南京政府は洛陽の毒ガス工場に命じて…
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年
【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】
(昭和十二年七月二十八日)
宋哲元等逃げだす p62/187
この日の我軍の總攻撃に、
北平外廓の敵軍は殆んど全滅の形で、
最早殘軍を整理して
有力な抗日戰を行ふ望みがなくなつたのと、
身邊の危險に迫られた
宋哲元、秦德純、馮治安等の冀察首腦部は、
午後十一時頃逸早く西直門驛より長辛店を經て、
保定に逃亡してしまつたので、
城内の兵も之に從つて退去する者多く、
北平市内の治安は張自忠が臨時に治維會を組織して、
之に當つてゐる。
(外 交)
―略―
(支那の動き)
中央が賴みとする廿九軍は、
たつた一日の戰闘で殆んど主力を失つてしまつたで、
此の上は毒ガスでも撒布して勝つより外ないと考へたのか、
南京政府は洛陽の毒ガス工場に命じて、
盛んに毒ガスの製造をつづけてゐると報ぜられる。
中型タンク六十臺を津浦線にて前線へ急送した。
事變以來銀資金の海外への逃避を防止するため、
國民政府は防戰賣りを行ひ、
旁々公債の崩落を喰止めてゐる。
孔祥熙は英國との鐵道借款にあたつて、
一千萬磅(ポンド)の三分の二を鐵道材料の購入に、
三分の一を爲替資金とすることを提案して
一蹴されたと傳へらる。
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
特製 定價 金三十圓
編 者 讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者 樺山寛二
發行者 東京市淀橋區下落合二ノ九一六
佐藤邦秀
印刷者 東京市神田區鎌倉町一九
井關敦雄
東京市淀橋區下落合二ノ九一六
讀賣新聞社編輯局編纂
大東亞戰史發行所
電話大塚(86)三四七一番
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