チャー坊の最後のパートナー:石黒朋子さん
<チャー坊(“村八分”)の生と死>

[Quick Japan]Vol.19
(平成10年)1998年6月1日 第一刷・発行

草臥れて(くたびれて) p158
ロック殉教者
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
《第八回》
取材・文 北沢夏音

〔最終話・生きる事の話(前編)〕 p159
 ―略―
石黒朋子(ともこ)さん。
チャー坊の最後のパートナー。
晩年の彼のいちばん近くで
その素顔を見つめたひとだ。
 ―略―

――パリのどういうところが合ったんでしょうね。 p163
「さあ。いつも何か美術館とか。
 ピカソの実物のタッチが強烈だったと」

――きっと向こうでも詩を書いてたんでしょうね。
「ええ。フランスパン買って、チーズとヨーグルトも好きで、
 ヨガをやってたって(笑)―略―」

「 ―略―
 でも、パリには非常に愛着を持ってました」

――友達がいたとか……?
「でも、話聞いていたら、孤独だったみたいですけどね」
 ―略―

――ご飯は朋子さんが作っていたんですか? p164
「いやー。やっぱり作るのは嫌(笑)。
 昔はよく作ってましたけど」

【お詫びと訂正】 p163
石黒朋子さんから、
本誌17号 P.98の
「チャー坊が朋子さんと別れたがっていた」
という記述は事実に反するとの抗議がありました。
御迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、
謹んで訂正させていただきます。

[クィック・ジャパン]
[Quick Japan]Vol.19
(平成10年)1998年6月1日 第一刷・発行
定価・900円
編集人 村上 清
発行人 赤田祐一
発行所  (株)太田出版
東京都新宿区荒木町22
エプコットビル1F

※チャー坊(柴田和志)
 「ルーブル美術館、フリーパスの友達がいたので、よく行った」

 「1フラン(当時60円)で、ワインとフランスパンを食べていた」
 「1フラン(当時60円)のワインと、フランスパンを食べていた」
  どちらかです。

 「腹筋運動が、精神安定剤だった」

――ご飯は朋子さんが作っていたんですか? p164
「いやー。やっぱり作るのは嫌(笑)。
 昔はよく作ってましたけど」

※昭和59年(1984) 秋頃?
 洛西ニュウータウンのマンションで、
 一度、
 石黒朋子さんの手料理を、
 チャー坊(柴田和志)と一緒に頂きました。

※昭和59年(1984) 春頃?
 洛西ニュウータウンのマンションで、
 ボンチャン(柴田次男)とチャー坊(柴田和志)と私(小野一雄)、
 三人で麻雀をした。
 何時も、ボンチャン(柴田次男)が、トップ。
 さすが、プロと納得した。
 《麻雀:玉突き:パチンコ》プロ。

※ボンチャン(柴田次男)曰、
 「麻雀と玉突きは、小野が教えた」

 小野一雄
 昭和40年(1965)3月 桃山高校卒業
 昭和41年(1966)9月 坂本工業 入社

 この間、《大きい家》(京都市伏見区深草大門町)で、
 よく麻雀をした。
 ボンチャン(柴田次男)と、その同級生、小野一雄、
 皆、麻雀を覚えたての頃だった。

 ある時、徹夜麻雀をしていると、
 隣の部屋から、
 物凄く大きい「鼾」が聞こえて来た。
 ボンチャン(柴田次男)
 「吉村法俊さんや。明日、入る……」

 ある時、麻雀をしていると、
 ボンチャン(柴田次男)
 「今、下(一階)で親父が麻雀している。
  麻雀は、いつも正座でする」

[チャー坊遺稿集]飛鳥新社 2002年12月18日 初版発行
昭和41年(1966) 1月 父 柴田金三郎 逝去(63歳)   p314
           父の仕事を柴田次男(兄)が引き継ぐ。

 私の父親(小野又一)が、
 家庭用の玉突きの台を買ってくれた。
 それを、《大きい家》(京都市伏見区深草大門町)に
 持って行った。

《大きい家》(京都市伏見区深草大門町)では、
 ボンチャン(柴田次男)以外の人の顔を見た記憶は無い。