泉谷裕勝:鎮子夫人の父親:徳川慶喜の実弟:池田茂政侯の六女
※茂政は養父。実父は章政。小野一雄2025/03/04追記

『天皇の野球チーム』

[泉谷祐勝:夫人 鎭子:池田章政(実父」茂政(養父)]
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2398603.html

<泉谷裕勝>※誤植:祐勝
『天皇の野球チーム』
スコアブックの中の野球史
著者 桑原稲敏
発行人 荒井 修
発行所 (株)徳間書店
昭和六十三年(1988)一月

<泉谷祐勝> 
【職員録】[第5冊]大正4年甲 印刷局
主猟寮 属 四等(二)泉谷祐勝 陸軍三等主計正八 p79/693
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927660/79

【職員録】[第2冊]大正14年7月1日現在
式部職 舎人 属 泉谷祐勝 p109/746
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986608/109

【宮内省職員録】 大正13年1月1日現在
宮内属 泉谷祐勝 p39/333
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272975/39

【早稲田大学校友会会員名簿】[第1冊]大正4年11月調
大学部 政治経済学科           p41/189
明治39年得業(経済専攻)         p43/189
松村謙三 富山 富山県福光町 同郵便局長 p43/189
泉谷祐勝 兵庫 神戸市元町善照寺     p44/189
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910566/44

【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】昭和14年9月5日発行
[泉谷祐勝] p120/554
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/120

【日本スポーツ人名辞典】昭和8年版
《泉谷祐勝》(野球)     p40/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1145549/40

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

『天皇の野球チーム』
スコアブックの中の野球史
著者 桑原稲敏
発行人 荒井 修
発行所 (株)徳間書店
昭和六十三年(1988)一月

泉谷裕勝は明治十五年三月、※誤植:祐勝
神戸市元町通りの
善照寺という寺に、
三人兄弟の二男として生まれた。
善照寺は西本願寺派の由緒ある名刹で、
その敷地内をかつては
国鉄・東海道線が走っていた。
生家の姓は佐々木だが、
幼い頃養子に出されて
母方の泉谷を名乗るようになる。 p64

この文面からもわかるように、
泉谷裕勝の配属された式部職主猟寮は、※誤植:祐勝
天皇や皇族が狩猟を楽しまれる際、
その下準備をしたり
お供をするのが仕事だった。
また「血縁関係の者が……」云々とは、
泉谷に嫁いだ鎮子(やすこ)夫人の人脈であろう。
鎮子夫人の父親は、
第十五代将軍・徳川慶喜の実弟で、
徳川御三家の水戸家から備前岡山の池田家に入った
茂政侯である。
鎮子夫人はその六女というから、
つまり徳川慶喜の姪に当たる。 p84

大宮人たち それぞれの終焉 p198
時代の寵児となった
「天皇の野球チーム」の選手たちの中で、
もっとも女性ファンの心をときめかせたのは、
監督兼中心選手の泉谷裕勝だった。※誤植:祐勝
深夜、熱狂的なファンに自宅へ押しかけられて、
しばしば表札を盗まれた。
そこで泉谷は仕方なく、
門柱に名刺を張っていた。

そんな女性ファンとの華麗なロマンスも、
枚挙にいとまがない。
いわゆる赤新聞に、
そうした艶聞を面白おかしく書きたてられたこともあった。

泉谷裕勝の長女・一枝は ※誤植:祐勝
「あなた、まあ聞いてちょうだいよ」
と当時を回想する。
「おやじのプレイボーイぶりを新聞に尾鰭をつけて書いたのは、
詩人のサトウハチローなのよ。
ええ、色恋の相手は女優や芸者なんかじゃなく、
れっきとした女性実業家とか名流夫人でしたね。
名前をいえば、
あっと驚くような有名人もいたんじゃないかしら。
母は十朱幸代を上品にした感じで、
物静かな美人だったの。
母はおとなしいから、
そんな浮気にもじっと耐えていたけど、
わたしだったら黙っちゃいないわね」

「天下の浪人」泉谷裕勝の死 p230-231 ※誤植:祐勝
―略―
終戦直後、泉谷裕勝は肺炎を病み、※誤植:祐勝
それを機に自称「天下の浪人」になった。
この間、大正十二年九月一日の関東大震災で
東京・港区の家を焼け出され、
以後はずっと杉並区荻窪に住んだ。
「とにかく、ハイカラな人でしたね。
祖父が姓を継いだ曽祖母の実家は、
兵庫県伊丹市で酒屋をやっていたけど、
じいさんは酒を一杯もやらず、
オートミ-ルが好物だった。
―略―」
(孫の泉谷勝)
子供は一男一女に恵まれた。

泉谷裕勝の長女・一枝は終戦から間もない※誤植:祐勝
昭和二十四年春、
静岡県下田町須崎のお寺に嫁いだ。
その観音寺は、
須崎御用邸から車で五分くらいの場所にある。 p232
―略―

[Wikipedia]
《池田 茂政》(いけだ もちまさ)
(天保10年10月11日(1839年11月16日)
- 明治32年(1899年)12月12日)は、
備前岡山藩の第9代藩主。岡山藩池田家宗家11代。
常陸水戸藩主・徳川斉昭の九男。
正室は池田慶政の娘・萬寿子。
子は池田勝吉(長男)、西尾勝順(次男・西尾忠篤養子のち離縁)、
娘(堀川護麿室)、娘(中川久任正室)、
娘(佐々木祐哲室)、娘(泉谷祐勝室)。
官位は従四位上、備前守、侍従、左近衛権少将、武蔵守、弾正大弼。
幼名は九郎磨。
名は茂政のほか、松平昭休、松平忠矩、池田修政。
明治維新後は従一位、勲二等、麝香間祗候。
兄弟に水戸藩主徳川慶篤と昭武、
因幡鳥取藩主池田慶徳、土浦藩主土屋挙直、石見浜田藩主松平武聰、
下野喜連川藩主喜連川縄氏、
そして江戸幕府第15代将軍徳川慶喜らがいる。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E8%8C%82%E6%94%BF

“挑戦状”への返信…初の早慶戦は“先輩”慶應が勝つ
―略―
<写真>
http://www.zakzak.co.jp/spo/200903/s2009031715_1.html

今回、紹介するのは、
早稲田からの挑戦状を受けた3日後の11月8日、
慶応の高浜徳一氏が
早稲田の泉谷祐勝氏に送った書簡だ。
「拝啓 秋気相催し侯所 益大二御練習之 御事と推察いたし侯」
で始まる文章で、17.2センチ×142センチ、
台紙を含めるとその長さは210センチにも達する巻物のように長大なものだ。
―略―
■野球体育博物館
http://www.baseball-museum.or.jp
ZAKZAK 2009/03/17
http://www.zakzak.co.jp/spo/200903/s2009031715_all.html