[淺草開園式]《五百羅漢》【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年
【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年10月8日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/308
明治十九年五月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草開園式] p170/311
〔五・二四、時事〕
淺草の開園式
去る廿一日同開園式の二日目は雨天に付き、
一昨廿二日順延となり、
同日は曇天なりしも
午時頃より晴模様となりしかば、
八方より鐡道馬車に圓太郎、
人力車に川蒸汽と思ひ想ひに出掛たる人衆は初日に劣らず、
假設の雷門より二王門迄は人波を打て、
宙を行(ゆく)かと思はるゝ程なりし、
偖(※さて)吉原藝者の木やり手古舞、
傳法院庭内の藝者茶番、
其他女輕業、
屋臺の馬鹿囃、
花屋敷、
《五百羅漢》抔(※など)
至る所に老若男女の充滿し、
各所の露店も之に準じて商ひ多かりしも、
初日の溫熱に引かへ袷羽織に綿入といふ
寒合(かんあひ)まりしかば、
氷店は大にあてはづれとなり、
此の景氣中に不平をつぶやき居りしは
天を怨むるの外なく、
夜に入りては淺草田圃の溫泉場より、
電氣燈を雷門に移せしかば、
煉瓦店の軒提灯は明りをうばわれ、
宛ながら沖中の薦舟(ござぶね)が
千石船に帆風を取られたる有樣なりしと。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/170
明治十九年六月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草公園 開園祝の景氣] p173/311
〔六・九、東京日日〕
淺草公園開園祝に付、
客月廿日より三日間の各營業高を
此程其筋に於て取調られしに、
花屋敷の縱覽人は二萬七千人、
羅漢堂が同四千八百九十四人
水族館にては五千有餘人、
北村(料理店)賣揚高四百四十圓、
一直(料理店)四百四十五圓、
萬梅同じく三百五十九圓六十七錢、
田川(料理店)三百三圓餘、
岡田(惣菜料理)五百圓
〔中略〕
敎育孕人形の縱覽人は六千二百人なりと云ふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/173
2011年05月27日
明治19年(1886年)三
―略―
○四月十四日より、東京浅草公園内にて、
陶器製の《五百羅漢)の見世物。
(「郵便報知新聞」4・15)
「…此《五百羅漢》製造は
今戸なる小野義真氏の創意に出でゝ、
去る十六日八月中芝増上寺の什物なる
《五百羅漢》の画像を借受けて、
其真を写し取り、尾州及び伊万里等より土を取寄せ、
金張の名工加藤太衛なる者を雇ひ、
向島の八洲園に於て之を製造せしめ、
其粉色の如きは丸谷より職工を雇ふて装飾せしめ、
三年の久しきを経て漸く落成するに至れり。
像の高さは凡そ二尺より三尺までにて、
其顔容衣紋等皆古画に則とりしものなれば、精妙いふばかりなし。
聞く、一体の費用、平均十円なりといふ」
〈編者註〉煉瓦を以て新築せる堂に安置とあるから、
立派な建物であったのだろう。
ただ人気は長続きしなかったらしい。
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51844978.html
『見世物興行年表』
2011年07月22日
明治25年(1892年)二
○三月、東京浅草興行もの案内。(「東京朝日新聞」3・31)
【五区】書画骨董美術展覧会・
陶製《五百羅漢》・
花屋敷(蓄音器に虎)・
美術パノラマ。
【六区】凌雲閣(自動人形、美人歴史肖像画、東京百美人写真)・
天狗の頭骨(名古屋本願寺の掛所の庭より掘出したるもの)・
無名魚(銚子の浜でとれたもの)・四才童子(日高寛一)・
娘の玉乗・変化奇術・印度釈尊霊跡パノラマ・剛力小僧・
松本喜三郎作活人形(近日開場)、
大軽業・支那人日本人合併軽業・女力持・撃剣会・
日本パノラマ館・西洋奇術
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51914800.html
『見世物興行年表』
2011年09月09日
明治32年(1899年)六
―略―
○十月十一日、東京浅草公園内に水族館が開館。館主太田実。
(「東京朝日新聞」10・7/「読売新聞」10・12)
「浅草公園の水族館 予て記載せし事ある浅草公園の水族館は、
旧《五百羅漢》跡にて第二共栄館と云へる勧工場なりしを、
曩に太田實氏が譲り受け、
金三万円の株式会社となして水族館を新設せしなるが、
今回落成せしを以て、明八日より開会するといふ。
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51942236.html
[東京都公文書館]
<東京市史稿 遊園篇第5 目次>
附記 浅草公園 陶製《五百羅漢》陳列 遊園5-1160
1885(明治18)年12月18日
浅草公園返地及借地
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0601yuen05.htm
小野義真:[浅草公園]陶製《五百羅漢》陳列
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176427.html
【新聞集成明治編年史. 第六卷】昭和15年10月8日限定再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/308
明治十九年五月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草開園式] p170/311
〔五・二四、時事〕
淺草の開園式
去る廿一日同開園式の二日目は雨天に付き、
一昨廿二日順延となり、
同日は曇天なりしも
午時頃より晴模様となりしかば、
八方より鐡道馬車に圓太郎、
人力車に川蒸汽と思ひ想ひに出掛たる人衆は初日に劣らず、
假設の雷門より二王門迄は人波を打て、
宙を行(ゆく)かと思はるゝ程なりし、
偖(※さて)吉原藝者の木やり手古舞、
傳法院庭内の藝者茶番、
其他女輕業、
屋臺の馬鹿囃、
花屋敷、
《五百羅漢》抔(※など)
至る所に老若男女の充滿し、
各所の露店も之に準じて商ひ多かりしも、
初日の溫熱に引かへ袷羽織に綿入といふ
寒合(かんあひ)まりしかば、
氷店は大にあてはづれとなり、
此の景氣中に不平をつぶやき居りしは
天を怨むるの外なく、
夜に入りては淺草田圃の溫泉場より、
電氣燈を雷門に移せしかば、
煉瓦店の軒提灯は明りをうばわれ、
宛ながら沖中の薦舟(ござぶね)が
千石船に帆風を取られたる有樣なりしと。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/170
明治十九年六月(皇紀二五四六 西暦一八八六)
[淺草公園 開園祝の景氣] p173/311
〔六・九、東京日日〕
淺草公園開園祝に付、
客月廿日より三日間の各營業高を
此程其筋に於て取調られしに、
花屋敷の縱覽人は二萬七千人、
羅漢堂が同四千八百九十四人
水族館にては五千有餘人、
北村(料理店)賣揚高四百四十圓、
一直(料理店)四百四十五圓、
萬梅同じく三百五十九圓六十七錢、
田川(料理店)三百三圓餘、
岡田(惣菜料理)五百圓
〔中略〕
敎育孕人形の縱覽人は六千二百人なりと云ふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920367/173
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
2011年05月27日
明治19年(1886年)三
―略―
○四月十四日より、東京浅草公園内にて、
陶器製の《五百羅漢)の見世物。
(「郵便報知新聞」4・15)
「…此《五百羅漢》製造は
今戸なる小野義真氏の創意に出でゝ、
去る十六日八月中芝増上寺の什物なる
《五百羅漢》の画像を借受けて、
其真を写し取り、尾州及び伊万里等より土を取寄せ、
金張の名工加藤太衛なる者を雇ひ、
向島の八洲園に於て之を製造せしめ、
其粉色の如きは丸谷より職工を雇ふて装飾せしめ、
三年の久しきを経て漸く落成するに至れり。
像の高さは凡そ二尺より三尺までにて、
其顔容衣紋等皆古画に則とりしものなれば、精妙いふばかりなし。
聞く、一体の費用、平均十円なりといふ」
〈編者註〉煉瓦を以て新築せる堂に安置とあるから、
立派な建物であったのだろう。
ただ人気は長続きしなかったらしい。
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51844978.html
『見世物興行年表』
2011年07月22日
明治25年(1892年)二
○三月、東京浅草興行もの案内。(「東京朝日新聞」3・31)
【五区】書画骨董美術展覧会・
陶製《五百羅漢》・
花屋敷(蓄音器に虎)・
美術パノラマ。
【六区】凌雲閣(自動人形、美人歴史肖像画、東京百美人写真)・
天狗の頭骨(名古屋本願寺の掛所の庭より掘出したるもの)・
無名魚(銚子の浜でとれたもの)・四才童子(日高寛一)・
娘の玉乗・変化奇術・印度釈尊霊跡パノラマ・剛力小僧・
松本喜三郎作活人形(近日開場)、
大軽業・支那人日本人合併軽業・女力持・撃剣会・
日本パノラマ館・西洋奇術
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51914800.html
『見世物興行年表』
2011年09月09日
明治32年(1899年)六
―略―
○十月十一日、東京浅草公園内に水族館が開館。館主太田実。
(「東京朝日新聞」10・7/「読売新聞」10・12)
「浅草公園の水族館 予て記載せし事ある浅草公園の水族館は、
旧《五百羅漢》跡にて第二共栄館と云へる勧工場なりしを、
曩に太田實氏が譲り受け、
金三万円の株式会社となして水族館を新設せしなるが、
今回落成せしを以て、明八日より開会するといふ。
―略―
http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/51942236.html
[東京都公文書館]
<東京市史稿 遊園篇第5 目次>
附記 浅草公園 陶製《五百羅漢》陳列 遊園5-1160
1885(明治18)年12月18日
浅草公園返地及借地
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0601yuen05.htm
小野義真:[浅草公園]陶製《五百羅漢》陳列
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176427.html