[佐藤あき女史]【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
[佐藤あき女史] p473/718
慶應三年十一月廿六日生
東京市下谷區數寄屋町一三
電話 下谷 一六〇二番
美髪美容師
東都婦人美髪界の元老たり名手たる
佐藤あさ女史が ※佐藤あき女史
前半生に於ける苦闘史は、
今日成り上り者のハイカラ美容師などの
到底想像だに容さざる處にして
剛毅なる態度と不屈不撓の精神とは、
六尺男子も爲めに三舎を避くる處也。
女史は埼玉縣南埼玉郡川柳村字麥塚の名家
飯高秋次郎の三女に生る。
生家は代々名主を勤めし素封家たりしが、
女史は十九歳の時緣談に傔らずとなし
廿歳の時健氣にも獨立を志し家出して上京、
郷里出入の髪結お春女の妹を頼倚り
その千住の寓居に倚る、
間もなく自ら進んで髪結を志願し
池の端の渡邊つる女の内弟子となる。
勞苦惨澹を重ね、
只管師匠の命に服從すと雖も
師匠は顧客の受けよきを却て疎じ、
三年後には遂に放逐の憂目に遭遇す。
茲に於て女史は奮然と決心し愈々獨立開業せり。
次で郷里の隣村千疋村の人
佐藤宗治氏との緣談纏まれるを以て
茲に初めて家庭の人となる時に二十三歳也。
爾來、辛苦勉勵して家業に精勵せし爲め
非凡な技術漸く認められ遂には
岩崎家、前田侯家、溝口伯家、有馬伯家、岩倉公家
其他の名門の奥向に出入するに至り
聲名忽ち滿都に喧傳せらる。
爲めに財大に成り五十萬圓の資財を積むに至れり。
其の内廿萬圓を寄附して淺草神吉町に美髪研究所を設置し
後進の途を開き貢献する處頗る大也。
大正八年下谷婦人結髪業組合長に推され、
同十一年東京婦人結髪業組合聯合會々長に推戴せらる。
現に勇退して閑地にありと雖も隱然元老格たり。
一男三女あり。
熱心なる金光敎の信者也。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/473
昭和四年五月廿八日印刷
昭和四年六月七日 發行
定價 金 五拾圓
編輯兼發行者 世良淸一
東京市四谷區鹽町一丁目十八番地
印刷者 石原愼之助
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
印刷所 東京毎夕新聞社副業部
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
發行所 東京毎夕新聞社
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
振替口座 東京 六八八六番
(土開製本所製本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/715
【現代婦人職業案内】主婦之友 婦人家庭叢書 第一篇
大正15年3月19日発行
主なる美容院及學校養成所は左の通りです。 p34/68
理容館 (遠藤波津子) 東京市京橋區竹川町一二
艶粧館 (島田つや) 東京市牛込區筑土八幡町九
巴里院 (マリールウヰズ)東京市麹町區有樂町一ノ三
小口美容研究所(小口みち子) 東京市京橋區南傳馬町一ノ六
丸の内美容院 (山野千枝子) 東京市丸の内ビルデング内
銀座美容院 (早見君子) 東京市京橋區銀座
女子整容大學 (山本久榮) 東京市麹町區紀尾井町六
資生堂美容術師養成部 東京市京橋區竹川町
日本女子美容術學校 東京府下中野町字中町六一〇
大阪美髪女學校美容術科 大阪市東區玉造東雲町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/34
美髪師 p34-35/68
女髪結といって軽蔑したのは昔のことです。
今では婦人美髪師といはれて、
立派な婦人職業として新しい意義を持ってきました。
一流どころの髪結さんになると、
何十萬といはれる財産を拵へて豪儀なものです。
髪結と一緒に美容をやればなほ便利であります。
現在全国に二萬四千七百人餘の婦人美髪師がをります。
―略―
主なる結髪師と学校及養成所
桑島千代 (東京市京橋区宗十郎町一一)
伊賀とら (東京市京橋区宗十郎町一〇)
關口文子 (東京市京橋区南金六町一四)
佐藤あき (東京市下谷区数寄屋町一三)
日本女子美髪学校(東京市神田区表猿楽町二)
東京女子美髪学校(東京市牛込区水道町三二)
東京婦人美髪学校(東京市本郷順天堂横丁)
大場理髪館婦人部(東京市芝区櫻田本郷町一四)
大阪美髪女学校 (大阪市東区玉造東雲町)
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/35
【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
[佐藤あき女史] p473/718
慶應三年十一月廿六日生
東京市下谷區數寄屋町一三
電話 下谷 一六〇二番
美髪美容師
東都婦人美髪界の元老たり名手たる
佐藤あさ女史が ※佐藤あき女史
前半生に於ける苦闘史は、
今日成り上り者のハイカラ美容師などの
到底想像だに容さざる處にして
剛毅なる態度と不屈不撓の精神とは、
六尺男子も爲めに三舎を避くる處也。
女史は埼玉縣南埼玉郡川柳村字麥塚の名家
飯高秋次郎の三女に生る。
生家は代々名主を勤めし素封家たりしが、
女史は十九歳の時緣談に傔らずとなし
廿歳の時健氣にも獨立を志し家出して上京、
郷里出入の髪結お春女の妹を頼倚り
その千住の寓居に倚る、
間もなく自ら進んで髪結を志願し
池の端の渡邊つる女の内弟子となる。
勞苦惨澹を重ね、
只管師匠の命に服從すと雖も
師匠は顧客の受けよきを却て疎じ、
三年後には遂に放逐の憂目に遭遇す。
茲に於て女史は奮然と決心し愈々獨立開業せり。
次で郷里の隣村千疋村の人
佐藤宗治氏との緣談纏まれるを以て
茲に初めて家庭の人となる時に二十三歳也。
爾來、辛苦勉勵して家業に精勵せし爲め
非凡な技術漸く認められ遂には
岩崎家、前田侯家、溝口伯家、有馬伯家、岩倉公家
其他の名門の奥向に出入するに至り
聲名忽ち滿都に喧傳せらる。
爲めに財大に成り五十萬圓の資財を積むに至れり。
其の内廿萬圓を寄附して淺草神吉町に美髪研究所を設置し
後進の途を開き貢献する處頗る大也。
大正八年下谷婦人結髪業組合長に推され、
同十一年東京婦人結髪業組合聯合會々長に推戴せらる。
現に勇退して閑地にありと雖も隱然元老格たり。
一男三女あり。
熱心なる金光敎の信者也。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/473
昭和四年五月廿八日印刷
昭和四年六月七日 發行
定價 金 五拾圓
編輯兼發行者 世良淸一
東京市四谷區鹽町一丁目十八番地
印刷者 石原愼之助
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
印刷所 東京毎夕新聞社副業部
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
發行所 東京毎夕新聞社
東京市麹町區丸之内一丁目二番地
振替口座 東京 六八八六番
(土開製本所製本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/715
【現代婦人職業案内】主婦之友 婦人家庭叢書 第一篇
大正15年3月19日発行
主なる美容院及學校養成所は左の通りです。 p34/68
理容館 (遠藤波津子) 東京市京橋區竹川町一二
艶粧館 (島田つや) 東京市牛込區筑土八幡町九
巴里院 (マリールウヰズ)東京市麹町區有樂町一ノ三
小口美容研究所(小口みち子) 東京市京橋區南傳馬町一ノ六
丸の内美容院 (山野千枝子) 東京市丸の内ビルデング内
銀座美容院 (早見君子) 東京市京橋區銀座
女子整容大學 (山本久榮) 東京市麹町區紀尾井町六
資生堂美容術師養成部 東京市京橋區竹川町
日本女子美容術學校 東京府下中野町字中町六一〇
大阪美髪女學校美容術科 大阪市東區玉造東雲町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/34
美髪師 p34-35/68
女髪結といって軽蔑したのは昔のことです。
今では婦人美髪師といはれて、
立派な婦人職業として新しい意義を持ってきました。
一流どころの髪結さんになると、
何十萬といはれる財産を拵へて豪儀なものです。
髪結と一緒に美容をやればなほ便利であります。
現在全国に二萬四千七百人餘の婦人美髪師がをります。
―略―
主なる結髪師と学校及養成所
桑島千代 (東京市京橋区宗十郎町一一)
伊賀とら (東京市京橋区宗十郎町一〇)
關口文子 (東京市京橋区南金六町一四)
佐藤あき (東京市下谷区数寄屋町一三)
日本女子美髪学校(東京市神田区表猿楽町二)
東京女子美髪学校(東京市牛込区水道町三二)
東京婦人美髪学校(東京市本郷順天堂横丁)
大場理髪館婦人部(東京市芝区櫻田本郷町一四)
大阪美髪女学校 (大阪市東区玉造東雲町)
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/35
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』