<フジオ=山口冨士夫の弔問>
[チャー坊(柴田和志)の母(つぎ)の葬儀]

[チャー坊遺稿集]飛鳥新社 2002年12月18日 初版発行
柴田和志 年譜        p312-334
昭和58年(1983)(33歳)  p327
     4月 母つぎ(73歳)逝去。
     入院中のため葬儀には出席できず。
     母の死を後日聞き、愕然とする。

<フジオ=山口冨士夫の弔問>

私の記憶では、
お母さん(柴田つぎ)の、お通夜の日か、
葬儀の日の夜に、弔問客があり、帰られてすぐに、
ボンチャン(柴田次男)が二階に上がって来て、
「いま、フジオが来てくれた」

先日、柴田令子(元妻)さんに電話すると、
「フジオちゃんは、コンサートがあり、
 通夜・葬儀に参列出来なくて、
 二人が落ち込んでいる時、
 何日か後に来てくれた」
と話されていた。

<お母さん(柴田つぎ)の入院:久野病院>
お母さんは、向島の家で一人住まい。
※京都市伏見区向島庚申町
 観月橋駅(京阪電車)から、徒歩10分程。

ボンチャン(柴田次男)一家の住まいは、
洛西ニュウータウン。

ボンチャン(柴田次男)に、
お母さんの健康状態を見に行って欲しいと頼まれ、
向島の家にお母さんを訪ねた。

お母さんを見た途端、
体調が悪いのが分かったので、
「具合が悪そうだったら、久野病院に連れて行ってくれと」、
ボンチャン(柴田次男)から聞いていたので、
お母さんに、その旨を話すと、

「分りました。着替えをしたいので、
 近所の□□さんを呼んで来て欲しい」

すぐに□□さんに来て貰い、
※□□さんの名前は全く覚えていない。
着替えを手伝って貰い、
(私は、外で待っていた)
久野病院に向かった。

正確な日数は覚えていないが、
程なく亡くなられた。

ボンチャン(柴田次男)から訃報の電話があり、
仕事を早退して、同僚の車を借りて、
向島の家に行った。

小野一雄