紅村は名所也・山内村あり土佐太守山内氏の先祖
【西北紀行 2巻】貝原篤信 記:正徳3 [1713]

【西北紀行 2巻】貝原篤信(貝原益軒)正徳3年(1713)
p2【西北紀行 2巻】
〔画像〕p2【西北紀行 2巻】

須知村 園部より二里 民家多し p11/51
  【船井郡誌】大正4年(1915)
  五、名勝舊蹟 p144/196
  紅野
  貝原益軒の西北紀行に
  「園部より二里に須知村あり、
   民家多し、曾根村、印内村、
   此西に紅新田とて民家少々あり、
   其邊に廣野あり、
   紅野(或云 蒲生野)といひ 方一里あり」とあり。
紅村は名所也
山内村あり?土佐太守山内氏の先祖
乃住めりし?也と云??菜種???
沢瀉(タクシャ)を田?うへ?利とす ※沢瀉:下記

  【船井郡誌】大正4年(1915)
  貝原益軒の西北紀行に
  「山内村あり、
   是れ土佐太守山内氏の先祖の住めりし所なりとぞ、
   此邊朝倉山椒多し云々」とあり。
  ※朝倉山椒:大久保村の項

中尾村
桧木山村
尾細
水原
大久保村 ―略―
p11【西北紀行 2巻】
〔画像〕p11【西北紀行 2巻】

朝倉山椒多し p12/51
p12【西北紀行 2巻】
〔画像〕p12【西北紀行 2巻】

p50【西北紀行 2巻】
〔画像〕p50【西北紀行 2巻】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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人間との関係
オモダカは観賞用に栽培されることもあるが、
通常利用されることは少ない。
前述のように種子のほかに塊茎でも繁殖するため、
難防除性の水田雑草として扱われることもある[5]。
ただし、オモダカの栽培変種であるクワイは、
塊茎が肥大化して食用となるため栽培され、
おせち料理などに利用される。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年04月22日 05:16 ◆京丹波町 野口正利議員
《上豊田区の歴史:野口正利議員》
「京丹波議会だより」第57号[平成30年4月]
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