大隈信保―重信―信常―信幸【現代華族譜要】昭和4年1月15日発行

【現代華族譜要】昭和4年1月15日発行
侯爵 大隈信常 正四、勳三、貴族院議員、 p112/443
        早稲田大學名譽總長、
        報知新聞社社長
        東京、赤坂、靑山南、六ノ一一五
        (電、靑山、三六〇)
大隈 信保――――――重信――信常――信幸
夫人 三井子
   杉本牧太 二女
   文化三、三生      ※文化3年丙寅3月(1806年4月19日)
   明、二八、一逝      ※明治28年(1895)1月

大隈 重信 大勳位 内閣總理大臣
      八太郎
      天、九、二生   ※天保9年戊戌2月(1838年2月24日)
      大、一一、一薨  ※大正11年(1922)1月
夫人 綾子 三枝七四郎 二女
      嘉、三、一〇生  ※嘉永3年庚戌10月(1850年11月4日)
      大、一二、四、逝  ※大正12年(1923)4月

大隈 信常 伯 松浦 厚 弟、常
      明、四、八生   ※明治4年辛未8月(1871年9月15日)
夫人 光子 三枝守富 三女
      明、一七、一生  ※明治17年(1884)1月

養子 英麿 南部利剛 二男
      安、三、九生   ※安政3年丙辰9月(1856年9月29日)
      明、三五、九離  ※明治35年(1902)9月
夫人 熊子 重信 長女
      文久三、一二生   ※文久3年癸亥12月(1864年1月9日)

大隈 信幸 明、四三、五生  ※明治43年(1910)5月

   豐子 明、三七、一二生 ※明治37年(1904)12月
      廣澤金吾 夫人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879484/112

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


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大隈家の人々
「父 信保と母 三井子」
大隈の父信保は、
佐賀藩主鍋島家に仕えて石火矢頭人(砲台司令長官)を勤め、
知行300石、物成(年貢高)120石を支給されていたといわれています。
その大隈家の長男に生まれた重信(幼名 八太郎)は、
当然家業を継ぐことになっていました。
―略―
こうして三井子は幸福な晩年を送り、
明治28(1895)年に90歳の天寿を全うしました。
(『エピソード 大隈重信』より)
「綾子夫人」
綾子夫人は、
1850(嘉永3)年に旗本三枝七四郎の次女として生まれ、
江戸で育ちました。
1869(明治2)年、19歳で結婚し、
それから50余年、大隈の行くところ、帰郷のときも社寺詣にも、
必ず綾子夫人が付き添い、その仲むつまじさは当時評判でした。
大隈の亡くなった翌年の1923(大正12)年、
その夫人は、大隈のあとを追うように、73歳で亡くなりました。
(『エピソード 大隈重信』より)
「長女 大隈熊子」
大隈熊子は大隈重信の長女です。
1863(文久3)年、佐賀に生まれますが、
母 美登とは大隈の維新政府出仕の頃に離別します。
その後1871(明治4)年、
祖母三井子と従者久松信親に伴われて上京し、
以来祖母・父・義母 綾子夫人と生活することとなります。
1879(明治12)年に
旧南部藩主の次男 英麿(東京専門学校初代校長)と結婚し、
その後 英麿の第二高等中学校(現東北大学)教授赴任時には
一時仙台で暮します。
しかし東京高等商業学校(現一橋大学)教授転任に伴い上京し、
夫妻共に早稲田の大隈邸に入ります。
1902(明治35)年には、
英麿が訳あって大隈家から離別することとなりますが、
熊子は大隈家に留まります。
熊子は実母と夫とに生別するという境遇をたどり、
その生涯を大隈家の奥向き一切を仕切ることに費やしました。
万事に行き届いた熊子の処置が
交際の広い大隈家に何よりも必要とされました。
昭和8年(1933)、熊子は70歳で亡くなります。
すぐさま編まれた「大隈熊子夫人現行録」には、
その徳を慕う人々の心からの追悼追懐の情が溢れていました。
(『エピソード 大隈重信』より)
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/founder/family.html

大隈綾子[おおくま-あやこ]
[デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説]
大隈綾子 おおくま-あやこ
1850-1923 明治-大正時代,大隈重信の妻。
嘉永(かえい)3年生まれ。
旗本の娘で,明治2年20歳で結婚。
50年余夫をたすけて,賢妻の誉れがたかかった。
また佐賀の乱で死刑となった江藤新平の子
新作をひきとって世話をし,
世にだしたことでも知られる。
大正12年4月28日死去。74歳。江戸出身。旧姓は三枝。
[美術人名辞典の解説]
大隈重信の妻。江戸生。
東京士族小倉鉄道 取締役 三枝守富の妹。
旧姓は三枝。大正12年(1923)歿、74才。
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E7%B6%BE%E5%AD%90

大隈光子(おほくま くわうこ)
【明治の令嬢】明治35年12月15日発行
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2295085.html

『ベッチ、ゲールツ:ヤコバ、ゲールツ:ベルタミナ、ゲールツ』
【華族女学校年報】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2295086.html

小野安:[巨人の面影]丹尾磯之助/大隈重信生誕百二十五年記念
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2162982.html

《父、小野梓のこと》小野安:[早稲田學報]昭和30年11月号
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240146.html