[東京すくも人]第1号1984年版(昭和59年)
:宿毛会あれこれ 吉良慎平
:宿毛会あれこれ 吉良慎平
[東京すくも人]第1号
東京宿毛会 一九八四年版(昭和59年)
東京宿毛会事務局
東京都品川区豊町5-4-3 依岡顯知方
宿毛会あれこれ 吉良慎平
弁護士
元広島高検検事長
この春、引っ越し準備で荷物を整理していたところ、
小学生時代に書いた宿毛町全図がでてきた。
毛利・横江の両君(若くして物故された)と私の三名の合作で、
縮尺は一万五千分の一の等高線に従って色を塗ってあり、
四隅に押しピンの穴があって、
教室の壁に掲げられていたものと思われる。
その地図の大島沖にある小島に、
咸陽島と墨で名が入っている。
「咸陽(かんよう)」はむつかしい漢字で、
わが国の普通の用語にはみかけない文字でもある。
私の筆跡で間違わないよう入念に書かれている。
咸陽島は宿毛名勝の雄である。
干潮時には大島の側まで遠浅の磯続きとなり、
汐干狩りに向いており、
螺(にし)など籠一杯に採れたものである。
また、そのあたりは天然の良港を成しており、
ここに注ぎこむ松田川の清流は海の塩分を薄めて、
船底に牡蠣の付着することも少なく、
戦前は連合艦隊の泊地として知られた。
その昔もこの宿毛湾を中継地点として、
中国や南方に船出し、
あるいはそれらの方から長旅のあげく辿りついた
外洋航路船の補給基地として、
利用されていたに違いない。
小舟が松田川下流の葦や蒲の穂の密生する間を縫って、
薪炭や水を求めて漕ぎのぼったことであろう。
大島から見た夕映えの咸陽島は、
ことに素晴らしく瞼にやきついて忘れられないものがあるが、
その方向がまた西の方、中国の方向でもある。
中国の船乗りや旅人がこの島を眺めながら
遠い古里に思いを馳せる、
そのよすがのひとつとして、
その名を定めたと思えてならない。
「咸陽」は中国の秦の都として栄えたところで、
西安の西北にある。
咸陽島の名付け親は中国人に違いあるまい。
東京では、各種の同窓会・同期会などが催されて
相当の数にのぼってしまう。
しかし、宿毛会のように町(市)単位の会が続いている例は
そうは多くはあるまい。
「古里は遠くにありて思うもの」という言葉があるが、
宿毛までの時間・距離はわが国でも、
いわば最果ての地となってしまった。
それだけに古里への郷愁も根強く、
宿毛会へはなんとしてでも出席したくなるのであろう。
私も出席を重ねているうちに、
いつの間にか年長会員の扱いを受けるようになってしまった。
そのくせ会の由来など聞かれても、
知るところが少ないのは慚愧(ざんき)に堪えない。
戦前のことであるが、いとこの吉良六郎
(いとこと言っても一九歳も年上であったから
おじさんと呼んでいた)は、
高知工業を出ると大森海岸の電業社に入り
水力発電機の設計に専念していた。
この電業社の創業者は柏島あたりの出身の中島さんで、
当時は先端を行く技術を事業化した先達であった。
私の父 頼松はいとこが卒業するや、
つてを求めてその会社に就職させたのであった。
ところがこの会社は、
創業者没後の昭和一四年頃、
内紛が起こって、
いとこは宿毛出身の同志とともにこの会社に訣別して独立を策し、
結局は関西の工場で水力ポンプの製造を続けた。
戦後になって、
私が宿毛会に出るようになった頃、
彼から聞いたところでは、
宿毛会の前身は「くびっちょ会」と呼ばれ、
当初の頃は気儘(まま)に若い人達が集まり、
飲み会を催しては怪気焔をあげていたが、
そのうち年配者も加わり、
次第に上等になって宿毛会と改称されたのだということであった。
私がいとこから聞いたことはそれだけのことであったが、
あるいはそのような集まりが宿毛会の発端であったかもしれない。
また、当時は神田の冨山房創業者坂本嘉治馬氏を頼って
上京していた宿毛出身者もいたので、
その人達が初期宿毛会のメンバーであったことは間違いあるまい。
その辺のことはすでに、
茫漠として歴史の外にかき消されようとしている。
先輩各位の御教示を待つほかはない。
―略―
そして、宿毛に住んだのは小学生時代までであったが、
中学から高校にかけて高知市に下宿し、
結局高知県を離れることなく青少年期を過ごしたので、
気質的にはいわゆる「土佐っぽう」
としての特徴を受け継いだことは否めない。
戦時中は海軍士官として横須賀にいたが、
戦後は役所勤めのお陰で東京都のほか
大阪・神戸・横浜・函館・名古屋・長野・広島の
各市に転住して、
それらの地域の風俗人情に接し
住民の気質についても知る機会に恵まれた。
―略―
―略―
最近は、宿毛会会員の数も格段に増えたことでもあり、
会員の誰もが各方面で立派に
その役割を果していることを思うと、
年に一度、宿毛会で一堂に会する機会を
会員相互の貴重な経験交流と、
いわゆる切磋琢磨の場として再確認することも、
いごっそうの末裔にとっては、
特に有意義なことではあるまいか。
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