐藤耕作 新潟
上塚周平 熊本
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813184/286

【帝国大学出身録】大正11年
《上塚周平》 p121-122/872
熊本縣北益郡杉上村
君は熊本縣に原籍を有し
明治四十年東大法学部英法科を卒業し
爾来斯學の研究に餘念なし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970710/121

【帝国大学出身名鑑】昭和7年
《上塚 弘》 p188-189/1005
正七、警視庁警視、交通課長
父 秀勝 慶應二生、現戸主
妻 環  明治二生、福岡県 藤井誠造 長女 府立第三高女卒
君は熊本県 上塚秀勝の長男衆議院議員大蔵大臣秘書官 上塚司の甥
明治三十七年二月二十八日 同県に生る
大正十五年東京帝大法科を卒業
北海道庁に奉職次で千葉茨城各県警察部保安課長に歴任し
昭和七年現職に就く、宗教真宗
(東京市渋谷区千駄ヶ谷町五四九、電 青山六〇三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465969/189

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』