[淺草公園 花屋敷]【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年
【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年10月8日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/308
明治十九年三月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草公園 花屋敷] p155/311
山を築き池を鑿ちて
面目一新の一周年
〔三・一七、朝野〕
淺草公園花屋敷の園主
山本、間野の兩氏が一昨年同園を譲受けし時、
同公園の改正に際せしかば、
兩氏は大に其の美擧を賛成し、
舊植六が管する所の花園の面目を改良し
公園の美觀を添んとて、
爾来巨額の金を抛ち、
山を築き池を鑿ちて天然の風景を補ひ、
處々に亭舎を設け、
縦横に徑路を通じて遊歩休憩の便に供し、
珍奇の花卉禽獸を蒐集配置し以て
遊覧の興を多からしめしが、
來る二十日は同所改正改園の一周年に相當するを以て、
更に庭園を修築し或は珍奇の盆栽を增置し、
同日より三日間の祝祭を執行し、
新舊府知事、警視總監、各國公使、淺草區長、府會常置委員を始め ※
紳士等數十名を招待し、
且つ其佳辰を祝する爲め
遊覽料を平日の半額に減じて客を延き、
餘興として玩弄物の輕氣球數百個を放ち、
丘上の座敷にて淸樂を合奏し、
煎茶を饗し、
又園の入口の門上に、
勝海舟先生が「花鳥得時」の四大字を揮毫されたる
白縮緬張靑竹綠の大額(縱四尺餘横一丈二尺)を掲ぐるなど、
目下頻りに準備中の由なるが
當日は定めて賑ふ事なるべし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/155
※新舊府知事、警視總監、各國公使、淺草區長、府會常置委員
※舊府知事 渡邊洪基
※淺草區長 町田今亮
【改正官員録. 明治19年下3月】
東京府 武藏國豐島郡幸橋内 p1/91
知事 渡邊洪基 東京
從四位 勳三等
芝南佐久間町貮丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779362/1
淺草區長 正七位 町田今亮 p4/91
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779362/4
※新府知事 高崎五六
※淺草區長 町田今亮
【改正官員録. 明治19年下4月】
東京府 武藏國豐島郡幸橋内 p1/93
知事 高崎五六 東京
從四位 勳三等
麻布一本松町廿番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779364/1
淺草區長 正七位 町田今亮 p4/93
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779364/4
※警視総監 三島通庸
【改正官員録. 明治19年上3月】
警視廰 八代州町 p257/277
警視総監 三島通庸 東京
正五位 勳三等
三田四國町七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779361/257
[Wikipedia]
浅草花やしき(あさくさはなやしき)は、
東京都台東区浅草二丁目28番1号にある遊園地。
―略―
1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎により
牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。
当時の敷地面積は約80000m2だった。
江戸期は茶人、俳人らの集会の場や
大奥の女中らの憩いの場として利用され、
ブランコが唯一の遊具だった。
明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、
花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。
しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に
木場の材木商・山本徳治郎(長谷川如是閑の父)と
その長男・松之助が経営を引き継ぐ。
翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E8%8A%B1%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%8D
【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年10月8日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/308
明治十九年三月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草公園 花屋敷] p155/311
山を築き池を鑿ちて
面目一新の一周年
〔三・一七、朝野〕
淺草公園花屋敷の園主
山本、間野の兩氏が一昨年同園を譲受けし時、
同公園の改正に際せしかば、
兩氏は大に其の美擧を賛成し、
舊植六が管する所の花園の面目を改良し
公園の美觀を添んとて、
爾来巨額の金を抛ち、
山を築き池を鑿ちて天然の風景を補ひ、
處々に亭舎を設け、
縦横に徑路を通じて遊歩休憩の便に供し、
珍奇の花卉禽獸を蒐集配置し以て
遊覧の興を多からしめしが、
來る二十日は同所改正改園の一周年に相當するを以て、
更に庭園を修築し或は珍奇の盆栽を增置し、
同日より三日間の祝祭を執行し、
新舊府知事、警視總監、各國公使、淺草區長、府會常置委員を始め ※
紳士等數十名を招待し、
且つ其佳辰を祝する爲め
遊覽料を平日の半額に減じて客を延き、
餘興として玩弄物の輕氣球數百個を放ち、
丘上の座敷にて淸樂を合奏し、
煎茶を饗し、
又園の入口の門上に、
勝海舟先生が「花鳥得時」の四大字を揮毫されたる
白縮緬張靑竹綠の大額(縱四尺餘横一丈二尺)を掲ぐるなど、
目下頻りに準備中の由なるが
當日は定めて賑ふ事なるべし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/155
※新舊府知事、警視總監、各國公使、淺草區長、府會常置委員
※舊府知事 渡邊洪基
※淺草區長 町田今亮
【改正官員録. 明治19年下3月】
東京府 武藏國豐島郡幸橋内 p1/91
知事 渡邊洪基 東京
從四位 勳三等
芝南佐久間町貮丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779362/1
淺草區長 正七位 町田今亮 p4/91
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779362/4
※新府知事 高崎五六
※淺草區長 町田今亮
【改正官員録. 明治19年下4月】
東京府 武藏國豐島郡幸橋内 p1/93
知事 高崎五六 東京
從四位 勳三等
麻布一本松町廿番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779364/1
淺草區長 正七位 町田今亮 p4/93
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779364/4
※警視総監 三島通庸
【改正官員録. 明治19年上3月】
警視廰 八代州町 p257/277
警視総監 三島通庸 東京
正五位 勳三等
三田四國町七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779361/257
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[Wikipedia]
浅草花やしき(あさくさはなやしき)は、
東京都台東区浅草二丁目28番1号にある遊園地。
―略―
1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎により
牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。
当時の敷地面積は約80000m2だった。
江戸期は茶人、俳人らの集会の場や
大奥の女中らの憩いの場として利用され、
ブランコが唯一の遊具だった。
明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、
花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。
しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に
木場の材木商・山本徳治郎(長谷川如是閑の父)と
その長男・松之助が経営を引き継ぐ。
翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E8%8A%B1%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%8D