邦代さんの夫・吉村法俊〔のりとし〕氏
<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第7回》
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行
草臥れて(くたびれて) p096
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第7回》
取材・文 北沢夏音
姉・吉村邦代さんの話から p098
―略―
それから、亡くなった母のことで、
(註・薬物中毒のため入院中だった
チャー坊の病状が相当悪化していたため、
母・つぎさんの死を知らせなかった)
※昭和58年(1983)4月母(つぎ)逝去
「お葬式に出られなかった俺の気持ちがわかるか?」
って責められて、
「あんたがクスリやるからや!」って言い返したり……。
―略―
主人の仕事が傾いて、
お金もそんなに勝手が利かなくなってきた時に、
傷までつけた
(註・薬物中毒で一時的に錯乱したチャー坊が、
誤って邦代さんの夫・
吉村法俊〔のりとし〕氏を包丁で傷つけた)
和志の面倒を主人に見てあげてほしいとは言えなくて、
私が働きに出て和志に仕送りをしていたんです。
そのことを、
和志がいちばんよくわかっていたと思うんですよ。
だから和志が
「くーちゃん悪いなぁ、
俺が苦労かけてるからや」
って言って肩揉んでくれた時」、
私はそれだけで、
あーわかってくれているんだ、
と思って嬉しかった。
―略―
[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年12月30日 第一刷・発行
定価・900円
編集発行人 赤田祐一
発行所 (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F
[夢曼荼羅のブログ]
忘れられない右翼のテロ事件
2012-01-16 11:03:28
テーマ:ブログ
政治テロ事件と言えば、
もっとも記憶に残っているのは、
昭和三十五年の山口二矢(おとや)の、
浅沼稲次郎社会党委員長暗殺である。
まだ僕が小学生の頃である。
日本中が大騒ぎになり、
僕の父などは妙に興奮していた。
―略―
実は後に、僕は山口二矢の暗殺決行前に一緒だった
吉村法俊という人に何回か会った事があります。
哲人の風貌を持った大柄な方でした。
二十年前ぐらいに亡くなりましたが、
その一週間ぐらい前に
妻と病院にお見舞いに行った事がありました。
何故に知っていたかと言えば、
父の人脈の中の一人だったのです。
父は、気が合えば、左右関係なく付き合っていました。
それは僕と似ているのかも知れません。
山口二矢の暗殺決行前には、
吉村さんの他に、
後に江戸川乱歩賞を取ったNさんという
推理作家がいますが、
その方にはお会いした事はありませんでした。
―略―
https://ameblo.jp/fgh1234/entry-11137328275.html
2006/10/12(木) 午前 6:25
―略―
1960年10月12日、社会党委員長の浅沼稲次郎が
右翼少年・山口二矢(おとや)に刺殺されました。
―略―
[写真]
右から二人目:赤尾敏 中央:山口二矢
※右端:多分、吉村法俊 註:小野一雄
―略―
[写真]
山口二矢のデスマスク
―略―
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/21513644.html
※チャー坊(柴田和志)の独白
「山口二矢のデスマスクを見て、
頭がおかしくなった」
<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第7回》
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行
草臥れて(くたびれて) p096
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第7回》
取材・文 北沢夏音
姉・吉村邦代さんの話から p098
―略―
それから、亡くなった母のことで、
(註・薬物中毒のため入院中だった
チャー坊の病状が相当悪化していたため、
母・つぎさんの死を知らせなかった)
※昭和58年(1983)4月母(つぎ)逝去
「お葬式に出られなかった俺の気持ちがわかるか?」
って責められて、
「あんたがクスリやるからや!」って言い返したり……。
―略―
主人の仕事が傾いて、
お金もそんなに勝手が利かなくなってきた時に、
傷までつけた
(註・薬物中毒で一時的に錯乱したチャー坊が、
誤って邦代さんの夫・
吉村法俊〔のりとし〕氏を包丁で傷つけた)
和志の面倒を主人に見てあげてほしいとは言えなくて、
私が働きに出て和志に仕送りをしていたんです。
そのことを、
和志がいちばんよくわかっていたと思うんですよ。
だから和志が
「くーちゃん悪いなぁ、
俺が苦労かけてるからや」
って言って肩揉んでくれた時」、
私はそれだけで、
あーわかってくれているんだ、
と思って嬉しかった。
―略―
[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年12月30日 第一刷・発行
定価・900円
編集発行人 赤田祐一
発行所 (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F
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※邦代さんの夫・吉村法俊〔のりとし〕氏
《哲人の風貌を持った大柄な方でした》[夢曼荼羅のブログ]
忘れられない右翼のテロ事件
2012-01-16 11:03:28
テーマ:ブログ
政治テロ事件と言えば、
もっとも記憶に残っているのは、
昭和三十五年の山口二矢(おとや)の、
浅沼稲次郎社会党委員長暗殺である。
まだ僕が小学生の頃である。
日本中が大騒ぎになり、
僕の父などは妙に興奮していた。
―略―
実は後に、僕は山口二矢の暗殺決行前に一緒だった
吉村法俊という人に何回か会った事があります。
哲人の風貌を持った大柄な方でした。
二十年前ぐらいに亡くなりましたが、
その一週間ぐらい前に
妻と病院にお見舞いに行った事がありました。
何故に知っていたかと言えば、
父の人脈の中の一人だったのです。
父は、気が合えば、左右関係なく付き合っていました。
それは僕と似ているのかも知れません。
山口二矢の暗殺決行前には、
吉村さんの他に、
後に江戸川乱歩賞を取ったNさんという
推理作家がいますが、
その方にはお会いした事はありませんでした。
―略―
https://ameblo.jp/fgh1234/entry-11137328275.html
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[今日の出来事ロジー]
10月12日、浅沼稲次郎暗殺事件2006/10/12(木) 午前 6:25
―略―
1960年10月12日、社会党委員長の浅沼稲次郎が
右翼少年・山口二矢(おとや)に刺殺されました。
―略―
[写真]
右から二人目:赤尾敏 中央:山口二矢
※右端:多分、吉村法俊 註:小野一雄
―略―
[写真]
山口二矢のデスマスク
―略―
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/21513644.html
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※チャー坊(柴田和志)と一緒に、大阪の家に行き、
吉村法俊さんに一度だけ会ったことがある。※チャー坊(柴田和志)の独白
「山口二矢のデスマスクを見て、
頭がおかしくなった」
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年12月23日 04:17 ◆柴田和志 [チャー坊遺稿集]
[デスマスク]『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年02月26日 07:50
《チャー坊の父・柴田金三郎氏》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
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