[小口みち女史]【昭和之日本:御大典記念】昭和4年

【昭和之日本:御大典記念】昭和4年
[小口みち女史] p478/718
明治十六年二月八日生
東京市外千駄谷原宿二一四
電話 靑山 五九二九番
小口美容研究所主、
三越美容室主任

時代世粧の變遷は文化水準の向上に比例するは自明の理にして、
就中、震災を一轉期として美髪美容の變化せるは較著たる事實たり。
之れを目して保守論者は輕佻と罵り浮華と深慨すと雖も、
時代の推移は抗すべからざる處と云ふべく
從つて時代美を構成する美髪粉黛の創案
或は洋風化は時勢の趨く處に馴致すべきものたるは
是れ又當然の事たり。

我が小口女史は疾くより斯る時世
粧の變遷に着目し舊習を打破して
新時代の麗人に層一層の美を添加しつゝある
斯界の功勞者也。

兵庫縣加東郡社町の人
舊一柳藩士
寺本武氏の長女に生れ
後ち小口氏に嫁す。
是より先郷里に於て敎職に在ること六年
感ずる處あり
上京して遠藤波津女史に師事し
美髪及美容術の研究に没頭す
時に明治四十一年の交なり。

大正三年
獨立して芝公園十四號地に美容術研究所を創設し旁々
桃谷順天館經營の巴里院に聘せられて
其日本部主任となり
後ち現地に移住して化粧品製造を開始す。
越えて大正十三年十二月
京橋區南傳馬町に小口美容術研究所を經營し
信望益々萬都の婦女子に喧傳せらるゝに至る。

昭和二年四月
三越に美容室の開設せらるゝと同時に招聘せられて
其主任となり現在に至る。

趣味高雅
和歌を好くし專心斯道の向上に努めつゝあり。
倂かも女史の指導に依りて
斯界に覇をなす者
都下に充滿せり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/478
昭和四年五月廿八日印刷
昭和四年六月七日 發行
定價 金 五拾圓
編輯兼發行者 世良淸一
       東京市四谷區鹽町一丁目十八番地
印刷者    石原愼之助
       東京市麹町區丸之内一丁目二番地
印刷所    東京毎夕新聞社副業部
       東京市麹町區丸之内一丁目二番地
發行所    東京毎夕新聞社
       東京市麹町區丸之内一丁目二番地
       振替口座 東京 六八八六番
(土開製本所製本)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1188629/715

【現代婦人職業案内】主婦之友 婦人家庭叢書 第一篇
 大正15年3月19日発行
主なる美容院及學校養成所は左の通りです。 p34/68
理容館    (遠藤波津子)  東京市京橋區竹川町一二
艶粧館    (島田つや)   東京市牛込區筑土八幡町九
巴里院    (マリールウヰズ)東京市麹町區有樂町一ノ三
小口美容研究所(小口みち子)  東京市京橋區南傳馬町一ノ六
丸の内美容院 (山野千枝子)  東京市丸の内ビルデング内
銀座美容院  (早見君子)   東京市京橋區銀座
女子整容大學 (山本久榮)   東京市麹町區紀尾井町六
資生堂美容術師養成部      東京市京橋區竹川町
日本女子美容術學校       東京府下中野町字中町六一〇
大阪美髪女學校美容術科     大阪市東區玉造東雲町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/34
美髪師 p34-35/68
女髪結といって軽蔑したのは昔のことです。
今では婦人美髪師といはれて、
立派な婦人職業として新しい意義を持ってきました。
一流どころの髪結さんになると、
何十萬といはれる財産を拵へて豪儀なものです。
髪結と一緒に美容をやればなほ便利であります。
現在全国に二萬四千七百人餘の婦人美髪師がをります。
―略―
主なる結髪師と学校及養成所
桑島千代    (東京市京橋区宗十郎町一一)
伊賀とら    (東京市京橋区宗十郎町一〇)
關口文子    (東京市京橋区南金六町一四)
佐藤あき    (東京市下谷区数寄屋町一三)
日本女子美髪学校(東京市神田区表猿楽町二)
東京女子美髪学校(東京市牛込区水道町三二)
東京婦人美髪学校(東京市本郷順天堂横丁)
大場理髪館婦人部(東京市芝区櫻田本郷町一四)
大阪美髪女学校 (大阪市東区玉造東雲町)
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019153/35

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』