冀東防共自治政府長官・殷汝耕氏
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年
【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】
(昭和十二年七月三十日) p67/187
通州事件の消息がはつきりと分らなかつた
卅日の天津の話である。
居留民會から罐詰のやうな長期に耐へる食料は
なるべく食べないで貯藏しておくこと、
といふ決議が通達された。
正陽門の河北銀行は朝から取付け騒ぎがはじまつた。
同銀行は流通の紙幣が使へなくなるといふて、
札束をもつた支那市民が狂氣のやうになつて
ワイワイとたかつてゐる。
ある映畫班がそれをクランクしてゐるところを、
保安隊と群衆に包圍されフイルムを取りあげられ
ハウハウの體で逃げてきた。
夕方皇軍の通州爆撃から逃れたてきた
冀東保安隊五〇〇名が安定門外へ到着した。
二日間も物も食はずヒヨロヒロだから、
飯を食はせてくれれば、
武裝解除に應じる旨を傳へてきた。
こんな奴等は餓死が因果應報だが、
武器を持たしておいたら何をするか判らない。
わが〇名の兵がトラツクで急行、
安定門の城壁の上と下で交渉をはじめたが、
やつと交渉がついたらしく
城門を半開
していよいよ城外で武裝解除をやつた。
保安隊の服裝をかなぐりすてて
今は土匪同樣のテイタラクで、
たつた〇〇名の我が兵の命令で
ヅラリと並んだ五百餘の敗殘兵どもは銃を捨て、
靑龍刀を投げて早く飯を食はしてくれと言はんばかりの
ガツガツした顔色だ。
その中から突然一人の平服の男が獨り
『ワツ』と聲をあげてとび出して來た。
之が意外にも
冀東防共自治政府長官
殷汝耕氏だつたのだ。 ※殷汝耕:下記
ヨレヨレの服は泥によごれ破れて
痛ましくも脚に輕傷を負ひ憔悴しきつた姿だ。
『あゝ、よかつた。』
と殷長官は感極つたやうに涙をボロボロ流し、
その救出は誠に劇的場面であつた。
保安隊どもは共産學生と敗殘兵の煽動に乗つて暴動を起し、
殷長官を拉致して北平へ乗りこめば、
宋哲元が喜んで正規軍に編入してくれるだらうと
いい氣になつてここまでやつて來たものらしい。
ところが來てみると案に相違して
北平はどの城門もピツタリ閉ぢ
『支那軍大勝利』の夢は一ペンに覺め途端に、
空腹が身にこたへ、
かくは泣込んだ始末。
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
特製 定價 金三十圓
編 者 讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者 樺山寛二
發行者 東京市淀橋區下落合二ノ九一六
佐藤邦秀
印刷者 東京市神田區鎌倉町一九
井關敦雄
東京市淀橋區下落合二ノ九一六
讀賣新聞社編輯局編纂
大東亞戰史發行所
電話大塚(86)三四七一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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