《柴田金三郎(父):柴田つぎ(母)》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>

[チャー坊遺稿集]飛鳥新社 2002年12月18日 初版発行
柴田和志 年譜  p312-334
昭和41年(1966) 1月 父:柴田金三郎(63歳)逝去。p314
昭和58年(1983) 4月 母:柴田つぎ (73歳)逝去。p327

洛西ニュータウンのマンションで、
お母さん(柴田つぎ)の話。

※お父さん(柴田金三郎)が元気な頃、
 向日町競輪場で、騒ぎがあった。
 誰かが、「柴金」が来てると叫び、一騒動、
 一件落着と云っても二日かかった。
 お父さんが、新聞紙で包まれた束を、
 紐にぶら下げて帰って来た。
 中を開けると、百円札が一杯、入っていた。
 お父さんは、その時、初めて向日町競輪場に行った。
 その後、そのお金は、全部、競輪に使った。

 この話は、お母さんから、私が直接、聞きました。

京阪電車から全線無料定期券が、
 お父さんの歿後何年も送られていた。

※お母さん(柴田つぎ)の葬儀
 (伏見区向島庚申町・昭和58年(1983) 4月)に、
 篠原組の供花があり、若い衆が数人、参列していた。

[Quick Japan]Vol.13
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行

草臥れて(くたびれて) p067
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第五回》
取材・文 北沢夏音

“クーちゃん(吉村邦代)”―    p077
 ―略―
チャー坊の父・金三郎は三重県の、
母・“つぎ”は京都の出身です。
 ―略―
門下の方も大勢いらして、
それと、
こういう仕事にはつきものなんですけど、
やくざのような方ともつきあいがありましたから、
日銀の方や大臣から、
やくざの若い衆に至るまで、
本当にいろんな種類の人が
毎日訪れて来るような、
そんな家だったんです。
 ―略―

[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.13
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行
定価・800円
編集発行人 赤田祐一
発行所  (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F

《チャー坊の父・柴田金三郎氏》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>[Quick Japan]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2370665.html