[鍋島藩の大隈參謀:博識英才の評判]慶応4年6月
【新聞集成明治編年史. 第一卷】

【新聞集成明治編年史. 第一卷】昭和9年12月2日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/292

慶應四年六月(皇紀二五二八 西暦一八六八)

[鍋島藩の大隈參謀:博識英才の評判] p97/295
〔六・二、もしほ草〕 ※慶応4年6月2日(1868年7月21日)

ある人の説に
ながさき港は
商法まことによくととのひて、
土商(とち あきうど)、
客商(いこく あきうど)、
ともによろこびあへり。

參謀大熊氏は鍋島の人なり、
博識英才にて、
時勢をさつし、
急務をあげ、
邪正を糾し、
仁慈をほどこせり。

支那はいにしへより、
日本と和親の國なれば、
別段によきとりあつかひをなせり。

これによりて唐商ども、
朝廷のおぼしめしを感戴し、
舊弊のあらたまりたるを
よろこびけるとぞ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/97

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《図録 大隈重信
『生誕一五○年記念』
『近代日本の設計者』
第1章 新政府官僚としての出発   p30
45 横浜新報 もしほ草  第14編
  慶應4年(1868)6月2日 ※慶応4年6月2日(1868年7月21日)
  ヴァン・リード 1冊 19×13cm

 大隈の名を報じた最初の新聞記事。
「参謀大熊氏」とは、
 同年3月まで長崎裁判所副参謀の職にあった大隈のこと。
 累積した未決の訴訟を次々に処断した能吏大隈の名が、
 遠く横浜の地にまで及んでいたことがわかる。

昭和六三年一〇月一〇日印刷
昭和六三年一〇月二一日発行 ※昭和63年(1988)10月21日
生誕一五○年記念
図録 大隈重信
―近代日本の設計者―
定価 三、〇〇〇円
編集 早稲田大学
発行 早稲田大学出版部
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印刷・平文社 撮影・コウ写真工房