[東京すくも人]第2号:《宿毛会思い出すまま》槇俊夫

[東京すくも人]第2号
 東京宿毛会 一九八五年版(昭和60年)
 東京宿毛会事務局
 東京都品川区豊町5-4-3 依岡顯知方
表紙[東京すくも人]第2号
〔画像〕表紙[東京すくも人]第2号

《宿毛会思い出すまま》 槇 俊夫
あの戦が終ってからいつの間にか四十年の歳月が流れ去りました。
戦後、宿毛会の辿った歩みを思い出すまま拾ってみました。

さて、書くに当って芳名簿を探してみましたが、
昭和三十年以前の名簿や記録が散逸して
不正確な点が有るかと思いますが、御諒承下さい。

昭和二十年代、
当時の総理大臣吉田茂、副総理林譲治
司法大臣岩村通世など国を代表する方々が
わが宿毛町から多く出ており、
綺羅星のような盛況でした。

宿毛会は林譲治会長、林茂木会長に続き
伊賀三省会長に至って居ります。

林譲治先生時代に宿毛会定例会、
あるいは会員特別招待であったかも知れませんが
議長官舎で催されたことがあります。

当時議長官舎は、
現在高輪プリンスホテルとなっている北白川宮家か、
竹田宮家の御殿が一時的に使用されていました。

当日、林先生の御説明では、
「広さは○○万坪、毎日、
 庭園の手入れに一桁以上の庭職人が当っている。
 とても議長給料では維持出来ないよ」と、
笑っていらっしゃいました。

食堂の椅子、
撞球室(たまつき しつ)の椅子等の背面には菊の金箔紋章、
屋根は石盤瓦、
当時の時点で坪価格が想像の出来ない金額との話でした。

いやぁ驚きました。

私ども映画に携(たずさ)わるものは、
将軍家御殿とか、
あらゆるものを大道具が作り、
真物らしくみせる技を心得て居ります。
しかし、これは正真正銘ほんものです。

現時点では世の中も変りましたから
多少のことには動じませんが、
未だ明治、大正から脱却していない
戦後のわれわれには驚きそのものでした。

少々宿毛会の先輩のこともふれてみたいと思います。

林 茂木
長い宿毛会の歴史の中で実質的、
名運営者であられました。
あの温顔、特長ある口ひげ、愛嬌のある声、
この人あって宿毛会は独特の雰囲気を保っていたと思います。
御本人から直接伺ったところでは、
私の親類に当る北村金物店に若い頃奉公されていた由、
北村のキクおばさんからも帰郷の際、
話を聞いたこともあります。

北本基良さんも亡くなるまで欠かさず御出席になり良い方でした。

小野十五郎さん(芸名 福地悟郎
土佐財閥の御曹子には特に思い出があります。
この方は小生の父などと新地
(松田川堤防の際(きわ)にあった遊廓。
 大正九年の大洪水で堤防が決壊し流出した)
で大いに浮名を流し、
後年、徳川夢声の門下三羽烏の一人として名を成し、
活動弁士(映画解説者)、漫談家、俳優で一家をなし、
東宝映画でも活躍され、
小生も同業として御懇意にして頂きました。

その他、浜田さん、岩村さん、堀内さん、等々
記憶の糸を辿れば走馬燈のように浮んできますが
割愛させて頂きます。

この辺で私たち同期の桜、
いや姥桜のことを少々、
宿毛会中同級生が七人も連なっていたことは
珍しいことと思います。
その七人は岡添徳助高橋重吉小野忠義
猪崎直一加藤駿雄宮尾旭、それに小生で、
旭チャンは同年ですが生年月日の関係で学年は一年下でした。
時々は新橋辺りで盃を交わし、
旧交を暖めてチャンづけで呼び合い、
p32-33[東京すくも人]第2号
〔画像〕p32-33[東京すくも人]第2号

幼い頃に返っていました。

岡添君とは少年時代林邸の大桜に登り、 ※宿毛まちのえき 林邸
晩年の林有造先生に怒られた想い出もあります。
有造先生に叱られたのは
宿毛会の中でも私達だけではないでしょうか。

何時頃だったか仲間が誰いうとなく
一度故郷で同級会をという訳で、
高橋君、小野君の骨折りで宿毛で集りを催しました。
都合で東京からの参加者は小野、高橋、小生の三名でしたが、
約二十名の幼い頃の仲間と嬉しい一夜を過しました。
初めての最後の良き思い出でした。
これも宿毛会あってのことであります。

こんなことも有りました。

私は人生の全てを映画の中で生きて来ましたが、
昭和二十七年頃、
宿毛の亡き叔母(菓子店 浦田作郎の母=小野梓の姪)から
毛利家の娘さんが女優になりたいということで、
全盛時代の大映に私の推薦で入社させました。
未だ、テレビもなかった当時の映画界ですから
二万人の中から若尾文子その他の多くのスターが育ちました。

毛利君も或期間
文学座で演技指導を受けるという条件で巣立ちました。
そして彼女自身の持つ美しさと、
努力によって僅かの期間でスターダムにのし上りました。
林先生も祝福され
宿毛会の方にも期待を寄せて頂いた門出でしたが、
人生波多しで不幸にも或る事件の為に
引退の止むなきに至りました。

最後に、
宿毛会の歴史の中で特筆しなければならない人は、
依岡顯知さん。
何十年昔とちっとも変らない童顔、
いつも笑を持つ得がたい人柄、
この人なくしては宿毛会の今日はないと云えます。
私達会員は永久に忘れてはいけないと思います。
心から感謝と敬意を表すとともに
いつまでも御健康をお祈りしたいものです。

昨今、加藤剛清君らの若い方々が中心になって企画、
運営されている宿毛会は、
将来昔日以上に発展すると期待し、確信致します。
特に加藤君は父上時代から二代にわたる交際(つきあい)になります。
前記七名の同級生のうち、
一、二年の間に小野忠義加藤駿雄両君が亡くなられました。
心から哀悼の意を表し御冥福を祈ります。
残りの五名出来る限り例会には顔を合せて盃を交わしたいものです。
(本名 浦田利夫 社団法人・日本映画俳優協会常任理事)
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