“ミッキー”こと松田幹夫
<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第4回》

<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第4回》[Quick Japan]Vol.10

[Quick Japan]Vol.10
(平成8年)1996年10月26日 第一刷・発行

草臥れて(くたびれて) p089
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第4回》
取材・文 北沢夏音

山口冨士夫       p100
 ―略―
その時スピーカーから、
一際高い歓声と共に、
チャー坊が吹き鳴らす魂のこもった
ハモニカが聞こえてきた。

続いて滑り込んでくる抑制のきいた
素晴らしいギター・ソロに、
ぼくらはうっとりと聞き惚れるばかりだ。

《歩いても/歩いても/果てどなく/果てどなく……》
――再結成ライヴでもハイライトはやはりこの曲

「くたびれて」。
と、鼻歌でソロをなぞるフジオさん。
「♪ババババーバー、ミッキーだ」
「えっ、元“スラッシュ”の?」
「よく知ってるねぇ。会った?」
「いいえ、まだ。
 必ずお会いしようと思っていますけど」

「ミッキーも死ぬ寸前だったよな。
 入院してる病院から、
 この日だけ抜け出して来てさ、
 しょうーがねぇよな。

 誰もさわんなかったもん。

 ステージが始まる五分位前に、
 しかもメンバーじゃないヤツが
 《ミッキーそろそろ出番なんだけど》
 って起こしに行かなきゃなんないぐらい、
 具合が悪かった。

 一発バキーンってこんなのキメて、
 《ふっ……よし、行くか》。
 で、弾いてるギターがコレだもん。凄いよ」

“ミッキー”こと松田幹夫
新生相なった“村八分”の切り札。

京都でも有数のギタリストだった
新メンバーの彼が病に倒れたことにより、
プロジェクトは暗礁に乗り上げる。

無理やり上がったこの日の舞台も、
だから三〇分しか演らず、
当然アンコールもなし。

ツトムさんの話によると、
石坂敬一氏(東芝EMI・当時)に
「チャー坊とフジオさえ来てくれたら、
 メンバーはこちらで気の合う人を探す」
と言われたチャー坊は、

「ミッキーの退院を待つ」
と返事、断ったという。

だが退院のめどは立たず、
「チャー坊もフジオも、
 言葉数がだんだん少なくなっていった。
 そのうち部屋から一歩も出なくなり、
 ある日フジオは東京へ帰った」。

狂ったように、
再びドラッグにのめり込んでいったチャー坊は、
その後一〇年の長きに渡って薬物依存症に苦しみ、
病院を転々とすることになる。

インディーズもメジャー予備軍でしかない現在、
天下の(笑)
東芝EMIにこんなふうに誘われて行かない
バンドがいるだろうか。

自分が得をすることよりも、
仲間との絆を重んじる方を選んだ彼ら。

だが運命の糸はもつれ、
容易に解けなくなる。
 ―略―

[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.10
(平成8年)1996年10月26日 第一刷・発行
定価・824円
編集発行人 赤田祐一
発行所  (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F

※チャー坊(柴田和志)
「ミッキー(松田幹夫)のギターは、日本一や」

※昭和55年(1980)春頃
私は、昭和30年代の洋盤(EPレコード)を数十枚持っていた。

チャー坊(柴田和志)が、
「ミッキー(松田幹夫)に、
 コマーシャルソングの作曲の話があるので、
 参考になるかも知れないので…」

当時、ミッキー(松田幹夫)が住んでいた、
京都市伏見区向島のマンションに届けに行った。