[桑島千代氏]【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
[桑島千代氏] p593/718
明治十二年四月生
東京市京橋區宗十郎町一一
電話 銀座 七七一番
婦人美容術、京橋築地署管内組合長
今日苟くも流行の結髪を云爲する程の者にして、
新橋の桑島千代さんの隆々たる盛名を知らざるはなかるべし。
技術の洗練せられたること、
華客送迎待遇に懇切叮嚀なること、
剰へ華客の個性を尊重して、
其人々特有の美を發揮せしむる妙技に至つては、
都下に美容術師多しと雖も
眞に氏の右に出ずるものなし。
氏は淺草の人
先考桑島重兵衛の次女に生れ
十七歳の時
京橋區山城町の粕谷結髪家に弟子入りをなし
三年間熱心修行を重ね
廿一歳の時獨立して以來
今日まで三十年間一日の如く孜々として業務に精勵し、
時代の進歩に鑑みて
昭和三年八月洋髪美容一般の技術者を傭聘し、
從來の純日本風結髪と共に倂せて好評嘖々
華客常に市をなせり。
養女みつ子孃は
昭和三年本郷眞砂町の錦秋女學校を卒業し
目下斯業を專ら見習ひつゝあり。
氏は性格寛濶にして溫情溢るゝが如きものあり。
多くの弟子に尊敬せらる。
得意は勿論日本髪にして
新橋花柳界の紅裙連は何れも
氏の妙技に依つて嬋妍を磨き好評嘖々たり。
正に斯界の元老株にして
現に築地署管内の同業者組合長に推され
人望籍甚也。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/593
昭和四年五月廿八日印刷
昭和四年六月七日 發行
定價 金 五拾圓
編輯兼發行者 世良淸一
東京市四谷區鹽町一丁目十八番地
印刷者 石原愼之助
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
印刷所 東京毎夕新聞社副業部
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
發行所 東京毎夕新聞社
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
振替口座 東京 六八八六番
(土開製本所製本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/715
【現代婦人職業案内】主婦之友 婦人家庭叢書 第一篇
大正15年3月19日発行
主なる美容院及學校養成所は左の通りです。 p34/68
理容館 (遠藤波津子) 東京市京橋區竹川町一二
艶粧館 (島田つや) 東京市牛込區筑土八幡町九
巴里院 (マリールウヰズ)東京市麹町區有樂町一ノ三
小口美容研究所(小口みち子) 東京市京橋區南傳馬町一ノ六
丸の内美容院 (山野千枝子) 東京市丸の内ビルデング内
銀座美容院 (早見君子) 東京市京橋區銀座
女子整容大學 (山本久榮) 東京市麹町區紀尾井町六
資生堂美容術師養成部 東京市京橋區竹川町
日本女子美容術學校 東京府下中野町字中町六一〇
大阪美髪女學校美容術科 大阪市東區玉造東雲町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/34
美髪師 p34-35/68
女髪結といって軽蔑したのは昔のことです。
今では婦人美髪師といはれて、
立派な婦人職業として新しい意義を持ってきました。
一流どころの髪結さんになると、
何十萬といはれる財産を拵へて豪儀なものです。
髪結と一緒に美容をやればなほ便利であります。
現在全国に二萬四千七百人餘の婦人美髪師がをります。
―略―
主なる結髪師と学校及養成所
桑島千代 (東京市京橋区宗十郎町一一)
伊賀とら (東京市京橋区宗十郎町一〇)
關口文子 (東京市京橋区南金六町一四)
佐藤あき (東京市下谷区数寄屋町一三)
日本女子美髪学校(東京市神田区表猿楽町二)
東京女子美髪学校(東京市牛込区水道町三二)
東京婦人美髪学校(東京市本郷順天堂横丁)
大場理髪館婦人部(東京市芝区櫻田本郷町一四)
大阪美髪女学校 (大阪市東区玉造東雲町)
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/35
[錦秋女學校]
【錦秋高等女学校長秋間為子女史の足跡】昭和7年11月18日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099076/1
【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
[桑島千代氏] p593/718
明治十二年四月生
東京市京橋區宗十郎町一一
電話 銀座 七七一番
婦人美容術、京橋築地署管内組合長
今日苟くも流行の結髪を云爲する程の者にして、
新橋の桑島千代さんの隆々たる盛名を知らざるはなかるべし。
技術の洗練せられたること、
華客送迎待遇に懇切叮嚀なること、
剰へ華客の個性を尊重して、
其人々特有の美を發揮せしむる妙技に至つては、
都下に美容術師多しと雖も
眞に氏の右に出ずるものなし。
氏は淺草の人
先考桑島重兵衛の次女に生れ
十七歳の時
京橋區山城町の粕谷結髪家に弟子入りをなし
三年間熱心修行を重ね
廿一歳の時獨立して以來
今日まで三十年間一日の如く孜々として業務に精勵し、
時代の進歩に鑑みて
昭和三年八月洋髪美容一般の技術者を傭聘し、
從來の純日本風結髪と共に倂せて好評嘖々
華客常に市をなせり。
養女みつ子孃は
昭和三年本郷眞砂町の錦秋女學校を卒業し
目下斯業を專ら見習ひつゝあり。
氏は性格寛濶にして溫情溢るゝが如きものあり。
多くの弟子に尊敬せらる。
得意は勿論日本髪にして
新橋花柳界の紅裙連は何れも
氏の妙技に依つて嬋妍を磨き好評嘖々たり。
正に斯界の元老株にして
現に築地署管内の同業者組合長に推され
人望籍甚也。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/593
昭和四年五月廿八日印刷
昭和四年六月七日 發行
定價 金 五拾圓
編輯兼發行者 世良淸一
東京市四谷區鹽町一丁目十八番地
印刷者 石原愼之助
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
印刷所 東京毎夕新聞社副業部
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
發行所 東京毎夕新聞社
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
振替口座 東京 六八八六番
(土開製本所製本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/715
【現代婦人職業案内】主婦之友 婦人家庭叢書 第一篇
大正15年3月19日発行
主なる美容院及學校養成所は左の通りです。 p34/68
理容館 (遠藤波津子) 東京市京橋區竹川町一二
艶粧館 (島田つや) 東京市牛込區筑土八幡町九
巴里院 (マリールウヰズ)東京市麹町區有樂町一ノ三
小口美容研究所(小口みち子) 東京市京橋區南傳馬町一ノ六
丸の内美容院 (山野千枝子) 東京市丸の内ビルデング内
銀座美容院 (早見君子) 東京市京橋區銀座
女子整容大學 (山本久榮) 東京市麹町區紀尾井町六
資生堂美容術師養成部 東京市京橋區竹川町
日本女子美容術學校 東京府下中野町字中町六一〇
大阪美髪女學校美容術科 大阪市東區玉造東雲町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/34
美髪師 p34-35/68
女髪結といって軽蔑したのは昔のことです。
今では婦人美髪師といはれて、
立派な婦人職業として新しい意義を持ってきました。
一流どころの髪結さんになると、
何十萬といはれる財産を拵へて豪儀なものです。
髪結と一緒に美容をやればなほ便利であります。
現在全国に二萬四千七百人餘の婦人美髪師がをります。
―略―
主なる結髪師と学校及養成所
桑島千代 (東京市京橋区宗十郎町一一)
伊賀とら (東京市京橋区宗十郎町一〇)
關口文子 (東京市京橋区南金六町一四)
佐藤あき (東京市下谷区数寄屋町一三)
日本女子美髪学校(東京市神田区表猿楽町二)
東京女子美髪学校(東京市牛込区水道町三二)
東京婦人美髪学校(東京市本郷順天堂横丁)
大場理髪館婦人部(東京市芝区櫻田本郷町一四)
大阪美髪女学校 (大阪市東区玉造東雲町)
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/35
[錦秋女學校]
【錦秋高等女学校長秋間為子女史の足跡】昭和7年11月18日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099076/1
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』