小川清久(叔父)から小野一雄へ
[大連:小川清秀邸の写真]平成4年(1992)6月5日
住所:大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
No.①
一階のベランダの上は夏〈ヨシズ〉を張っていました。
No.②
No.③
埋めてしまって子供の遊び場になっていました。
もと池の周辺と塀の内側は
京都から連れて来た職人さんが築いたもので、
乱れ積みと云っていたように覚えています。
No.④
No.⑤
(君にあげた写真で) ※下記、No.⑧の下。
君の母と祖母が立っていた場所ですが、
埋めてしまったので、高さの実感がないですね。
No.⑥
住宅に使用した頃にそうしたようです。
門は外から庭が見える形の
よい鉄柵の門でしたが、ごらんの通りです。
道をはさんでの家三軒は昔のまゝの家でした。
No.⑦
左側の山裾が老虎灘(ロウ コタン)海水浴場で、
その間に島が二ツ見え、よい景色でした。
写真の両側に見える高い建物はすべて戦後の建物です。
No.⑧
(君にあげた写真で)
君の母と祖母が立っていた場所ですが、
埋めてしまったので、高さの実感がないですね。
四角いコンクリートは補強のためのものと思われ、
柱は中国式の赤が塗られていました。
(当時、満鉄や三井物産等の課長クラスが入っていましたが)
そのまま健在でしたが、
いずれも一戸に二所帯が住んでいるようでした。
小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:平成4年(1992)6月5日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350941.html
[大連:小川清秀邸の写真]平成4年(1992)6月5日
住所:大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
No.①
二階のベランダの右はサンルーム
(屋根はガラスがこわれてから屋根瓦になっていました)一階のベランダの上は夏〈ヨシズ〉を張っていました。
No.②
③の右側に見える庭は
もと池で石の橋がかかっていましたが、埋めてしまって子供の遊び場になっていました。
もと池の周辺と塀の内側は
京都から連れて来た職人さんが築いたもので、
乱れ積みと云っていたように覚えています。
No.④
⑤の中央と⑧は同じ場所で
上から水が流れて滝となっており、(君にあげた写真で) ※下記、No.⑧の下。
君の母と祖母が立っていた場所ですが、
埋めてしまったので、高さの実感がないですね。
No.⑥
⑥は表門ですが、門柱も塀(門柱の両側に見えます)も、
やたら高く煉瓦を積みあげてありました。住宅に使用した頃にそうしたようです。
門は外から庭が見える形の
よい鉄柵の門でしたが、ごらんの通りです。
道をはさんでの家三軒は昔のまゝの家でした。
No.⑦
⑦は二階のベランダから見た正面の景色です。
右側の山裾が静ヶ浦海水浴場、左側の山裾が老虎灘(ロウ コタン)海水浴場で、
その間に島が二ツ見え、よい景色でした。
写真の両側に見える高い建物はすべて戦後の建物です。
No.⑧
⑤の中央と⑧は同じ場所で
上から水が流れて滝となっており、(君にあげた写真で)
君の母と祖母が立っていた場所ですが、
埋めてしまったので、高さの実感がないですね。
四角いコンクリートは補強のためのものと思われ、
柱は中国式の赤が塗られていました。
家の裏門と勝手口は煉瓦でふさがれてしまってました。
裏に続いて建てられていた貸家14軒は(当時、満鉄や三井物産等の課長クラスが入っていましたが)
そのまま健在でしたが、
いずれも一戸に二所帯が住んでいるようでした。
小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:平成4年(1992)6月5日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350941.html