[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』昭和8年~昭和18年:No.6-10
[尾上志げ乃] 妻:小野喜代子の母
[森 志げ乃] 父:森 宇蔵
母:森 イト
大正9年(1920)7月19日 生
兵庫県出石郡高橋村 薬王寺
現 在 兵庫県豊岡市但東町薬王寺
http://goo.gl/maps/pM3fx
[尾上志げ乃]
昭和8年(1933) 入社
新綾部製糸
神栄製糸
計9年間
昭和18年(1943) 退社
《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
《現住所 京都府与謝郡与謝野町三河内》
[森 宇蔵]尾上志げ乃(旧姓:森)の父
丹の国・綾部 第六話 「蚕都をきづいた人々」
ここで、昭和十年頃の綾部の迎えた黄金期を記したい。
それは郡是をはじめとする
養蚕と製糸の農工一体の隆盛を誇った蚕都綾部と
皇道大本の全盛を迎えた宗都綾部の両者が、
見事に一致して開花しその満を得た時代であった。
文献によると当時、人口は年々増加が著しく、
その十ケ年間に実に四十六%の躍進的増加をなし、
尚発展の途上にあり。
”優良町の選に入り名誉の自治旗を授与さる。
小都市にはまれな下水道の完備をはじめ、
数々の都市設備、病院、教育研究機関が完備す。
幾多の新聞、雑誌の刊行が行なわれ、
広く各地に蚕糸業の指導啓発に寄与す。
工業、商業、住宅に雄大な都市計画あり、
綾部の将来やまさに刮目に値すべし”等の記録が見える。
郡是は今や世界を市場に、大きく発展をとげつつあった。
又神栄製糸系の中心工場であった新綾部製糸などをはじめとする
繊維工業の発展をうたい、
大本は大正の法難事件など幾多の紆余曲折を経過してなお、
その度に教勢いよいよ振い、全国に千数百の支別院、支部を擁し、
大本運動の海外進出を実行に移していた時代。
綾部の花柳界である月見町には五十有余の芸子で賑い、
並松の料亭、紫水に浮ぶ川舟に遊ぶお大尽は日夜絶えず、
綾部銀座と呼ばれた西町商店街は当時としては希な、
アーケードが完備し、百貨店あり、名店あり、札貨で鶴亀の飾り物を作り、
それを盗られぬよう日夜商工会の青年団が張番したとか、
三丹の購買客を商都綾部に引き寄せていた時代であった。
まさしく、大古より脈々と流れて来た
綾部ナショナリズムの市民意識の高揚が、
豊かな綾部の自然、産業、精神宗教を背景に燃え上った黄金期、
昭和十年代であった。
http://www.nbcayabe.com/kaiki/gunze.htm
[尾上志げ乃] 妻:小野喜代子の母
[森 志げ乃] 父:森 宇蔵
母:森 イト
大正9年(1920)7月19日 生
兵庫県出石郡高橋村 薬王寺
現 在 兵庫県豊岡市但東町薬王寺
http://goo.gl/maps/pM3fx
[尾上志げ乃]
昭和8年(1933) 入社
新綾部製糸
神栄製糸
計9年間
昭和18年(1943) 退社
《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
《現住所 京都府与謝郡与謝野町三河内》
06-新綾部製糸・運動会
後列 中央 右側 和服姿・帽子[森 宇蔵]尾上志げ乃(旧姓:森)の父
07-新綾部製糸・海水浴
後列 左から六人目[尾上志げ乃(ワンピース姿)]08-新綾部製糸・皇軍将士武運長久祈願記念
前から六列目 左から二人目 [尾上志げ乃]09-新綾部製糸・国威宣揚武運長久祈修
前から二列目 左端 [尾上志げ乃]10-新綾部製糸・武運長久-鳥居前
前から二列目 左端 [尾上志げ乃]丹の国・綾部 第六話 「蚕都をきづいた人々」
ここで、昭和十年頃の綾部の迎えた黄金期を記したい。
それは郡是をはじめとする
養蚕と製糸の農工一体の隆盛を誇った蚕都綾部と
皇道大本の全盛を迎えた宗都綾部の両者が、
見事に一致して開花しその満を得た時代であった。
文献によると当時、人口は年々増加が著しく、
その十ケ年間に実に四十六%の躍進的増加をなし、
尚発展の途上にあり。
”優良町の選に入り名誉の自治旗を授与さる。
小都市にはまれな下水道の完備をはじめ、
数々の都市設備、病院、教育研究機関が完備す。
幾多の新聞、雑誌の刊行が行なわれ、
広く各地に蚕糸業の指導啓発に寄与す。
工業、商業、住宅に雄大な都市計画あり、
綾部の将来やまさに刮目に値すべし”等の記録が見える。
郡是は今や世界を市場に、大きく発展をとげつつあった。
又神栄製糸系の中心工場であった新綾部製糸などをはじめとする
繊維工業の発展をうたい、
大本は大正の法難事件など幾多の紆余曲折を経過してなお、
その度に教勢いよいよ振い、全国に千数百の支別院、支部を擁し、
大本運動の海外進出を実行に移していた時代。
綾部の花柳界である月見町には五十有余の芸子で賑い、
並松の料亭、紫水に浮ぶ川舟に遊ぶお大尽は日夜絶えず、
綾部銀座と呼ばれた西町商店街は当時としては希な、
アーケードが完備し、百貨店あり、名店あり、札貨で鶴亀の飾り物を作り、
それを盗られぬよう日夜商工会の青年団が張番したとか、
三丹の購買客を商都綾部に引き寄せていた時代であった。
まさしく、大古より脈々と流れて来た
綾部ナショナリズムの市民意識の高揚が、
豊かな綾部の自然、産業、精神宗教を背景に燃え上った黄金期、
昭和十年代であった。
http://www.nbcayabe.com/kaiki/gunze.htm