洛西シミズ病院への見舞
<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第7回》
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行
草臥れて(くたびれて) p096
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第7回》
取材・文 北沢夏音
姉・吉村邦代さんの話から p097
<第七部・最後の日々> p097
和志から最後に連絡があったのは、
亡くなる二日ぐらい前、 ※平成6年(1994)4月25日 歿
夜中の一一時半とか、一二時近くでした。
―略―
<命けずって> p097
その一年ぐらい前、夜中の一一時頃に、 ※平成5年(1993)4月頃
和志が家に来て、
明け方の五時頃まで、
私に今まで溜めていたことを
ほとんど口に出したんじゃないかと思うぐらい、
しゃべったことがあったんです。
―略―
<死の予感> p098
―略―
―あの最後の晩、 ※平成5年(1993)4月頃
和志は私にはっきりそう言ったんです。
「クーちゃんな、
俺が音楽でものすごく良くなってお金、
三億でも五億でももらえるようになったら、
くーちゃんにはいくらでもあげる。
だけど、俺はそんなところで生きてないんだ。
自分がいいと思った音楽をやれれば、
俺はそれでいいんだ」って、
そんなことを言うから。
私が、
「そうなん?でも、
もうちょっと売れるように考えたら」
なんて返事したら、
「くーちゃん、
俺に向かってそんなこと言うのはナンセンスや」って(笑)
―略―
[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年12月30日 第一刷・発行
定価・900円
編集発行人 赤田祐一
発行所 (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F
「クーちゃんな、
俺が音楽でものすごく良くなってお金、
三億でも五億でももらえるようになったら、
くーちゃんにはいくらでもあげる。……」
※チャー坊(柴田和志) 平成6年(1994)4月25日 歿
小野一雄
平成1年(1989)2月8日 洛西シミズ病院 入院
(横断性脊髄炎)
平成2年(1990)2月25日 洛西シミズ病院 退院
平成5年(1993)10月 洛西シミズ病院 再入院
(横断性脊髄炎:再発の為)
平成5年(1993)12月 洛西シミズ病院 退院
平成6年(1994)1月8日 三上照夫先生 歿
平成6年(1994)2月28日(株)日本松栢経営指導協会 退社
※平成5年(1993)10月~12月の、いずれかの日に、
チャー坊(柴田和志)が、
洛西シミズ病院に入院していた、
私の見舞いに来てくれた。
その時、
「小野はん(小野一雄)と、雄さん(弟:小野雄二)に、
三億円あげるは…」
妻(小野喜代子)も同席。
平成6年(1994)1月8日
当時、公私とも世話になっていた、
三上照夫先生〔(株)日本松栢経営指導協会:社長〕が亡くなられた。
私は、(株)日本松栢経営指導協会を解雇になった。
平成6年(1994)3月 初旬、
チャー坊に、
「会社をクビになった」
と電話すると、
「とりあえず、一千万円持っていくわ…」
平成6年(1994)4月25日 柴田和志 歿
<チャー坊(“村八分”)の生と死>《第7回》
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年4月26日 第一刷・発行
草臥れて(くたびれて) p096
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第7回》
取材・文 北沢夏音
姉・吉村邦代さんの話から p097
<第七部・最後の日々> p097
和志から最後に連絡があったのは、
亡くなる二日ぐらい前、 ※平成6年(1994)4月25日 歿
夜中の一一時半とか、一二時近くでした。
―略―
<命けずって> p097
その一年ぐらい前、夜中の一一時頃に、 ※平成5年(1993)4月頃
和志が家に来て、
明け方の五時頃まで、
私に今まで溜めていたことを
ほとんど口に出したんじゃないかと思うぐらい、
しゃべったことがあったんです。
―略―
<死の予感> p098
―略―
―あの最後の晩、 ※平成5年(1993)4月頃
和志は私にはっきりそう言ったんです。
「クーちゃんな、
俺が音楽でものすごく良くなってお金、
三億でも五億でももらえるようになったら、
くーちゃんにはいくらでもあげる。
だけど、俺はそんなところで生きてないんだ。
自分がいいと思った音楽をやれれば、
俺はそれでいいんだ」って、
そんなことを言うから。
私が、
「そうなん?でも、
もうちょっと売れるように考えたら」
なんて返事したら、
「くーちゃん、
俺に向かってそんなこと言うのはナンセンスや」って(笑)
―略―
[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.17
(平成9年)1997年12月30日 第一刷・発行
定価・900円
編集発行人 赤田祐一
発行所 (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F
「クーちゃんな、
俺が音楽でものすごく良くなってお金、
三億でも五億でももらえるようになったら、
くーちゃんにはいくらでもあげる。……」
※チャー坊(柴田和志) 平成6年(1994)4月25日 歿
小野一雄
平成1年(1989)2月8日 洛西シミズ病院 入院
(横断性脊髄炎)
平成2年(1990)2月25日 洛西シミズ病院 退院
平成5年(1993)10月 洛西シミズ病院 再入院
(横断性脊髄炎:再発の為)
平成5年(1993)12月 洛西シミズ病院 退院
平成6年(1994)1月8日 三上照夫先生 歿
平成6年(1994)2月28日(株)日本松栢経営指導協会 退社
※平成5年(1993)10月~12月の、いずれかの日に、
チャー坊(柴田和志)が、
洛西シミズ病院に入院していた、
私の見舞いに来てくれた。
その時、
「小野はん(小野一雄)と、雄さん(弟:小野雄二)に、
三億円あげるは…」
妻(小野喜代子)も同席。
平成6年(1994)1月8日
当時、公私とも世話になっていた、
三上照夫先生〔(株)日本松栢経営指導協会:社長〕が亡くなられた。
私は、(株)日本松栢経営指導協会を解雇になった。
平成6年(1994)3月 初旬、
チャー坊に、
「会社をクビになった」
と電話すると、
「とりあえず、一千万円持っていくわ…」
平成6年(1994)4月25日 柴田和志 歿